- 1: 2013/02/03(日) 21:35:44.68 ID:N5xrnYFS0
-
今日も街を独り歩く。
人混みの中を駆ける真冬の風が、ほんの少し露出した肌を撫でる。
果てない草原、風がビュビュンと一人ぼっち
町の人混み肩がぶつかって一人ぼっち
小学生のころ好きだったアニメの曲の歌詞だ。
こういう時には無性にこういうことを思い出してしまう。
『バレンタインまであと十日になったけど、春香ちゃんは彼氏さんとかいるの?』
『いませんよ~、もし居たとしてもここでいいません!』
多くの人が見上げる電光掲示板で、春香は楽しそうに話している。
「それに比べて私は」
虚無感。
事務所の皆は輝いている。
それは長年望んでいた事だった筈なのに――辛い。
長い間下積みを積んできたことは自分が一番知っている。
アイドルの皆には春が来て、花が咲いている。だが、自分はどうだろう。
凍りついた冬の氷は厚さを増すばかりだ。
誰も居ない事務所で淡々と仕事をこなすだけ。
一人でいることには慣れっこなはずなのに――無性に寂しい。
「これからどうしようか」
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- 2: 2013/02/03(日) 21:37:15.42 ID:N5xrnYFS0
- 冷たい町を歩き、冷たく暗い部屋に帰り、眠る。朝起きて、冷たい事務所で朝から晩まで独り、働く。
自分はこんな事を望んでいたのか。違う筈だ。
皆がいつまでも揃って笑っている事務所、それこそ自分が望んでいたこと。
「外食で済ませちゃおうかな」
家の冷蔵庫の中身があまり入っていないことを思い出して、呟く。どうせ食生活の乱れで誰かにどうこう言われる事は無いのだ。
「あ、でも体調壊したら…事務所の皆に迷惑かけちゃうかな」
独りごとはもう癖だ。基本的には一人だから、こうして言葉に出すことをしないと喋り方を忘れてしまいそうになる。
「ここでいいか」
何の飾り気もない、そういったら悪いかもしれないが食堂ののれんをくぐる。
案内されたカウンター席の隣には見知った、しかし最近合わせていなかった顔があった。
「偶然ですね…プロデューサーもここで食事なんて」
「ええ、お久しぶりです音無さん」
- 3: 2013/02/03(日) 21:38:11.31 ID:N5xrnYFS0
- お久しぶり、そういえばここ一週間くらい顔を合わせていない気がする。数か月前までは毎日朝から晩まで一緒だったのに。
「……最近事務所の方はどうですか?」
どうもこうもない、変化のない毎日なのだから。
「特に変わりは無いですよ…プロデューサーさんの方はどうですか?」
「いやぁ、こっちも変わりは無いですよ…春香の芸人体質には困ってますけど」
嘘だ。
「変わりない訳無いじゃあないですか…みんなの露出があんなに多くなってあなたの仕事も大変になってるはずでしょ?それに、とっても疲れた顔してます」
「いやぁ、実はここ数日家に帰れてないんですよ…まともな食事も二日ぶりだったり」
そんな状態でも笑い顔を崩さない同僚に小鳥の苛立ちは大きく膨れ上がる。
「プロデューサーさん、一人であんまり抱え込まないでくださいね…私だって仲間なんですから」
「ええ、頼りにしてますよ」
自分にできることなんてたかが知れているのに、こういう時だけ頼れるお姉さんのふりをしている。
苛立ちは目の前の同僚に向けてではない、自分に向けてだ。
- 4: 2013/02/03(日) 21:38:58.00 ID:N5xrnYFS0
- お久しぶり、そういえばここ一週間くらい顔を合わせていない気がする。数か月前までは毎日朝から晩まで一緒だったのに。
「……最近事務所の方はどうですか?」
どうもこうもない、変化のない毎日なのだから。
「特に変わりは無いですよ…プロデューサーさんの方はどうですか?」
「いやぁ、こっちも変わりは無いですよ…春香の芸人体質には困ってますけど」
嘘だ。
「変わりない訳無いじゃあないですか…みんなの露出があんなに多くなってあなたの仕事も大変になってるはずでしょ?それに、とっても疲れた顔してます」
「いやぁ、実はここ数日家に帰れてないんですよ…まともな食事も二日ぶりだったり」
そんな状態でも笑い顔を崩さない同僚に小鳥の苛立ちは大きく膨れ上がる。
「プロデューサーさん、一人であんまり抱え込まないでくださいね…私だって仲間なんですから」
「ええ、頼りにしてますよ」
自分にできることなんてたかが知れているのに、こういう時だけ頼れるお姉さんのふりをしている。
苛立ちは目の前の同僚に向けてではない、自分に向けてだ。
- 5: 2013/02/03(日) 21:40:04.29 ID:N5xrnYFS0
- ご飯を食べるとすぐにプロデューサーは足早にお店から出て行った。
やっぱり独り、鯖味噌定食を頬張る。
店を出て、少し寄り道をする。
アイドルの皆にお仕事が全然ないときにみんなで来た街並みが見える小高い丘の上。丘、といってもちょっとした住宅街の高台、といったところだが。
天の川が地上に落ちたような都会の夜は、寒くて寂しい。
そこで独りぽつんと立っている自動販売機で、砂糖とミルクがたっぷり入った甘いコーヒーを買う。
実を言うと、今の生活が嫌っていうわけじゃあない。
缶コーヒーを一口、息が白い。
ちょっと皆には休んでほしいとは思うけど。
今の生活は嫌いじゃあないけど、主体性のない自分が嫌い。
アイドルの皆のアドレスはポケットの中の携帯電話に入っているのに、体に気を付けて、って送ればこの気持ちも少し落ち着くかもしれないけど、それが出来ない自分が嫌い。
誰からも返信が来なかったらきっと泣いてしまうから。
忙しすぎる皆が可哀そうだから?違う。自分が惨めで可哀そうだから。
「明日からまたがんばろう」
やっぱり独り言は癖だ。
アパートの自分の部屋だけには灯りがともっていない。尤も、ともっていたらそれはそれで怖いけど。
「新聞溜まってるなあ…」
- 6: 2013/02/03(日) 21:40:59.29 ID:N5xrnYFS0
- 自分の家で新聞なんて読まない。読む暇がない。
もっぱら事務所で読んでいる。今は誰も叱る人が居ないから、一人でのびのび読んでいる。
音無さん、いつまでも新聞読んでないで仕事してください!なんて声が聞こえてきそうで聞こえてこない事務所で。
「新聞取るのやめようかな…」
郵便受けにどっさり溜まった新聞を抜き取ると、中に包みが入っていることに気が付いた。
とっても可愛い包装紙にくるまれた手紙くらいの大きさの箱。
部屋の中、電気をつけると冷蔵庫から缶チューハイを取り出し着替えもせずに蓋を開ける。
存外、冷蔵庫の中は混雑していた。大体の物が賞味期限切れで食べられないけど。
「さてと、この包み、だれからかな」
どこかで見た事があるような可愛らしい『小鳥さんへ』という字に目を細めながら破かないように包装紙を取り払っていく。
そして、現れた箱の蓋を開けると可愛いひよこの形をしたチョコレートが6つ。
「誰からかしら」
包装紙と一緒に取り払ってしまった紙があったことにそこで気づいた。
その紙を広げてみる。
- 7: 2013/02/03(日) 21:42:15.88 ID:N5xrnYFS0
- 『こんばんは!なのかな?春香です!ちょっと早いけどバレンタインチョコです!!
最近元気ないみたいだったから(?)作っちゃいました
作ったって言っても板チョコ溶かして固めただけなんですけどね…
私たちも、忙しいけど頑張ってます…みんなの仕事が落ち着いたらまた
765プロの皆で遊びに行きたいですね!
また今度、どこかに遊びに行きましょうね!それまで体壊したりしたら駄目ですよ』
「そうね、みんな頑張ってるものね…私がみんなが帰ってくるところを守っててあげなくちゃね」
録画がいっぱいだと自己主張するHDDを無視してテレビを付ける。
手紙の主が満面の笑みでテレビには映っている。
- 8: 2013/02/03(日) 21:43:04.95 ID:N5xrnYFS0
- 「また明日から頑張ろう」
にっ、と笑ったその顔には一点の曇りもなかった。
チョコを一つ口に頬り込むと、甘さが口いっぱいに広がる。
「春香ちゃんも風邪ひいたらめっ、だからね」
小さな春が、小さな部屋いっぱいに香った。
終わり
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