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このシリーズ:

京介「俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8?」【前編】


京介「俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8?」【中編】


京介「俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8?」【後編】



413: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 11:22:27.73 ID:X3NsEiFd0
関係が拗れた直接の原因なんて、思い出せるわけがない。
あいつが陸上で賞を獲るようになったことや、学業で優秀な成績を修めるようになったこと、
血の繋がっている俺にさえ『綺麗だ』と言わしめる容姿に成長したことは、
あくまで俺のコンプレックスを助長し、桐乃嫌いに拍車をかけた要因に過ぎない。

『覚えてるワケねえだろ』

黒猫の言うとおりだった。
俺と桐乃は、大元の喧嘩の原因が何だったか忘れちまうくらい、長い間お互いのことを避けていた。

『それが何だったのか思い出せない限り、
 俺はあいつと本当の意味で仲直りすることはできないのかもな』
『そう悲観することはないわ。
 言ったでしょう?
 あなたとあなたの妹の関係は、それが冷え切っていた頃に比べれば、着実に改善されていると。
 ただ、先輩の考え方が正鵠を得ていることも真実よ。
 雨降って地固まる、という格言は、最早あなたたちには当てはまらないでしょうね』

長きに渡る豪雨で崩壊した人間関係の地盤は、到底元の状態には修復不可能で、
その上に築かれるのは、きっと全く別の、新しい人間関係だと、遠回しに黒猫は言っていた。

-------

『ごめんね、お兄ちゃん。りんこのこと、あんまり怒らないであげて?
 きっと、りんこもね?本当はお兄ちゃんができて、嬉しいはずだから……』

そうかな?と頭を掻いて首を傾げる主人公。
みやびはブランコを揺らしながら、柔らかく笑んで答える。

『うん、りんこ照れ屋さんだから』
関連スレ:

京介「俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8?」【前編】


京介「俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8?」【中編】


京介「俺の妹がこんなに可愛いわけがない 8?」【後編】



414: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 11:35:06.12 ID:X3NsEiFd0
みやびは束の間、その可愛らしい紅唇を噤み、
やがて上目遣いで主人公を見上げると、

『あのね、お兄ちゃん。わたしはお兄ちゃんと会えて、嬉しかったよ。
 きっと、りんこだって同じだと思う。
 わかるんだ、わたしたちは、双子だから』

お兄ちゃんと会えて嬉しかった、か。
面映ゆい気持ちになった主人公は、
ブランコを降りたみやびから、さらなる追撃を食らう。

『……お兄ちゃん、大好き』

アップで映し出されるみやびの顔と、その周りを飛び交う大量のハートマーク。

「みやびちゃんの思わせぶりな告白キター!!」

現実の妹は大はしゃぎだ。

「あっ、これは別にみやびちゃんルート行ったワケじゃなくてぇ、全ルート強制のイベントだから。
 あーもー、みやびちゃんカーワーイーイー!」

うるせーな、ちょっと声のトーン落とせ。
お袋か親父がお前の奇声に気づいて部屋に入ってきたらどうするつもりだ?
416: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 11:55:49.15 ID:X3NsEiFd0
「大丈夫だって。早く先進めて?」

お前の無根拠な楽観ほど当てにならないものはねえよ。
俺は溜息を吐き、親父やお袋が夫婦団欒の時を過ごしていることを祈りつつマウスを操作する。

『あのね、お兄ちゃん。今度の日曜日はヒマ?
 わたし、買い物に出かけたいんだけど、ひとりで街を歩くのは怖くて……』

りんこを連れていったらどうだ、と提案する主人公。
みやびはゆっくりとかぶりを振って、

『りんこちゃんは、用事があるみたい。
 お兄ちゃんが一緒に来てくれたら、みやび、嬉しいな』
 
イエス。ここでノーを選ぶヤツは頭がどうかしてる。

『ありがとう、お兄ちゃん』

主人公とみやびは暮れなずむ空を見上げながら、
朱色に染め抜かれた帰り道を、手を繋いで歩いて行く……。

-------

『お前にはどう見えてるんだ?』

黒猫は質問の意味が分からなかったのか、二、三度瞬く。

『お前は、俺が言った俺と桐乃の関係は、あくまで俺の主観で見たモンだと言ったよな。
 じゃあさ、お前から……客観的な視点から見た俺たちは、どんな風にお前の目に映ってるんだよ?』
419: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 12:20:34.60 ID:X3NsEiFd0
『それは、わざわざわたしに聞かなくても、少し頭を働かせれば分かることではないかしら』
『はぁ?』

黒猫は幽かに頬を赤らめ、コーヒーカップの水面に視線を落としながら、

『わ、わたしはずっとあなたのことを……あなたとあなたの妹のことを見ていたわ。
 わたしがあなたをどう思っているのか、
 あなたの妹の気持ちと比較して口にしたことは、一度や二度ではなかったはずよ』

俺は黒猫と出会ってから今までの記憶を辿り、

『……ッ』

唐突に理解した。『おまえ、俺のこと好きなの?』と訊いた俺に、黒猫は、
『好きよ……あなたの妹が、あなたのことを好きなくらいには』
『好きよ……あなたの妹が、あなたのことを好きな気持ちに、負けないくらい』
と答えた。あのとき、俺は『好きよ』に続く妹の気持ちとの対比が、
『好き』という言葉が本来持つ意味を失わせるためにくっつけられたモノだと、信じて疑わなかった。
でもあの時と違って、今の俺は黒猫が純粋に俺を好いてくれていると知っている。
すると黒猫の言葉は、引き合いに出された桐乃の気持ちは、俄然その意味を変えて――。

『有り得ねえよ。黒猫、いくらなんでもそれは間違ってる』

俺は脳裏を過ぎった可能性を打ち払うようにかぶりを振った。
そんなことをちょっとでも真面目に考えちまった自分に、寒気がしたよ。
421: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 12:37:40.01 ID:X3NsEiFd0
『間違ってなんかいないわ。
 それは不思議なことではない、何も不思議なことではないのよ、先輩』

黒猫は生徒を諭す先生のような優しい声音で、

『ウェスタ―マーク効果という言葉を知っていて?
 人は幼い頃から一緒に育った相手――妹にとっての兄や、兄にとっての妹――を性的な目で持つことはないとされているわ。
 でも、もしもその関係が、長い空白期間によってリセットされてしまったとしたら……きゃっ』

気づけば俺は、テーブルを拳で叩いていた。

『やめろよ』

今考えても、ガキみたいな行動だったと思う。
耳に入れたくないことから逃げようとして、暴力に訴えるなんてよ。

-------

次の日曜日。
駅前の待ち合わせ場所に主人公が赴くと、そこで待っていたのはみやびではなく、りんこだった。

『な、なんでアンタがここにいるワケ!?』

それはこっちの台詞だよ。なんでお前がここに?と驚く主人公。
俺はみやびに言われてここに来たんだが、と事情を説明すると、

『ウソ、アンタも?
 く、くっそぉ~、みやびのやつ、あたしをハメたな~っ』

どうやらりんこの言うとおり、主人公とりんこはみやびに一杯食わされたようだ。
424: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 12:53:43.57 ID:X3NsEiFd0
これからどうするよ、と主人公が言うと、
りんこは腕を組んでそっぽを向き、それでいて顔をうっすらと赤らめながら、

『……ち、しょうがない。
 こうなったら、今日はアンタでガマンしてあげる』

それを照れ隠しだと察するくらいに成長した主人公は、
『デートみたいだな』とりんこをからかう。

『デ、デートじゃないっての!
 キモいからそれ以上近づくなっ!』

りんこは逃げるように早足で歩き出した後、
主人公が着いてきているか確かめるように振り返り、

『一緒に行ってあげるんだから、感謝しなさいよね!』

「全然デレねえな、りんこ」
「はぁ?デレの片鱗はところどころに見えてるじゃん」
「そうかあ?」
「あんた読解力なさすぎ」

桐乃は身を乗り出して、俺の手に自分の手を重ね、ログを表示させる。

「ここの『アンタでガマンしてあげる』って台詞、マジで主人公のこと嫌ってたら絶対言わないでしょ?
 主人公一人に買い物任せて帰っちゃうでしょ?」
「それくらいは言われんでも分かる」

俺が言ってるデレってのは、もっと誰の目に見ても明らかな好意の表現であってだな……。
429: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 13:50:25.63 ID:X3NsEiFd0
「りんこりんをイベント三つ四つこなしたらすぐデレる、そのへんのツンデレキャラと一緒にしないでくんない?」

桐乃は捲し立てる。

「この頃のりんこりんは、まだ主人公が自分のことをどう思ってるのか悩んでる状態なワケ!
 兄妹として仕方なく自分に接してくれているのか、
 それとも、一人の異性として意識してくれているのか……。
 てかこの主人公、ホント優柔不断な性格してるよねー。
 思わせぶりな態度とったかと思えば、すぐその後に有り得ないくらい冷める発言するしィ」

お前はどんだけりんこりんに感情移入してんだよ。
つーかこいつ、さっきから思いっきり俺の背中に胸が当たってることが分かってないのかね。
指摘したら指摘したでギャーギャー喚くだろうし、さっさと自分で気づいてくんねーかな。

--------

黒猫は怯まなかった。

『いいえ、やめないわ』

フッ、と小馬鹿にするように鼻を鳴らし、

『認めたくないのなら、はっきり言ってあげましょうか。
 あの女は――あなたの妹は、あなたのことが好きなのよ。兄としてではなく、一人の男として』

シンと静まり返っていた店内に、徐々に活気が戻ってくる。
俺は振り下ろした拳はそのままに、うまく働かない脳味噌で、黒猫の言葉を噛み締めていた。
431: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 14:22:57.41 ID:X3NsEiFd0
『なぜあなたの妹が、他でもないあなたに彼氏の代役を頼んだのか。
 なぜ知り合いの男に彼氏のフリをさせて、あなたの反応を伺うような真似をしたのか。
 あなたはもう少し、あの女の行動一つ一つにきちんとした濫觴を求めるべきよ』

桐乃さんは、お兄さんに、気づいて欲しかったんですよね――御鏡の問いかけに、桐乃は答えることができなかった。
言葉を詰まらせ、大粒の涙を零す妹に『なぜこんなことをしたんだ』と強く問い詰めなかったのは何故だ?
『無理に言わなくてもいい』と桐乃の頭を撫でて終わらせたのは何故だ?
兄の義務を果たすため?違う。
俺はみっともなく逃げだしたんだ。
俺は怖れていた。
妹の口から飛び出すかもしれない、俺と桐乃の関係を根底から覆す可能性を持つ言葉を。

『黒猫……俺は……』

面を上げて、そこで初めて、目の前の赤い瞳が潤みを帯びていることに気づく。
な、なんでお前が泣きそうになってんだよ。




455: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 20:00:25.74 ID:X3NsEiFd0

『あなたに告白する前の日の夜、わたしはあなたの妹と電話で、
 あなたに思いを告げることを宣言した。反対されても、やめる気はなかった。
 けれどあなたの妹は動じずに、確信に満ちた声でこう言ったわ』

黒猫は桐乃の声色を真似る努力もせずに、

『兄貴はね、あたしのことが一番大切なの』

眼窩を過ぎるのは、リビングでの一幕。
桐乃のことが大好きだと宣った御鏡に、俺は真っ向から言ってやった。
俺よりも桐乃を大切にできると認めさせなければ桐乃はやらん、と。

『あなたの妹はね、暗にわたしがフラれることを予言したのよ。
 どこの世界に妹のために彼女を作らない男がいるのかと、せせら笑ってやりたい気分になったわ。
 けれど、あなたとあなたの妹に限っては、それも有り得ると考えてしまう自分がいたの』

黒猫の真っ白な頬を、小粒の涙が伝う。

『それでも、諦めることなんてできなかった。
 わたしにとってもっとも望ましい結果がもたらされるようにわたしなりの全力を尽くすと、
 そうしなければ嘘になると、わたしは他でもないあなた自身に誓ったのだから』
460: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 21:14:56.37 ID:X3NsEiFd0
両頬を伝う涙は、やがて顎先で合流し、雫となってテーブルに落ちる。
黒猫は畳みかけるように言った。

『ねえ、あなたは……あなたが返事を保留にするのはどうして?
 焦らされるのは、もう厭よ。
 わたしよりもあなたの妹が好きなら、はっきりとそう言えばいいわ』
『違う、違うんだ黒猫、俺は……』
『妹のことが好きじゃない、なんて白々しい台詞はやめて頂戴ね。
 胸に手を当てて顧みてごらんなさい。
 その上でまだ自己欺瞞を続けるつもりなら、わたしはあなたに失望せざるを得ないわ』
『お前の言うとおり、確かに俺は桐乃のことを、好きなのかもしれない。
 でも……でもさ、それはあくまで兄妹としての好きであって、異性としての好きじゃない。
 百歩譲って桐乃が俺を異性として好きなんだとしても、俺が桐乃をそういう目で見るなんてことは有り得ねえよ』

それなら――と黒猫は酷く醒めた声で言った。

『あなたは今口にしたものと全く同じ言葉を、あなたの妹に突きつけることができるというの?』

--------

『あっ……この公園……』

買い物の帰り道、りんこは寂れた小さな公園の前で足を止めた。
以前、主人公とみやびが訪れたことのある公園だ。
風に吹かれ、寂しげに揺れるブランコを見つめるりんこに、主人公は寄り道を提案する。

『こ、こんなトコに寄っても意味ないじゃん。
 早く帰ろうよ。みやびも待ってるし……ッ!触んな、変態!』

主人公は喚くりんこの背中を押して、公園に足を踏み入れた。
461: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 21:32:21.64 ID:X3NsEiFd0
りんこはブランコの一つに腰を下ろし、足をぷらぷらと遊ばせる。
その光景がなぜか、主人公の胸を締め付けた。
こがないのか、と尋ねると、りんこは自嘲気味に笑んで、

『アタシ、ブランコこぐの下手なんだ』

小さな期待を込めた瞳で、上目遣いに見つめてくる。

選択肢。
・押してやる 
・押すかどうか迷う
・逃げる
俺は迷わず一番上を選んだ。

『……………な、何するつもり?』

りんこの背後に回り込み、華奢な背中をそっと押し出す。
徐々に大きくなる振れ幅。りんこの表情に、あどけない笑みが浮かぶ。
郷愁に似た切なさが、主人公の胸に去来したその時――。

『あーっ、アンタ今、アタシのお尻触ったでしょ!?』

りんこは突然ブランコから飛び降り、綺麗に砂場に着地した。
主人公に、りんこのお尻を触った覚えはない。
きっと、主人公にされるがままになっている自分に気が付いて、恥ずかしくなったのだろう。

『変態ッ、痴漢ッ、強姦魔ッ!』

はいはい。主人公は溜息を吐いて歩き出す。
隣に感じるりんこの気配。また来ような。主人公の言葉にりんこは応えない。
464: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/18(土) 22:13:09.48 ID:X3NsEiFd0
主人公は誰ともなしに呟いた。
前にも、りんこと一緒に公園で遊んだことがあるような気がするんだ。
りんこは絞り出すような声で言った。

『……前って、いつ?』

・りんこがもっと小さかった頃
・気のせいか

直感的に分かったよ。
前者は一周目のプレイでは選択不可能、という表示さえされない選択肢だ。
やむなく『気のせいか』を選び、涙を呑んだプレイヤーだけが、ハッピーエンドに到達できる仕組みなんだろう。
なぜ初めてプレイした俺に、両方の選択肢が見えているかと言えば、
それはこの『しすしす』が桐乃の手によって一度コンプリートされているからで、
その恩恵にあずかり、上の選択肢をクリックすると、
後ろで見ていた桐乃が絞り出すような声で訊いてきた。

「……なんで、そっち選んだの?」
「わざわざ好感度が下がりそうな方を選ぶほど俺は馬鹿じゃねえよ。
 BADエンド見てる時間ももったいねえしな」
「あっそ」

---------

桐乃を異性として意識することは有り得ないと、桐乃本人に言うことができるかどうか。
『できる』――喉もとまで迫り上がってきた言葉を、あろうことか俺は呑み込んだ。
愕然としたね。
黒猫に嘘を言うことは簡単だ。でも、自分は誤魔化せない。
俺は泣きじゃくる桐乃を思い描いて、そんなことは『できない』と思った。思ってしまった。
471: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 00:01:49.82 ID:bXAtVviK0
黒猫は一瞬顔をくしゃっと歪め、すぐに持ち直すと、

『それがあなたの答えよ。認めてしまいなさい。
 "客観的"に見て、あなたの、あなたの妹に対する独占欲、庇護欲は、シスコンの限度を逸しているのよ。
 あなたは自分が妹を性的な存在として意識している事実から、これまで必死に目を背けていただけ。
 でも、良かったわね。あなたの妹は、あなたに異性として愛情を注がれることを何よりも望んでいたのだから。
 何も問題はない……そう、何も問題はないわ』 

伝票を手に、席を立つ。
待ってくれ、と呼びかけた俺を、黒猫は濡れた瞳で一瞥し、

『予言はある意味で正しかったと、あなたの妹に伝えておいて頂戴。
 知っていて?"解呪"はあなたの妹にもできるのよ。
 むしろ呪いの上書きという意味では、わたしがするよりもずっと効果があるでしょうね』

踵を返し、去っていく黒猫。
488: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 01:36:17.51 ID:bXAtVviK0
追いかけなくていいのか、と心の裡で誰かが囁く。
なのに体はテーブルに縛り付けられたみたいに動かない。
それくらい、黒猫が俺に突き付けた『可能性』の衝撃は大きかった。

――桐乃は俺を好いている。それも、兄としてではなく、一人の男として。

その『可能性』は、確かに桐乃の不可解な行動原理を、綺麗に解き明かしてくれる。
桐乃が御鏡を彼氏に仕立て上げたのは、
俺の嫉妬を誘うため、俺の妹に対する気持ちを確かめるためだった。
黒猫に告白されたあの日、家に帰ってきた俺を出迎えた桐乃は、
俺が黒猫の告白に首肯しなかったこと知るやいなや、雰囲気を明るくした。
桐乃は恐らく安堵していた。
『俺が黒猫よりも自分を選んだ』と確信し喜んでいた。
だとするならば、今日の桐乃の黒猫に対する妙に物柔らかだった態度は、
告白に失敗した友人への慰めとも見て取れる。

……なんだか馬鹿らしくなってきたよ。
俺は何を大真面目に、妹が俺を好きだという仮定で物を話しているんだろうな。
馬鹿馬鹿しさついでに、黒猫が語ったもう一つの『可能性』について考えてみる。

――桐乃がそうであるように、俺も実は血の繋がった妹を異性として好いている。

確かに客観的に見れば、俺の妹に対する独占欲、庇護欲は、シスコンの限度を逸しているのかもしれない。
留学したあいつを寂しいからという理由で無理矢理こっちに連れ戻したり、
男としては完璧なスペックを持ち、『桐乃のことが大好きだ』と言ってみせた御鏡に、
『お前に桐乃はやらん』と啖呵を切ったり……。
小さいことも含めれば、俺が桐乃のことでおかしくなっちまった例は枚挙に暇がねえよ。
489: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 02:01:30.74 ID:bXAtVviK0
でもな、黒猫。
お前がそのご立派な客観視で、俺と桐乃の関係を決めつけようと、
結局最後にものを言うのは、俺の主観なんだ。

追いかけなくていいのか、と再び心の裡で誰かが囁く。
――追いかけるに決まってんだろ。
俺は喫茶店を飛び出した。

-------

病室を出た主人公は、壁にもたれ掛かり目を泣き腫らしているりんこを発見する。
話は終わったよ、と主人公が言うと、りんこは頭を主人公の胸に預け、

『みやびに、なんて返事したの?』

主人公はみやびに言ったことを、そのまま腕の中のりんこに伝える。
みやびの気持ちに応えることはできない、
みやびのことは大切だけど、それ以上にりんこのことが大切だから。

『みやび、泣いてたでしょ?』

主人公が首肯すると、りんこは嗚咽を漏らして、リノリウムの床に大粒の涙を落とした。

『ゴメン……ゴメンね……みやび……』

みやびは重い病に罹っていた。
顔色が優れない日が続いていて、主人公が病院に連れて行こうと考えていた折に倒れたのだ。
治る確率はゼロに等しい、と主治医に宣告され、主人公に出来ることは奇跡を願う他に何も無かった。
491: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 02:25:48.23 ID:bXAtVviK0
主人公にとって一番辛かったのは、
主人公以外の人間がみやびが不治の病に罹患していることを知っていたことだ。
みやびは主人公と『兄妹』でいる時間を少しでも長くするために、入院の要請を頑なに拒んでいた。
搬送先の病院で、一時的に容態が落ち着いたみやびは、
病室に主人公を呼び、りんこと主人公の関係を知りながらも、これまでずっと主人公が好きだったと伝えたのだった。

「このシーン、何度見ても泣けるよね~…。ホント神様って残酷だわぁ」

スン、と洟を啜る桐乃。
どっかの携帯小説家はこれよりもっと残酷で惨たらしいストーリーを書いていた気がするんだが?

「携帯小説とエロゲは別モンじゃん」

さいですか。
肩に鼻水垂らすんじゃねえぞ、と釘を刺しつつ、クリックを再開する。

『……ひぐっ……えぐっ………みやび……みやび……』

治療の甲斐も虚しく、みやびは死んだ。
主人公は泣きじゃくるりんこの体を、優しく背後から包み込みながら、
まるで子守歌のように、慰めの言葉を繰り返す。

『兄貴も辛いよね……本当は誰かに慰めて欲しいんだよね……ごめんね、アタシだけ……』

主人公はりんこの頭を撫でてやる。
密着した体から伝わる、りんこの温もり。りんこの柔らかさ。
小さな女の子のように慟哭するりんこは、どうしようもなく無防備で――
493: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 02:39:46.44 ID:bXAtVviK0
選択肢。
・襲う
・慰め続ける
下を選ぶと、桐乃は意外そうに言った。

「やるじゃん。今の上選んでたらBAD直行だったよ」

自分の分身とも言うべき存在がいなくなって悲しみに暮れてるところを襲うとかどんだけ鬼畜だよ。
つーかお前、なんでBAD直行って知ってんの?選んだことあるのかよ。

「CGコンプのために仕方なく!あたしが好き好んでりんこりんに酷いことするワケないでしょ!?」
「はいはい俺が悪かったからデカい声出すのはやめろ」

時計を見る。午前一時。流石にお袋たちも浅い眠りについている時間だ。
始めたのは八時前だから、もう五時間もぶっ続けでプレイしてるのか。
物語は佳境に入ってるし、エンディングまではあと一時間ってところかね?
俺はうんと伸びをして、気合いを入れ直した。

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504: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 11:52:50.13 ID:bXAtVviK0
黒猫を見つけたのは、改札の向こう側だった。
恥も外聞も捨てて叫ぶ。

『黒猫!』

黒猫は振り返らない。
が、声は届いたようで、歩みを止めて待ってくれている。
大急ぎで一番安い切符を買い、改札をくぐって黒猫に近づいた。

『はぁっ……はぁっ……』

膝に手をついて、呼吸を整えて、

『認める。認めるよ!
 俺は妹のことが大好きだ。
 桐乃のことが可愛くて可愛くてしかたねえし、心配で心配でたまらねえ。
 桐乃がお前に電話で言った、俺が桐乃のことを一番大切に思ってるって台詞も、全然間違ってねえ!』
『あ、あなた……この衆人環視の中で、何を叫んでいるの……!?』

こちらを向いた黒猫の両頬には、まだ涙の痕が幾筋も残っていた。

『俺がお前の告白にちゃんと応えられなかったのは、桐乃のことが頭の中に浮かんできたからだ』

麻奈実との温い関係や、沙織が一生懸命作ったサークルを壊してしまう懸念は、
しょせん、その事実を誤魔化すための、自己暗示みたいなモンだった。
だってそうだろ、どこの世界に妹の嫉妬が怖くて彼女を作るのを躊躇う兄貴がいるってんだ?
俺は自分が例外だってことを認めたくなかったんだよ。
今日、お前にはっきりその事実を突き付けられるまでな。
506: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 12:38:08.87 ID:bXAtVviK0
『そう。きちんと自覚できたようで何よりだわ。
 わたしが熱弁を振るった甲斐もあったというもの……ね……』

ぶわ、と黒猫の双眸が潤み出す。
こんなに可愛い女の子を一日に二度も泣かせるとかどんだけ罪作りな男だよ、俺は。

『それで?あなたはその決意を告げるために、わざわざここまで追いかけてきたというわけ?
 ッ……近親相姦でもなんでも、勝手にするがいいわ……!
 ただし、盛るならわたしの見えないところでやって頂戴』

もの凄い台詞を大声で叩きつけ、駅構内に歩いて行く黒猫。
肩を掴むと、振り向きざまに頬を張られた。
痺れるような痛みを堪えながら、

『俺が桐乃のことを好きだって気持ちは、どこまで行っても兄妹としての好きに変わりはないよ』
『だからっ……だからそれは、あなたがそう思い込んでいるだけで……!』
『思い込みもクソもねえよ。
 確かに傍からは、俺は桐乃を溺愛しているように……異性として好きなように見られてるのかもしれねえ。
 ……でも、そんなの関係ねえんだ。一番大事なのは、他の誰でもないこの"俺"がどう思っているかだろ。
 俺は……俺はやっぱり、兄妹同士で、その、恋人みてえな関係になるのはおかしいと思う』
511: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 13:35:26.28 ID:bXAtVviK0
俺は黒猫を真っ直ぐに見据えて言った。

『俺が一人の女の子として好きなのはお前だけだよ。
 この気持ちは、桐乃への気持ちとは別物だ』
『………優しい嘘はやめて頂戴』
『嘘じゃねえ。
 確かにオフ会で見初めたときは、なんてトチ狂った女だと思ったよ。
 服装はゴスロリに猫耳だし、喋る言葉の端々に電波入ってるし、俺への態度は辛辣だし……。
 それでも何度か一緒に遊ぶうちに、だんだんお前の本質が分かってきた』

お前は本当は寂しがりやで、負けず嫌いで、友達想いで、心優しい女の子だ。
お前が俺を見ていてくれたように、俺もお前のことを見てたんだから間違いねえよ。

『コミケ行ったり、出版社に持ち込みしたり、ゲーム作ったり……。
 一緒になって何かするたびに、俺はちょっとずつ、お前のことが好きになっていったんだ。
 いいか、もう一度言うぜ。
 この気持ちは、桐乃への気持ちとは別物だ。まったく別の物なんだよ、黒猫』

------

みやびの葬儀が終わってから数日後の夜。

『バカ兄貴……こっち来て……』

清冽な白のシーツの上で、りんこは甘えるような声で主人公を誘う。
瑞々しく弾力に富んだ肌に指が触れると、りんこはぎゅっと目を瞑り、

『あ、あのさ……ちゃんと優しくしてよね』
515: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 13:53:21.14 ID:bXAtVviK0
主人公は丁寧にりんこの服を脱がせ、たっぷりと時間をかけて愛撫する。
耳を甘噛みし、瞼、鼻先、頬にキスをして、最後にりんこの薔薇色の唇に、自分のそれを合わせた。

『ん……んむっ………』

舌先を入れると、りんこは一瞬だけ身体を強張らせたが、
すぐに主人公の舌を受け入れ、熱く濡れた自分の舌を絡ませてきた。
室内に妖艶な水音が響く。
りんこは唇と唇を繋ぐ銀色の糸を指で断ち切りながら、

『……兄貴……アタシたち……すごくエッチなことしてるね……』

熱く怒張した主人公の愚息に、そっと手を伸ばす。

『兄貴の……すごく苦しそう……しても、いいんだよ……アタシは平気だから』

それがりんこの強がりだと知りながら、
主人公は固く閉じたりんこの秘所に、唾液で濡らした指を這わす……。


「…………なあ、Hシーン終わるまでスキップしねえか?」
「な、なんで?」

上擦った声で聞き返してくる桐乃。
なんでって、気まずいからに決まってんだろうが!
妹に見られながらHシーン(しかも近親相姦)鑑賞するとかどんな羞恥プレイもとい拷問だよ!
4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 19:08:24.04 ID:bXAtVviK0
「あっ、あんたが意識しなけりゃいいだけじゃん。
 あたしみたいに、もっと純粋にりんこりんを愛でることができないワケぇ?」

桐乃はひょいと俺の肩から顔を出し、視線を下に向けると、みるみるうちに顔を紅潮させて、

「うわ……勃ってるし……キモぉ」

うっせ。これは男として当然の生理的反応だっつうの。
目の前にこんなエロっちいCGとテキスト示されて反応しないヤツは、不能者か聖人くらいだろうよ。
それに、

「お前もなんだかんだ言って、こういうシーン見ながら――」
「こういうシーン見ながら、なに?」
「なんでもねえよ」

危ねえ危ねえ。こういうことは冗談でも言ったら殺される。
結局その後、桐乃からスキップのお許しは出ず、
俺はクリックを連打しつつCGから目を逸らしつつエロボイスに耳を塞ぎつつ、Hシーンを完走した。
自分で言うのもなんだが、報奨モンだよ。
誰も誉めちゃくれねーけどさ。

初Hを終えた主人公とりんこは、この関係を周囲に隠したまま生きていくことを誓い合う。
季節は巡り、春。
大学生になった主人公は、大学近くの安普請のアパートに引っ越すことになった。
調度に乏しい、殺風景な部屋を眺めて、主人公は溜息を吐く。
みやびやりんこと一緒に暮らしていた日々が懐かしい……。

『なぁ~にしょぼくれてんの?バカ兄貴』

そんな主人公の背中を、りんこは後ろからぎゅっと抱きしめてくれる。
8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 19:22:52.77 ID:bXAtVviK0
りんこは主人公の大学に程近い高校に入学した。
理由はもちろん、主人公と同棲するためだ。

『アタシがいるから……寂しくないでしょ?』

そうだな。主人公は窓外に視線を転じ、
高く澄んだ蒼穹を舞い散る桜の花びらに、新しい季節の到来を予感する。
きっとみやびも空の上から、主人公とりんこの新たな門出を祝ってくれているに違いない。

『ずっと……ずっとずっと、一緒だからね……』

りんこの言葉に、主人公は強く頷いた。
暗転する画面。
表示される『Happy End』の文字。

「終わったな……」
「終わったね……」

ほう、と俺たちはそろって息を吐く。
しすしすプレイ中、突っ込みどころは至る所にあったし、
三行に要約できるような薄っぺらいストーリーだったが……なかなかどうして、感慨に耽っている俺だった。
おっかしーな、急に画面の解像度が低下しやがった。

「ぷくくっ、何ちょっと涙ぐんでんの、あんた」

うるせえ。お前も初プレイ時には大泣きしたんだろうが。
11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 19:44:15.75 ID:bXAtVviK0
桐乃は腹の立つクスクス笑いを響かせながらも、ティッシュを箱ごと渡してくれる。
ふん、気が利くじゃねえか。でも、なんで箱ごと?

「いいからいいから。持っときなって」

桐乃の意味深な言葉の意味が分かったのは、スタッフロールが流れ出してからだ。
妹と兄の切ない擦れ違いを歌った曲をBGMに、
りんこと主人公の写真が、スライドショーで映し出される。
くそっ、こんなの反則だろうが!
最初は主人公に対して険しい表情しか見せていなかったりんこが、
徐々に主人公に心を開いていく過程を改めて見せつけるなんてよ……。
そして最後に表示される、ブランコに乗った幼いりんこが、同じく幼い主人公に背中を押されている一枚。
幼いりんこは義理の兄がどんな人か知るために、
慣れないバスを乗り継いで、主人公の住む街にやってきた。
そして、偶然公園で主人公を見つけ、一緒に遊んでもらった記憶を、ずっと胸の中で大切に温め続けていたのだった……。
『fin』の文字を見て、今度こそ本当に、りんこりんルートが終わってしまったことを理解する。

「これ、ファンディスクとかねえの?」

無意識のうちに訊いていたよ。

「今年の冬に発売だって。
 ライターさん忙しいらしくてさぁ、なかなか執筆の時間取れないみたい。
 にしても、よく一回もBADエンド見ずにクリアできたね?」

選択肢は特に何も考えず、直感的に選んでたんだがな。

「あんたやっぱさぁ、エロゲの才能あるんじゃない?」

いらねーよそんな才能。
18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 20:52:24.41 ID:bXAtVviK0
時計を見ると、二時を少し回っていた。
ウィンドウを閉じて、パソコンの電源を落とす。

「あっ、電源つけたままで良かったのに」
「まだネットサーフィンするつもりだったのかよ。
 夜更かしは肌の大敵だぜ。モデルが体調管理怠ってどうするよ」
「そーいう心配は十代のあたしには関係ないしィ」
「そうかい」

桐乃は椅子を回転させ、俺と向き合う形になって言った。

「エロゲが終わったら、その次は感想タイムだから。
 りんこルート……あんた的には、どうだった?」

神だの最高だのと奉られようが所詮はお涙頂戴の三文ストーリーだった、と言いたいところだが、

「不覚にも涙ぐんじまったよ。つーか、お前も見てたじゃねえか」
「あんたが泣くのは最初から分かってたし。初見で泣かないのは人の皮被った悪魔だし。
 あたしが訊いてるのは、そういう全体を通してのは感想じゃなくて……。
 ……ッ、りんこりんルートのエピソードに、ひとつくらい共感したのは無かったワケ?」
20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 21:16:41.41 ID:bXAtVviK0
俺は頬をポリポリ掻きつつ、

「共感ってなあ……お前、義理の双子姉妹がいない俺にどこでどう共感しろってんだよ?」
「本当に、何も無かったんだ?」

膝を抱えて、拗ねたような顔になる桐乃。
そうだな、強いて言うなら、

「物語途中までのりんこの性格は、お前そっくりだったかな?」
「…………ッ」

あれ、もしかして今地雷踏んだ?
恐る恐る反応を伺うと、桐乃は寂しげな微笑を浮かべて、消え入るような声で呟いた。

「覚えてるわけ、ないよね」

エロゲと違って、現実に明確な選択肢は現れない。
共感できないものは共感できないと言うほかないし、覚えていないことには覚えていないと言うしかない。
だから俺はその代わりにと、桐乃の頭に右手を乗せた。
なんで、と桐乃の微かに湿った目が訴えかけてくる。

「撫でたくなったから、撫でてるだけだ」

そうだ。兄貴が妹の頭を撫でるのに、特別な理由なんて要らない。
桐乃は午睡しようか迷っている猫のように目を細め、そっと身体を近づけてきた。

「兄貴……あたしさ……兄貴に、ずっと言おうと思ってたことがあって……。
 ホントは海外に行く前の夜に言うつもりだったんだけど、その時は、勇気が出せなくて……」
23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 21:51:27.86 ID:bXAtVviK0
そこでいったん言葉を切り、苦しそうな顔で見上げてくる。
胸中に去来した感覚は、以前、一度味わったものだった。
――桐乃さんは、お兄さんに、気づいて欲しかったんですよね?
御鏡の言葉を勢いよく否定した桐乃は、じゃあ何だよ、と尋ねた俺に、これとまったく同じ顔をして見せたのだ。
自慢じゃないが、俺の直感は往々にして正しい。
だから、これが何度も先延ばしにされた分水嶺で、
ここを通過してしまえば――このまま桐乃の言葉に耳を傾けてしまえば、取り返しの付かないことになると思った。

「桐乃」
「な、なに?」
「……俺もお前に、話しておかなくちゃならないことがあるんだ。先に聞いてくれるか?」

コクリ、と頷く桐乃。
透き通った碧眼には、不安と期待、両方の色が浮かんでいた。
先に謝らせてくれ。

ごめんな、桐乃。

俺が今から言う言葉は、お前を傷つけるかもしれない。
一年と半年前から、ずっと温め直してきたお前との関係を、また振り出しに戻してしまうことになるかもしれない。
でも俺は――俺は誰よりも最初に、お前に話しておきたいんだ。

「黒猫と、付き合うことにした」




33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 23:01:18.61 ID:bXAtVviK0
草木も眠る丑三つ時。
お互いの息遣いだけが、痛いほどの静寂を乱す。
桐乃は目を瞠ったまま、夢現で言葉を紡いだ。

「嘘……嘘だよね……?
 一昨日は、黒猫の告白を断ったって……」
「誰もそんなことは言ってないだろ。一日、待ってもらってただけだ」
「なんで……」
「その場の勢いで答えたら、後悔することになると思ったんだよ」
「いつ……黒いのに返事したの……」
「昨日、黒猫を駅まで送ったときに言った」

桐乃はきゅっと下唇を噛み締め、俯く。
前髪が表情の半分を覆い隠してしまう。
が……ひとつ、またひとつとシーツの上に描かれる水玉模様が、
今桐乃が何を思い、何を感じているのか、如実に物語っていた。

「あんた……黒いののこと、好きだったんだ……?」
「……ああ」
「ふぅーん……、じゃあ、両思いだったんだ……サイッコーに幸せだね……」
「……ああ、そうだな」
48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/19(日) 23:50:39.08 ID:bXAtVviK0
「あはっ……馬鹿みたいだね、あたし……。
 ……あんたにはもう、本当の彼女がいたのに……あんたの彼女のフリなんかしてさ……」

桐乃は涙で濡れた顔を、精一杯の笑顔に変えて、

「……笑っていいよ?あたしのこと……。
 今度、あんたに買ってもらった服のお金、ちゃんと返すから」
「桐乃」
「あっ、服も持ってく?
 黒いのにプレゼントしたら喜ぶんじゃない?
 なんならあのイヤリングも一緒に――」
「桐乃、それは"俺"が"お前"にあげたモンだ」
「そっか。そう、だよね。
 あたしのお古なんて、新しい彼女に渡せないよね……」

桐乃が言葉を重ねるたび、罪悪感が肥大していく。
もういいだろ、桐乃。それ以上自分を虐めるな。
俺は妹の戦慄く肩に、そっと手を伸ばした。
否、伸ばそうとした。

「触んなっ……そういうの、もうやめてくんない?……マジでウザいし、キモいから」
53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 00:33:04.44 ID:KU/Wy8bd0
「桐乃……お前……」 
「いい年して妹相手に馴れ馴れしくすんなっつうの。
 ちょっと優しくしただけで勘違いするとか非モテの典型じゃん。
 従順な妹の演技するのもそろそろ我慢の限界ってゆーかァ、
 さっき頭撫でられたときも、吐き気我慢するの超大変だったしィ」
「…………」
「てか、妹の友達に手出すとかマジ有り得ないんですケドぉ。
 あんた、自分が最低なコトしてるって自覚ある?
 あるワケないよね~、どうせ黒いのと、え、Hするコトしか頭に無かったんでしょ?」
「…………」
「あんたみたいなキモ男に告白するとか、黒いのも相当な好き者だよねー。
 あんたが彼氏とか、罰ゲーム以外の何物でもないっしょ?」
「…………」
「ッ……なんで……?」
「…………」
「おかしいよ……なんでここまで言われて怒んないの?」

俺は黙って桐乃の頬に手を伸ばし、止め処無く溢れ出す涙の筋を、親指の腹で拭ってやる。
お前は『モデル』にはなれても『女優』にはなれそうにないな。

「そういうコト、するから……そうやって誰にでも優しくするから……勘違いしちゃうんでしょ……」
61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 01:27:48.19 ID:KU/Wy8bd0
桐乃は俺の手の上に自分の手を重ねて、
数秒目を閉じた後で、ゆっくり俺の手を払い除けた。

「……出てって」

首を横に振る。
こんな状態のお前を残して、部屋に戻れるわけがねえだろうが。

「出てってって、言ってるじゃん……!」

なおも首を横に振ると、ウサギのぬいぐるみが飛んできた。
タコのぬいぐるみ、トラのぬいぐるみ、クマのぬいぐるみと続き、
最後に投げつけられたハートのクッションだけが俺の顔面を逸れて、箪笥の上の写真立てを倒した。
飾られていたのは、沙織と黒猫と桐乃の三人が初めて秋葉でオフ会した時の写真だ。
まるでこれからの未来を暗示してるみたいだな、と一瞬でもそう思っちまった自分が嫌になる。

「お願いだから……一人にしてよ……」

このまま居座っても、桐乃を宥めることはできそうにない。

「……おやすみ」

返事をもらえないまま、ドアを閉めた。
その後、自分の部屋に戻った俺は、壁越しに妹の気配を感じながら、眠れない夜を過ごした。



寝る
現在5/10消化 9/10あたりまでは黒猫のターン
桐乃ペロペロ
94: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 18:26:06.06 ID:KU/Wy8bd0
駅前の駐輪場に自転車を止めた俺は、
いつものクセで額を拭い、ちっとも手の甲が濡れていないことに気が付いた。
今日は過ごしやすい一日となるでしょう、という天気予報士のお告げは正しかったようだ。
空には薄い雲が斑模様に広がっていて、盛夏の日差しを和らげてくれている。
風は少し強いくらいで、駅から流れ出てくる人々は、
一様に目を瞬かせ、髪型の乱れを気にする素振りを見せる。

「早く着きすぎちまったかな」

俺は腕時計から駅前に視線を転じ、やがて小さな人だかりの隙間に、待ち人の姿を見た。
つば広帽子に、真っ白なワンピース。
腰まで届く艶やかな黒髪が、整った顔立ちを縁取っている。
和風美人という言葉がぴったりのその少女は、
しかしその容姿を見られまいとするかのように、体を縮こまらせていた。

「せ……せんぱ……」

俺の姿を認めた黒猫は、今にも泣きそうな声でそう言った。
俺は黒猫を囲んでいた野郎どもをぐるりと見渡し、

「こいつらお前の知り合いか?」
「違うわ」
「だよな」

黒猫の手を引いて歩き出す。
取り巻き連中の一人が何か言ってきたが、全部無視して歩き続けた。
98: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 19:08:17.81 ID:KU/Wy8bd0
どれくらい歩いただろう。

「はぁ……はぁっ……追っては、こないみたいよ……っ……」
「そっか、……って、急ぎ足で引っ張っちまって悪かったな。大丈夫か?」

黒猫は胸に手を当てて乱れた息を整え、

「問題ないわ。あなたは、わたしを助けようとしてくれたのでしょう?」

優しく笑んで、上目遣いに見つめてくる。
か、可愛すぎる。これ、狙ってやってんなら反則だからな?
俺は頬をカリカリ掻きつつ、

「まあ、それはそうだけどよ……つーか、お前さあ、待ち合わせの時間分かってるか?
 十時だぜ、十時。早く来すぎだっつうの」
「それはあなたが偉そうに言える台詞ではないでしょう?」

分かってねえなあ、コイツ。

「お前は俺を待たせる側なの」
「とんだフェミニストね」
「バーカ。俺よりも早く来てナンパされてたら世話ねえだろうが」
107: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 20:04:35.36 ID:KU/Wy8bd0
「……あなたは重大な勘違いをしているわ。
 わたしは千葉の堕天聖黒猫。
 人間風情が束になってかかってきたところで、闇の眷属たるわたしに敵うわけがない。
 もしも『頻闇の帳(ブラインドフィールド)』を展開していれば、
 彼らはわたしを傷つけるどころか、わたしを認識することすらできない愚図に成り下がっていたでしょうね」

嘘こけ。
俺が駆けつけた時は思いっきり泣きそうだったじゃねえか。
ついでに言っとけば、

「今日のお前は黒猫じゃなくて、白猫だろ」
「またこの前と同じことを言うのね……白猫だったら何だと言うの?」
「電波発言は控えめにしとけってこと。
 私服姿のお前がそういう台詞口にしても、全然似合わねえから」
「フン。わたしの知ったことではないわ」

黒猫は拗ねるように唇を尖らせ、胸を反らせる。
真っ白なワンピースの上で、陽光を弾き銀色に輝くロザリオ。
この前のコミケで、俺が黒猫に買ってやったものだ。

「着けてきてくれたんだな」
113: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 20:36:37.80 ID:KU/Wy8bd0
「あ、当たり前でしょう?」

黒猫は赤くなった顔を隠すように俯くと、

「これはあなたがわたしにくれた……初めてのプレゼントなのよ」

愛おしげに、指先でロザリオを撫でる。
その仕草は妙に扇情的で、俺はカッと顔が熱くなるのを感じた。
おいおい、ここで照れ隠しするのがいつもの黒猫だろ?

「『今日のわたしは黒猫ではなく白猫だ』と言ったのは、あなたじゃない」

繋いだ手に力が籠もる。

「ねえ……もしも……もしもあなたが望むなら……。
 わたしはあなたの前でだけ、ずっと白猫のままでいてもいいわ」

ちょ、ちょっと待った!
落ち着け白猫――じゃない、黒猫!
お前最初から飛ばしすぎだよ。デート開始からまだ20分しか経ってないんだぜ?
クスリ。黒猫は妖艶に笑み、

「ふふっ、本当に騙されやすい雄ね。
 わたしが自分のアイデンティティをそう簡単に捨てられるわけがないじゃない」

で、ですよねー。ほっと胸を撫で下ろしたよ。
残念な気がしなかったと言えば、嘘になるけどさ。
122: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 21:09:38.01 ID:KU/Wy8bd0
「でも……呼び方を変えることは可能よ」

視線を俺の唇に注ぎ、意味深な呟きを漏らす黒猫。

「じゃあ、これからは白猫って呼んでもいいのか?」

と真顔で訊くと、

「…………ッ」

軽蔑の眼差しが飛んできた。
えっ?俺何か間違ったこと言った?
呼び方を変えてもいいって、そういうことだったんじゃないの?
黒猫は苛立たしげに目を眇め、

「わたしたちの関係に、もっと相応しい呼び方があるでしょう?
 あなたは既に知っているはずよ。
 わたしの真名ではないほうの……人間に擬態しているときの、仮の名前を」
「あっ……」

ここまで言われなくちゃ分からない自分に、ほとほと嫌気がさしてくるね。

「五更……瑠璃……」
「長すぎるわ」

ここで名字を選ぶほど、俺の脳味噌は終わっちゃいない。

「瑠璃」
127: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 21:31:55.20 ID:KU/Wy8bd0
「そう、それでいいのよ」

黒猫は――瑠璃は満足げに頷くと、

「このままでは不公平だから……わたしも、あなたの呼び方を変えるわ」

顔を完熟した林檎みたいに真っ赤にして、

「京介」

『兄さん』でも『先輩』でもない、俺の名前を呼んでくれた。
顔面の筋肉に力が入らない。
鏡が無いので分からないが、俺の顔は緩みに緩み、鑑賞に堪えないものに成り果てているに違いなかった。
元々見るに堪えない顔だって?ほっとけや。

「瑠璃……瑠璃……」

語感を確かめるように、何度も繰り返し、黒猫の本当の名前を口にする。
ああ、瑠璃にとっては『黒猫』が本当の名前なんだったっけ。

「は、恥ずかしいから無意味に連呼しないで頂戴」
「別にいいだろ、減るモンでもないしよ」
138: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 21:54:32.84 ID:KU/Wy8bd0
手を繋ぎ、お互いの本当の名前を呼び合う――。
ただそれだけで、瑠璃と恋人同士になったことを強く実感した。
ともすれば幸福感に酔い痴れそうになる理性を奮い立たせ、
俺は彼女に喜んでもらえそうな、午前中のデートプランを提案する。



1、秋葉原
2、自由記述

2はできれば千葉県内の観光できるところでお願い
あまりにデートスポットからかけ離れていたら自動的に1で

>>145
144: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 21:58:46.27 ID:pZHm48Wr0
中央公園
145: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 21:59:00.62 ID:pZHm48Wr0
>>144
147: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/20(月) 22:41:47.10 ID:KU/Wy8bd0
所変わって中央公園。

「ベルフェゴールの好きそうな場所ね。倦怠と堕落の香りがするわ」

敷地内に足を踏み入れた瑠璃は、開口一番、小馬鹿にするような笑みを浮かべてそう言った。
倦怠と堕落の香りって何だよ。さっぱり分からん。

「飯の時間までは、ここでのんびりしてようぜ」

俺は瑠璃の手を引いて、池に臨んだ遊歩道を歩いて行く。
何度も言うが、ここは初見で感じるほど退屈な場所じゃない。
木漏れ日が織りなす幾何学模様や湖面で弾ける陽光が目を楽しませてくれるし、
草いきれを孕んだ涼風は、現代社会に生きることで摩耗した心を優しく撫でてくれる……って、完璧思考がジジイだわ。
無難な選択をしたつもりだったけど、退屈させてねえかな?
恐る恐る瑠璃の様子を伺うと……。

「綺麗なところね」

穏やかな表情で、そう言ってくれたよ。
言葉少なに散歩を続けていると、やがて右手に、あのベンチが見えてきた。
自然と歩みが遅くなる。
つい昨日の出来事なのに、瞼の裏に蘇る光景が、
随分と昔のことのように色褪せて見えるのはなんでだろうな。

「……あのベンチが気になるの?」
「なんでもない。行こうぜ、あっちに花畑があるんだ」

訝しげな視線から逃げるように顔を背けて、歩調を早めた。
167: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/21(火) 00:21:25.60 ID:PCIUKWNi0
遊歩道の果て、池の一辺の延長線に沿うように作られた植え込みに近づくにつれて、甘い薫りが強くなる。
白、ピンク、赤、黄色、橙――色取り取りに咲き誇る花の中で、名前を知っているものはほんの数えるほどしかない。
それでも、大事なのは花を愛でる気持ちであって、たとえ名前を呼ばれなくても、
見られて綺麗と思ってもらえれば、それがお花にとって最高の幸せだと思う――とは麻奈実の弁。

「ここの花壇は、いったい誰が世話をしているのかしら」
「さあな。市の職員じゃないか」
「大変な作業でしょうね…………あら」

瑠璃は花壇の一角に屈み込み、何かを拾い上げた。

「何を拾ったんだ?」
「これよ」

瑠璃の手のひらの上に乗っていたのは、黄色いハイビスカスだった。
まだ落ちて間もないのだろう、踏まれた痕もなく、花びらはどれも瑞々しさを保っている。

「可哀想に。何かの拍子に落ちてしまったのね」
「貸してくれ」
「構わないけど、何に使うつもりなの?」
「いいから」

首を傾げながらも、瑠璃は俺の手のひらの上に、そっとハイビスカスを乗せてくれる。
俺はその付け根を指でつまみ、黒猫のつば広帽子の編みが粗い部分に差し込んだ。うん、いい感じだ。

「もう……」

瑠璃は一瞬、俺の勝手な装飾に文句をつけかけ、

「似合っているかしら?変ではない?」
170: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/21(火) 00:48:03.05 ID:PCIUKWNi0
「よく似合ってるよ。マジで」

いよいよ夏の青春映画に出てくるヒロインじみてきた、とは言わないでおく。

「でも水に挿してあげなければ、すぐにでも凋萎してしまうのではなくて?」

なんだ、そんな心配してたのかよ。

「ハイビスカスはよく首飾りに使われてるだろ?
 あれって、摘んでもなかなか萎れないからなんだ」
「そう。物知りなのね……きょ、京介は」
「………」

悪いな瑠璃、堪えきれそうにねえわ。
俺は吹き出した。

「な、何が可笑しいの?」
「慣れないうちは、無理して名前で呼ぼうとしなくてもいいんだぜ」
「呼ばなければいつまで経っても慣れることがないじゃない」

矛盾を突き付けられ、それもそうか、と思い直す。
てことは、これからしばらくは、ぎこちない『京介』を聞かされることになるんだな。
瑠璃はぷいと顔を背けて、さっき俺がしていたように、俺の名前を繰り返し唱える。

「京介……京介……」

なんだか背中がむず痒くなってきやがった。
おい瑠璃、本人の前で練習するのはやめろ。
176: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/21(火) 01:28:01.56 ID:PCIUKWNi0
駅前の喫茶店で軽い昼食を取った俺たちは、電車を乗り継いで、
沙織の住む高級住宅街からそう遠くない、海辺の町にやってきた。
仄かに漂う磯の香りや爽籟の音に、いやがうえにも気分が高揚してくる……のだが、暑い。とにかく暑い。
空を薄く覆っていた斑雲はいつの間にか風に流され、
満面の笑みを浮かべた太陽は、まるで午前中の鬱憤を晴らすかのように眩い陽光を降り注がせている。
電車を降りてから数分、俺のTシャツは早くも汗でべとべとだ。
だというのに、

「瑠璃は汗一つかいてねえな」

透き通るように白い肌の上には、汗の玉どころか、しっとり濡れている様子さえ見受けられない。
マジで妖気の膜を張ってるとは思えないし、生まれつき汗腺が少ないんだろう。

「体調が悪くなったら、すぐに言うんだぞ」
「わたしの心配をする前に、自分の心配をしたらどう?
 そんなに汗をかいていては、到着する前に脱水症状を起こしてしまうのではないかしら?」

空のペットボトルを見せる。

「あら、もう飲み干してしまったの?」

瑠璃は呆れたように瞬きし、しかし次の瞬間には、
はい、と自分の半分ほど中身が残っているペットボトルを差し出してきた。
いや、そういうつもりで見せたわけじゃ……嘘です、ちょっと期待してました。

「いいのか?」
「遠慮しないで呑んで頂戴。
 わたしは喉が渇いていないし、あっちにも自販機の一つや二つ、置いてあるでしょう?」
215: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/21(火) 22:25:54.73 ID:PCIUKWNi0
今帰った
今日は黒猫デート一日目終わらせられるといいな
223: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/21(火) 22:47:15.94 ID:PCIUKWNi0
瑠璃の言葉に甘えて、蓋を開ける。
一口だけにしておくつもりが、我に返ってみれば、綺麗に飲み干していた。
一部始終を見ていた瑠璃は、

「子供みたいよ、あなた」

クスッと笑みを零す。
わ、悪い。飲み始めたら止まらなくってさ。

「謝ることはないわ。
 遠慮しないで呑んでいいと、最初に言ったでしょう?」
「……そっか」

セスナ機の低く間延びしたエンジン音が、上空を横切っていく。
坂道の峠に差し掛かった折、瑠璃は出し抜けに言った。

「間接キスね?」

おま……、分かってても言わねーだろ、普通さあ。

「何を照れているの?小中学生じゃあるまいし」

俺をからかう瑠璃は心底楽しそうで、しかし人のことを笑えないくらい、顔を上気させていた。

「この程度のことを恥じらっているようでは、先が思い遣られるわね……きゃっ、何をするの?前が見えないじゃない!」
「不意打ちした罰だ。海に着くまでそうしてろ」

帽子のつばを目一杯下ろした――正確には下ろされた――瑠璃は泣きそうな声で、

「この状態でどうやって歩けと言うの?」
228: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/21(火) 23:24:33.90 ID:PCIUKWNi0
「手を繋いでるから問題ないだろ」
「あなた、本気で言ってるの?」
「……冗談だよ」

帽子のつばを上げてやる。
微かに潤んだ双眸が現れ、非難するような視線を寄越してきた。
お、怒るなよ。落ち着いて俺の名前呼んでみ?

「きょ……京介」

ぷっ。

「わ、笑わないで頂戴。
 それ以上笑えば、『緘黙の僕(サイレントスレイブ)』をかけざるをえなくなるわ」
「そいつはいったいどんな魔法なんだ?」
「72時間一言も口が利けなくなる恐ろしい呪いよ。無理に発声しようとすれば全身から血を吹き出して死ぬわ」

嫌な死に方ランキングがあれば余裕で上位を狙えそうな死に方だな。
俺は片手で口を塞ぎ、込み上げてくる笑いを噛み殺した。


立ち入り禁止のテープをくぐって、陽光に灼けた砂浜を踏む。
ざあ……ざあ……と響く潮騒が、耳に心地よい。
水平線では海原のエメラルドグリーンと夏空のセルリアンブルーが融け合い、その境界を曖昧にしていた。
俺と瑠璃の他に人影はなく、まるで世界に二人だけになってしまったかのような錯覚に陥る。
無骨な重機にさえ目を瞑れば、夏の海を楽しむには最高のビーチだった。

「どうやってこんな場所を見つけたの?」
「夏休みに入る少し前に、沙織が教えてくれたんだ」
232: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/21(火) 23:51:22.16 ID:PCIUKWNi0
「沙織が?」
「ああ。瑠璃が夏コミに参加して俺たちがそれを手伝うことにならなけりゃ、
 適当に都合の良い日見つけて、全員で来る腹積もりだったんじゃねえかな?」

この穴場で出来上がるまでの過程を要約すると、以下のようになる。
とある大企業が輸出業に飽きたらず観光リゾートの開発に着手、
着工からまもなく急激な円高化で企業成績は悪化、事業は縮小を余儀なくされ、
後には立ち入り禁止の看板と、乗り手のない重機だけが残された、というわけ。

「ふうん」

瑠璃は遠い目になり、

「本当に……綺麗な海ね……」

ぺたぺたと砂場に足跡をつけながら波打ち際に寄り、パンプスを脱いで素足を浸した。
抜けるような快晴のもと、瑠璃の波との戯れは、そのまま一枚の絵になるくらいに、色めいた光景だった。
絵心のない俺はその代わりにと、携帯カメラのフレームに彼女を収めた。
つば広帽子が瑠璃の精緻な顔に陰影を落とす。
海風が瑠璃のワンピースをふわっと膨らませる。
時折寄せる強い波が、瑠璃を慌てふためかせる。





242: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 00:48:15.55 ID:N/7hYphP0
「いつまでそこで惚けているつもり?」
「すぐ行くよ」

靴を脱ぎ、携帯をその上に乗せる。
ジーンズの裾を捲り上げて波打ち際に歩み寄ると、ひんやりとした感触がくるぶしまでを包み込みんだ。
気持ちよさに身震いしたそのとき、

「うおっ……何しやがる!?」
「ふふっ、水も滴るいい男になったじゃない?」

両手で海水をすくい、第二波の準備を完了した瑠璃が言う。
あのなあ、一つだけ言っとくぜ。
俺は巷のバカップルみてえに、砂浜でキャッキャウフフ水を掛け合ったり、追いかけっこするつもりは――

「ぶはっ」

思いっきり顔面を狙って来やがった!
口の中いっぱいに塩気が広がる。

「お前なあっ……!」

瑠璃は悪びれたふうもなく口角を上げて、

「悔しかったらやり返してみなさいな?」
248: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 01:10:57.71 ID:N/7hYphP0
「おう、やってやるよ!」

俺は五秒前の発言を忘れて、両手の指を海水に浸す。
瑠璃のワンピースをびしょ濡れにしないほどの加減は弁えているつもりだ。

「おらっ」
「きゃっ……痛い……水滴が目に入ってしまったわ」
「だ、大丈夫か?」

慌てて近寄ろうとした俺を、

「フッ、愚かな雄ね。こうも簡単に騙されてくれると、張り合いが抜けてしまうじゃないの」

瑠璃は両手いっぱいの海水で迎撃する。
びしゃり。……久しぶりにキレちまったよ。覚悟しろや。

「待てコラ」

瑠璃はワンピースの裾を持ち上げて走り出す。

「人間風情がこのわたしに追いつけると本気で思っていて?」

甘いな。甘いぜ瑠璃。お前の弱点はその慢心にある。
ワンピースを濡らさないように注意を払っているが故の緩慢な逃げ足は、
既に首から上を海水に濡らし、Tシャツを汗みずくにした俺にとってはあまりに遅く、

「捕まえた」
「やっ……」

羽交い締めにされた瑠璃は、まるで触られることに慣れていない野良猫のように身を捩らせる。
254: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 01:26:35.94 ID:N/7hYphP0
瑠璃が抵抗の力を強めれば強めるほど、
俺は瑠璃を拘束する力を強め……いつしか、俺は瑠璃を後ろからきつく抱きしめる格好になっていた。

「……………」
「……………」

柔肌の感触や、髪から漂う甘い香りを意識した時には、もう遅かった。
胸郭を叩く心臓の鼓動が、瑠璃の背中から伝わるそれと、ぴったり重なっているように感じる。
どれほどそうしていただろう。

「あなたの妹には、もう、伝えたの?」

潮風に掻き消されてしまいそうなほど小さな声が聞こえた。
俺は黒猫の肩に顎を乗せて、

「ああ」

と頷く。








寝る
もうすぐ冬休み
年明けまでには完結させたい
289: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 20:01:01.97 ID:N/7hYphP0
「ごめんなさい。嫌な役を押しつけてしまって」
「気にすんな。あいつからお前に、何か連絡は?」
「いいえ……何度かわたしの方から連絡を取ろうとしたのだけれど、
 今のところは、すべて無視されているわ」

瑠璃はしんみりと言った。

「わたしとあなたの妹は、もしかしたら、もう元の関係には戻れないのかもしれない」
「弱気なこと言ってんじゃねえよ。
 お前とあいつ――桐乃――は友達だろ」
「わたしはあの女と幾度となく喧嘩して、幾度となく仲直りしてきたわ。
 でも、今回は違うのよ」

数拍の沈黙があって、

「わたしたちは……少なくともわたしには……妥協点を見つけることができそうにない」

いつか黒猫が言った言葉を思い出す。

『わたしにとってもっとも望ましい結果がもたらされるようにわたしなりの全力を尽くす』

その結果が現在ならば、黒猫は――瑠璃はなんとしても現状を維持しようとするだろう。
たとえその行動が、友達を失うことに繋がるとしても。
292: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 20:43:38.76 ID:N/7hYphP0
「勘違いしないで頂戴ね。
 あの女はわたしが宵闇の加護を受けてから、初めてわたしに好敵手と認めさせた人間よ。
 その関係を繋ぎ止めるためなら、わたしはどんな犠牲を捧げることも厭わない。
 ただ一人、"あなた"を除いて―――」

瑠璃は俺から体を離し、

「――そこだけは、どうしても譲れないの」

どこまでも青い空を仰いで、

「あなたも、同じでしょう?」
「……ああ」

鷹揚に頷いて見せた俺を、瑠璃は一瞬、泣きそうな目で見つめ――、
次の瞬間には、強く吹き付けた海風が瑠璃の髪を攫い、その表情を覆い隠していた。


日が沈む少し前にビーチを引き上げた俺たちは、
そこから半時間ほど歩いたところにある、海鮮料理の美味しいお店にやってきた。
黒を基調としたシックな内装は、穏やかな暖色の照明に照らされて、上品な雰囲気を醸している。
294: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 21:16:43.00 ID:N/7hYphP0
案内に従って二人用のテーブルに着く。
瑠璃は周囲を見渡し、

「なんだか酷く場違いな気がするわ。
 わたしはもっと庶民的なお店で良かったのに……」

そわそわと落ち着かない様子だ。
確かにここのメニューはどれも割高、主な客層は懐に余裕のある社会人で、
付き合い立ての学生カップルが訪れるような場所じゃないかもしれない。
でもさ、そんなことは気にするだけ無駄なんだよ。
代金さえ払えば、誰にだって美味い飯を食う権利はある。
さて、ここで問題です。

「どうして俺がこの店を選んだと思う?」
「分からないわ」

ギブアップ早っ。お前、最初から考える気なかっただろ。

「分からないものは分からないのよ。早く答えを言いなさいな」

本当は自分で気づいて欲しかったんだけど……仕方ねえか。

「瑠璃の好物は魚だろ」
「えっ」

予想外の反応に、ひやりとした不安が胸に滑り込んでくる。
あれ?違ったの?
298: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 21:56:46.59 ID:N/7hYphP0
瑠璃はフリフリと首を横に動かし、

「違わないわ。わたしは魚が好き……でも、どうしてそれをあなたが知っているの?」

言った覚えはないのだけれど、と不思議そうな面持ちで呟く。
まあ、忘れてても無理ないか。

「俺とお前が初めて会った日のこと、覚えてるか?」

コミュニティ『オタクっ娘あつまれー』のオフ会で、
黒猫と桐乃は他のメンバー同士の会話から見事にあぶれてしまっていた。
オフ会終了後、コミュニティの管理人である沙織の気配りによって、
俺、桐乃、黒猫、沙織の四人だけでの二次会が開かれ、互いに自己紹介をすることになったのだが、
黒猫の番、黒猫は自分の名前以上に多くを語ろうとしなかった。
そこで俺は「好きな食べ物は?」と尋ねた。
すると黒猫はいやいや義務を果たすように、しかし逡巡なく「魚」と即答してくれたのだった。

「思い出したわ」

瑠璃は頬を赤く染め、目線をあちこちに泳がせて言った。

「あなたはあの問答の内容を、ずっと覚えていてくれたのね」

ああ、と頷く。

「あの日のことは、多分一生忘れないと思うぜ」

オタクへの偏見が変わった日。
妹が自分の趣味を理解してくれる友達を手に入れた日……。
301: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 22:26:06.24 ID:N/7hYphP0
「ありがとう……とても嬉しいわ」

真っ直ぐなお礼の言葉が照れ臭い。

「そういうのは料理を腹一杯食った後で聞かせてくれ」
「それもそうね」

瑠璃は緩んだ表情を見られまいとするかのように顔を背けて、

「京介がこのお店に来るのは、これが初めてではないのでしょう?」

と訊いてきた。

「どうしてそう思うんだ?」
「お店に入るときに、ここは海鮮料理の美味しいお店だと、あなたが言ったのよ。
 おかしな人ね。昔々のことは覚えているのに、ついさっきのことは忘れてしまうなんて」

俺だってド忘れくらいするさ。
クスクスと喉を鳴らしていた瑠璃は、ふいに思い悩むように視線を下ろし、唇を舌で湿らせると、

「……誰と一緒に来たのか、聞いてもかまわないかしら?」
304: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 23:04:39.18 ID:N/7hYphP0
女心の機微を"誤解"することにかけては天才的な俺の脳味噌でも分かったよ。
心の隅で縮こまっていた嗜虐欲が、ムクムクと首をもたげてくる。
海ではさんざ水を掛けられたことだし、ちょっとくらい虐め返しても罰は当たらねえよな?

「誰だっていいだろ。いちいち詮索してんじゃねえよ」

わざとぶっきらぼうに言う。
瑠璃はショックを受けたように目を見開いて、

「そ、そんなつもりで訊いたのではないのよ」
「じゃあ何のつもりで訊いたんだよ?」
「ッ、それはっ……あなたが……あなたの交友関係が気になって……」

しどろもどろに言葉を紡ぎ、湿り気を帯びた双眸で俺を見上げ、

「ごめんなさい……気分を害してしまったなら謝るわ」

やべえ。罪悪感が半端ねえ。
後で悔やむと書いて『後悔』だが、まさにそうだ。
彼女にこんな仕打ちをして楽しむつもりでいた30秒前の自分をブチ殺したくなってくるね。あやせじゃねえけど。
俺は慌てて弁明する。

「フェイトさんだよ」

瑠璃は茫然とした様子で言った。

「フェイトとはあの、伊織・フェイト・刹那のことを言っているの?」
313: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/22(水) 23:42:27.97 ID:N/7hYphP0
「ああ、そのフェイトさんで合ってるよ」

ここで彼女のことを忘れた人のために簡単に解説していおくと、
伊織・フェイト・刹那、通称フェイトさんは、
二十代中盤のクォーターにして、スーツ姿がよく似合う理知的な美人――という華々しい外面はさておき、
内面は他人の創作物を剽窃するわ、中学生から借りた金を全額FXで溶かすわ、
収入のない高校生に飯を奢らせるわのダメダメ人間である。
盗作騒ぎで小説家への道を閉ざされた上派遣切りに遭い、
食い扶持を繋ぐことさえ困難な状況に陥っていた彼女だが、
今年の夏コミでは有名絵師の作品を一冊の本に纏めて売り捌くことに成功し、同人ゴロとしての第一歩を踏み出した。

「いったいどんな経緯で、彼女と食事することになったの?」




317: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 00:49:11.73 ID:6bruxdXk0
「瑠璃がゲー研の自主制作してた頃に、フェイトさんに呼び出されたことがあってさ。
 その時に全然金持ってないって言われて、あんまりにも可哀想だったから、飯を奢ってあげたんだ」
「あなた、自分が相当なお人好しだという自覚はある?」

瑠璃は憐れむように目を細める。
いや、マジで可哀想だったんだって!
定職ナシ貯金ナシ身寄りナシの三重苦に陥ったフェイトさん目の当たりにしてみ?
自然と涙出てくるから。

「苦境はあの女が自分で招いたものよ。同情には値しないわ」

瑠璃、フェイトさんにはホント容赦ねえなあ。
無言で先を促され、俺は話を続けた。

「実は、この前コミケでフェイトさんに会ったときに、
 もしも今回の同人誌販売で大もうけできたら、その時はいつかの恩返しをするから、ってこっそり言われててさ」

フェイトさん借金あるし、金遣い荒いし、全然期待はしてなかった、
というか約束自体すっかり忘れていたのだが、

「予想以上に儲かったらしくて、ついこの前呼び出されて、連れてこられたのがここってわけ」
「同人ゴロはあの女にとっての天職だったようね」

そうみたいだな。

「調子に乗って訴えられないといいけど」
320: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 01:17:19.30 ID:6bruxdXk0
その心配はない……とも言い切れないのがフェイトさんがフェイトさんたる所以だ。
実際、この前一緒にご飯食べた時も、

『派遣が何よ。中途採用試験が何よ。
 同人で一発当てたらそんなのどうでもよくなるわ。
 京介くん、今のわたし輝いてる?わたしって勝ち組よね?ねっ?』

とベロベロに酔っ払って絡んできたしな。
同人ゴロの儲けに味を占め、やり口が年々エスカレート、槍玉に挙げられる未来が垣間見えたよ。

「お、来たみたいだぜ」

話が一段落したところを見計らったかのように、注文していた料理が運ばれてきた。
お腹はもうペコペコだ。
俺たちは早口で「いただきます」を唱え、箸を取った。
瑠璃は上品な箸使いで白身魚の焼き漬けを取り分け、小さな口に運ぶ。
もぐもぐ。一心不乱に噛んでいるところが可愛い。
まるで小動物の食事風景を見ているみたいだよ。
答えが分かっていても、尋ねずにはいられない。

「どうだ?美味いか?」

瑠璃は相好を崩して頷いた。
325: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 02:11:10.80 ID:6bruxdXk0
------------
トイレから戻ってくると、瑠璃は食事中の輝く笑顔はどこへやら、虚ろな目で空になった皿を見つめていた。

「何浮かない顔してるんだ」

食べ過ぎて腹痛でも起こしたか?
俺のからかいを綺麗にスルーし、

「とても、言いにくいことがあるのだけれど」
「うん?」

瑠璃はきまり悪げに俯いて告白した。

「わたしが食べた分の代金を、しばらく、立て替えておいてもらえないかしら。
 食べるのに夢中になって、今日どれだけお金を持ってきていたのか、忘れてしまっていたの」

はぁ~。俺は大袈裟に溜息をついて見せる。瑠璃はおろおろとした様子で、

「ほ、本当にごめんなさい。月の終わりには、アルバイトの給料が貰えるから、必ず返すと約束するわ」
「落ち着け。あのな、いったいどうしてそういう発想が出てくるんだ?
 今日は俺の奢りだよ。つーか、飯代くらい払わせろって」

さすがに交通費まで面倒見る気はないけどさ。

「そういうわけにはいかないわ。とりあえず、今お財布の中にあるお金だけでも……」
「だから、いらないっての」

なおも食い下がる彼女に、俺は止めの一言を刺してやる。

「トイレいくついでに会計済ましてきたから」
346: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 11:47:56.93 ID:6bruxdXk0
「なっ……卑怯よ」

なんとでも言え。
ちなみにこの方法は親父殿から伝授してもらったもので、

『一緒に誰かと飯食ってて、奢られるのを嫌がられた時はどうすりゃいい?』
『用を足すついでに払っておけばよかろう』

そんな遣り取りが昨日の夜にあったのだ。
割烹店で女に財布を出させることに羞恥心をくすぐられるのも、たぶん親父の影響なんだろうなあと思う。


店を出ると、むわっとした熱気が肌を包み込んだ。
辺りにはすっかり夜の帳が下りていて、八月が終わりに近づくにつれて、日が短くなっていることを実感する。
どちらからともなく手を絡め、歩き出した。

「ごちそうさま。とても、美味しかったわ」
「おう。気に入ってもらえて良かったよ」
「…………」

それきり会話が途絶える。
察しの良いこいつのことだ、俺が無理して見栄を張っていることにはとっくに気づいているんだろうな。
夏コミや二度にわたる偽装デートなどで今月の出費は嵩みに嵩み、
今朝財布に詰めてきた諭吉と樋口さんはさっきの会計で天に召され、今では野口英世が三人残っているのみである。
小遣い日は月初めだし、しゃーねえ、明日にでも年玉貯金崩しに行くか、
高校一年、二年の暇な時期にバイトでもしときゃ良かったな……と過去の怠慢を悔いていると、

「京介」
349: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 12:26:02.50 ID:6bruxdXk0
瑠璃がにわかに手を強く握りしめる。
俺は何気なく横を向いた。

「……んっ……」

かつ、と前歯が何かにぶつかる音がして、次の瞬間には、
ふっくらと柔らかい、まるで薔薇の花びらのような何かが唇に押し当てられていた。
とっさに身を引かなかったのは、本能がその感触を、その行為を求めていたからだと思う。
緩慢な時の流れ。
目と鼻の先にある瑠璃の顔は息が詰まるほど綺麗で、
俺はしばしその光景に見惚れ、……唐突に、『瑠璃にキスされている』ことを理解した。
どれくらいそうしていただろう。
瑠璃が背伸びをやめるのと同時に、唇を覆っていた心地よい感触も離れていく。
強い口寂しさに襲われた俺は、瑠璃の体を引き寄せようとして、

「ダメ……これ以上はいけないわ」

胸に手をつかれる。

「えっ」

その時の俺は、おあずけを食らった犬みたいな間抜け面をさらしていたに違いなかった。

「だ、誰かに見られたらどうするの。まったく、破廉恥な雄ね」

い、いきなりキスしてきて、その言い草はないだろ。
瑠璃は暗闇の中でも分かるほど、顔を耳まで真っ赤にして、

「……今のは"解呪"よ。
 よかったわね。これであなたにかかっていた呪いは、新たな呪いに上書きされたわ」
359: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 13:53:41.91 ID:6bruxdXk0
「……っふ」と邪悪な笑みを浮かべる。
校舎裏に呼び出されたとき、俺は"解呪"の方法としてキスを想像し、
心を読まれて叱られたが……やっぱ、それで合ってたんじゃねえか。

「いかに宵闇の加護を受けたわたしとて、
 呪いをかけるには、直接相手に触れなければならない。
 そして最上級の呪いをかけるときは、経口が一番有効な手段だと古来から言い伝えられているのよ」

早口で捲し立てる瑠璃。
ならその古来からの言い伝えに感謝しなくちゃな。
甘い空気は電波発言で綺麗さっぱり霧散しちまったけれども。

「……帰るか」
「ええ、そうね」
「一回目の呪いが解呪されたからには、もう俺がヘタレても、死ぬことはないんだよな?」
「ふふっ、何を悠長なことを言っているの?
 呪いは上書きされたのよ。制約を侵せば、あなたは全身から血を噴き出し、のたうちまわりながら息絶えるわ。
 いえ、この呪いはもっと強力だから、想像を絶する苦しみがあなたを襲い、
 それが何時間も続いた後でようやく死が訪れるのでしょうね」

怖ええ。

「ええ、本当に恐ろしい呪いよ」

瑠璃は悪戯っぽく笑んで、再び背伸びし、今度は俺の耳許に口を近づけて言った。

「だから精々、わたしを離さないことね」
364: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 14:14:47.61 ID:6bruxdXk0
家に帰ると、お袋はテーブルの椅子に座ってTVを眺め、
親父は一人掛のソファに座って新聞を読んでいた。
一見それは高坂家九時台の珍しくともなんともない光景のようで、
しかし同じ家に住む俺には、部屋に漂うピリピリとした緊張感が感じ取れた。

「ただいま」
「あら、お帰り、京介」
「………うむ」

挨拶を交わし、冷蔵庫へ。
常時備蓄されているはずの麦茶はどこにも見当たらず、

「麦茶、切れてんの?」
「買ってくるの忘れてたわ。今日は我慢して」

俺は仕方なしにコップに水道水を注いで喉を潤す。
ごく……ごく……。横目で伺った二人の様子は、明らかに普段と違っていた。
お袋はTVを見ているようで、ちらちらと壁時計を見ては溜息をついているし、
親父もさっきからずっと、新聞の同じページを読み続けていて、、
頭の中では全然別のことを考えていることがバレバレだった。
俺は三人掛のソファに腰掛け、あくまで顔はTVの方を向けたまま、

「桐乃は?」

親父の巌のような体が反応する。

「……知らん」

強い酒精の芳香が、つんと鼻の奥を刺した。
こりゃ相当飲んでんな。いや、お袋が飲ませたのか。
366: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 14:37:14.53 ID:6bruxdXk0
「あの子、今どこにいるか分からないのよ」

その一言に、この部屋に漂う嫌な空気の原因が凝縮されていた。
桐乃は見た目こそ派手だが、基本的に夜遊びはしない。
たまに帰りが遅くなるときは、必ず、今どこにいるのか・いつ帰るのか連絡して、お袋と親父を安心させていた。

「電話には出ないしメールも返さないし……どうしちゃったのかしら。
 京介、あんた、桐乃の行き先に心当たりある?」
「いいや」
「そ。あんたたち最近、仲が良いみたいだったから、桐乃に何か聞いてるかと思ったんだけどね」

悄然と息を吐くお袋。なんだか一気に歳を取ったみたいだ。
そんなお袋の姿が見ていられなくて、

「桐乃の友達に電話してみるよ」

俺はリビングを出て、階段に腰掛け、携帯のフラップを開いた。
メモリからあやせを選び、通話ボタンを押す。
着拒されてませんように着拒されてませんように……!
神への祈りは通じたようで、

「……もしもし?」

よかったぁ~。
声色は依然とツンツンしているが、出てくれただけでも重畳だよ。
371: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 15:05:12.42 ID:6bruxdXk0
「あやせは今どこにいるんだ?」
「どこって……自分の部屋、ですけど……」
「そっか。じゃあ今あやせの隣に、桐乃いたりしねえかな?」
「いません」

ガクッ。これで望みの半分以上が断たれちまった。
あとは沙織に聞いて、それでダメだったら――。

「でも、少し前までは一緒でした」
「えっ!マジで!?」
「ちょっ……声が大きいです、お兄さん。今何時だと思ってるんですか?」
「す、すまん」

それから、何か言葉を選ぶような、言うのを躊躇うような微妙な間があって、

「……今日はお昼から撮影があって、
 帰りに一緒に買い物をして、わたしの家で晩ご飯を食べて、
 その後は、ずっとわたしの部屋でお喋りしてたんです」

はあぁぁぁ。なんだよ。フツーに友達と遊んでただけかよ。
あー、心配して損した。早くお袋と親父に話して安心させてやらねえと。

「で、今桐乃はこっちに帰ってきてるのか?」
「はい。夜道は危ないから、お母さんが車を出してくれて……」

タイミング良く、家の前に車が止まる気配がする。

「ちょうど着いたみたいだ」
373: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 15:23:24.99 ID:6bruxdXk0
「そうですか」
「こんな時間に電話して悪かったな」
「いえ……」
「じゃあ、切るぜ」

名残惜しいが、もうあと十秒もしないうちに、桐乃が玄関の扉を開く。
あやせは無言で通話からフェードアウトするかと思いきや、焦燥を滲ませた声で、

「………待って下さい」
「なんだよ。おやすみの挨拶か?」
「ち、違いますっ!変な期待はしないで下さいと前に言ったじゃないですか。
 永遠の眠りに就かせますよ?」

ええぇぇ。なんで「おやすみ」を言ってもらえると思ったくらいで永眠させられなくちゃならねえの!?
仲の良い友達同士ならごく当たり前の遣り取りですよね?

「わ、わたしはお兄さんと仲良くなった覚えはありませんから。
 あのですね……わたしがお兄さんに言いたかったのは……その……桐乃に……」
「はあ?」

声が小さすぎて聞き取れねえよ。

「もっと……、優しく――」

そのとき玄関の扉が開いて、桐乃が姿を現した。
すまんあやせ、また今度聞くからよ。
心の中で謝り、携帯を折りたたんでポケットに入れる。
俺は階段から腰を上げて、のろのろと靴を脱いでいる桐乃に言ってやった。

「おかえり」
374: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 15:47:52.61 ID:6bruxdXk0
桐乃は無言で俺の前にやってくると、光彩の失せた瞳で俺を見つめ、

「"こんなところで何してんの?"」
「何って、お前が帰ってくるのを待ってたんだよ」
「ふぅん、そう。……"待ってたんだ"……」

独り言のように呟き、

「邪魔。どいて」

そのまま隣を通り過ぎようとする。

「おい、待てよ」

手を掴んだら、

「気安く触んないでよ!」

もの凄い剣幕で振り払われた。
でも、退かねえ。掴み直して、振り向かせる。

「お袋や親父に心配かけて、ごめんなさいの一言もねえのかよ」
「………ッ」

桐乃は憎悪を宿した目で俺を睨み付け、

「分かったから、手、離して」

大人しくリビングに向かう。俺は特に深く考えずに、その後に付いていった。
377: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 15:56:34.82 ID:6bruxdXk0
今から思えば、俺の第六感は予感していたのかもしれない。
その時の桐乃がお袋や親父に会えばマズイなことになる、と。
事実、俺はリビングに通ずるドアを開けて間もなく、
なぜ階段で桐乃と別れてからすぐに自室に籠もり、
ヘッドホンを装着して大音量の音楽を流さなかったのかと後悔することになった。





390: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 17:35:07.84 ID:6bruxdXk0
「心配かけて、ごめんなさい」

第一声、桐乃は素直に謝った。
娘の姿を認めるやいなや、お袋は曇らせていた顔をパッと明るくして、

「もう、どこに行ってたのよ?連絡もしないで」
「あやせのところ。連絡しなかったのは……忘れてただけ」
「携帯に電話したのは知ってる?」
「電池切れちゃってて、見てない」

どうして新垣さんのお家の電話を借りなかったのか、とか、
四六時中携帯を弄ってる桐乃が電池切れを放置しておくわけがない、とか、
色々言いたかったことはあるだろうに、お袋はうん、うんと頷いて、

「お腹はどう?空いてる?」
「ううん。晩ご飯食べさせてもらったから」
「そう……」

途切れる会話。俯く桐乃。気まずいってもんじゃねえ。
それまでアクションを起こさなかった親父が、静かに新聞を畳み、ガラステーブルの上に置いた。
お袋は場を和ませようとするかのように、乾いた笑い声を上げて、

「あ、そうそう。桐乃聞いて?
 あと一時間経っても帰ってこなかったら、
 お父さん、自分の職場に娘の捜索願出すトコだったのよ?」
395: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 17:59:42.46 ID:6bruxdXk0
「あはっ……おかしいね、それ……」

ぎこちなく応じる桐乃。

「マジかよ、親父……恥ずかしすぎんだろ……」

茶番だと理解しながら、俺もそれに乗っかる。
でも親父の目は、ちっとも笑っちゃいなかった。
自分をネタにされて怒ってるわけじゃない。
ただ、娘の不可解な行動のワケを、うやむやにする気がないだけで。

「桐乃」

地底から響くような声がした。

「な、なに?」
「なぜこんな時間まで、誰にも連絡を入れず遊び回っていた?」
「だ、だから……それは……ただ、忘れててただけで……携帯も電池切れちゃってたし」

とお袋に言った言葉をリピートする桐乃。

「嘘を言うな」
「……ッ、勝手に決めつけないでよ!」
「決めつけているのではない」

親父はよくできた酒豪だ。
自分が酩酊する酒量を知っていて、それ以上は決して呑もうとしないし、
事実、俺はこの人が会話もままならないほど泥酔したところを見たことがない。
つまり何が言いたいかというと、……いくら親父の体にアルコールが回ろうが、
犯罪者相手に培われた洞察眼は健在で、桐乃が真実を吐かされるのは時間の問題だってことだ。
398: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 18:29:15.05 ID:6bruxdXk0
「さっき、新垣さんの家にいた、と言ったな。ご両親は家にいたのか」
「……いたケド……それが何?」
「お前は晩ご飯をご馳走になる前に、その旨を自宅に連絡するよう言われなかったのか?」

親父の言うことはもっともだ。
桐乃は下唇を噛み、スカートの前で絡めた両手をぎゅっと握りしめて、

「き、聞かれなかった」
「……そうか」

親父は眼鏡のレンズ越しに、鋭い眼光を桐乃に向けて言った。

「ならば新垣さんのご両親に、桐乃がご馳走になったお礼を兼ねて、
 今お前が言った言葉が真実かどうか尋ねても問題はないな」

終わった。
桐乃の狼狽ぶりを見れば、桐乃が嘘を吐いていることは明らかだった。
コイツはあやせの両親に「お母さんとお父さんは揃って家を空けているんです」とかなんとか言って、
家に連絡する必要はないと思わせたに違いない。
親父はお袋に、電話の子機を取るように言った。
長年連れ添ったお袋は、こうなった親父がテコでも折れないことを知っている。
でも俺は、コイツが……桐乃が一方的に言い負かされて、言いたくないことを無理矢理吐かされるところなんて見たくなかった。
そりゃ俺だって気になるよ。
『なんで人に心配をかけるようなことをした?』
『こうしてこっぴどく叱られることは、分かってたはずだよな?』
問い詰められるモンなら、問い詰めてやりてえ。
でもさ、こんな顔してる桐乃に……今にも泣きそうになってる可愛い妹に、そんな真似できるワケねえだろうが。

「もういいじゃねえか、親父」
404: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 18:57:45.67 ID:6bruxdXk0
気づけば、お袋の手から子機をもぎとっていたよ。
親父の極道ヅラが俺を見据える。
正直言って、チビりそうになったね。昔の俺、スゲェよ。
こんな化けモン相手に、よく胸ぐら掴んで説教かまそうなんて気になれたな。

「京介、これはお前が口を挟むことではない」
「桐乃が無事に帰ってきたんだ。今日のところは、それでいいだろ」

笑いそうになる膝に力を込めて、親父の前に立ちはだかる。
今の俺は知っている。
ありえねえくらい頑固で、ありえねえくらい堅物の親父だけどさ、
必死に訴えかけりゃあ、伝わるモンはあるんだ。

「電話を寄越せ」
「嫌だね」

これがあの日の再現に近いことは、あんたも分かってるはずだよな。
いいか、俺は折れねえぞ――と固く子機を握りしめたのも束の間、
親父は一切無駄のない挙止で俺の服を引き寄せ、ソファの上に引き倒した。
さすが、柔道有段者。勝てねえ。
ガラステーブルや床を避けてくれたのは、親父のささやかな優しさの表れか、と天井を見つめながら思う。
414: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 19:34:34.65 ID:6bruxdXk0
親父の手が、俺の子機を握りしめている方の手に伸びる。
渡してたまるかよ。
指が全部剥がされる前に、俺はもう片方の手で、親父の胸ぐらを引き寄せた。

「何、ムキになってんだよ」
「………なんだと?」
「どうして桐乃のことを信じてやれねえんだよ」
「なっ」

親父の鬼の形相が、ふっと真顔に戻り――。

「もうっ、やめてよっ!」

耳をつんざくような桐乃の絶叫が、部屋に響き渡った。
パサリと垂れた前髪の内から、透明の雫が落ちる。

「なんであたしのことで、兄貴とお父さんが喧嘩してんの……馬鹿じゃん……?
 あたし、もう十五だよ……?あたしがどこに出かけようが、いつ家に帰ってこようが、あたしの勝手でしょっ……!」

リビングを飛び出す桐乃。

「待ちなさい!」

慌ててその背中を追うお袋。

「…………」
「…………」

後に残された俺と親父は、至近距離でお互いの顔を見つめ合い、同時に顔を逸らす。
ソファに仰向けになって、眼を瞑った。火照っていた頭が、急速に冷めていくのが分かる。
422: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 20:02:27.23 ID:6bruxdXk0
どっかと一人掛のソファに座り込んだ親父に、もはやあやせ家に電話する気は残っていないようだった。
静まり返った室内に、壁時計が時を刻む音が、やけに大きく響く。

「…………………………すまなかった」

へ?親父、今なんつった?
あー、分かった。幻聴か。
最近寝不足だったところに、体引っ繰り返されて脳味噌揺らされりゃ、幻聴がしてもおかしくねえわ。

「だから、すまなかったと言っている。
 さっきは、桐乃を前後不覚に叱りつけた俺に非があった」

飛び起きたね。え……何……親父、ガチで俺に謝ってんの?
これ、夢じゃねえよな?現実だよな?
何も言わず独酌する親父。
哀愁漂うその姿を見ていると、急激に申し訳なさが募ってきて、

「俺も……さっきは、偉そうな口利いて悪かったよ」
「本当だ、このバカ息子が。
 次に楯突いたときは、公妨で鑑別所送りにしてやる」
「それはマジで勘弁してください」

俺は言葉を選んで、親父に語りかけた。

「桐乃のことが心配な親父の気持ちは……よく分かるよ」

あいつが日本に帰ってきて、内心喜んでいた矢先に、
あいつが彼氏を連れてきて……まあ、結局それは無かったことになったんだけど……
親父に娘を失う恐怖を植え付けるには、十分すぎる出来事で。
娘の交友関係に必要以上に敏感になるのも、無理はねえと思う。
430: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 20:37:43.73 ID:6bruxdXk0
でもさ。御鏡が家に来たときの話を蒸し返すつもりはねえけど、

「あいつは俺や親父が思ってるより、ずっと大人なだよ。
 あいつが何も言わずにこんな時間まで遊びに出てたことには、
 きちんとした理由があって、それを親父に言えなかったのにも、それなりの理由があって……。
 その理由をハナからやましいことだと決めつけて、頭ごなしに叱るのはどうかと思うんだよ」
「では、もしも桐乃が嘘をついた理由が、男との逢い引きを隠すためだったとしたら、どうするのだ?
 都合よく騙され、手をこまねいて見ていろと言うのか?」
「そうだよ」
「なっ……そんな馬鹿な話があるか!」

カッと両眼を見開き、怒りを露わにする親父。
そんなに怖さを感じなくなったのは、耐性が出来てきたからかもしれねえな。

「もしも桐乃に、マジで好きな男が出来たらさ、ぜってぇ家に連れてくるよ。
 この前みてえにさ……。親父もあいつの性格知ってるだろ?
 最初は隠せてても、そのうち我慢できなくなるに決まってんだ。
 んでもって俺たちの役目は……、その時に桐乃の彼氏がどんな奴か、
 桐乃を本当に幸せにできるのか、見極めてやることだと思うんだよ」

親父は水面に顔を出したカバみたいに、むふぅ、と荒い鼻息を吐いて、

「………ふっ」

笑った?親父が?
おいおいおいおい、今日の親父はどうしちまったんだよ。
手近にカメラが無いのが悔やまれるね。
親父の純朴な笑顔なんて、ガキの頃に見た以来だよ。
434: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 20:55:00.97 ID:6bruxdXk0
「お前はよくできたバカ息子だな」

誉められてるのか貶されてるのか分からねえよ、それじゃ。
逸らしていた視線を戻すと、親父の顔は元の仏頂面に戻っていた。
俺は腰を上げて、部屋に戻ることにする。

「勉強してくる」

リビングのドアに手を掛けたその時、背中に声がかかった。

「待て、京介」
「……?」
「俺には、最近、桐乃の考えていることが分からん」

今までは分かっていたような口ぶりだな、と言えば顔面に鉄拳が飛んでくるのは自明の理、

「へえ」

と無難に相づちを打つ。

「桐乃に歳が近いお前の方が、桐乃の機微を理解してやれることも多いだろう」
「さあ、どうだろうな」
「………任せたぞ」

任されても困るっつうの。
俺は今度こそリビングを出かけて、言い忘れていたことを思い出した。
438: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/23(木) 21:14:27.67 ID:6bruxdXk0
「親父」
「なんだ?」
「彼女が出来たんだ。また今度紹介する」

親父はぽかんと口を開けていたが、
やがて色んな感情を綯い交ぜにしたような顔になり、くいっと酒を煽ると、

「……そうか」

と呟いた。え、反応それだけ?

「自室で勉強するのだろう?早く行け」

すげない言葉に背中を押され、リビングを出る。
ま、こんなモンだよな。
可愛がってる桐乃と違って、出来の悪い長男に彼女が出来ようが出来まいが、親父の関心事にはなり得ないんだろうよ……。
親父が詮索してこなかった理由は他にあるって?

分かってるさ、それくらい。


511: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 00:31:00.71 ID:GQjBgs+10
駅から出ると、電車に乗っているときは本降りだった雨が、小止みになっていた。
一応黒の折り畳み傘をショルダーバッグから取りだし、いつでもさせるようにしておく。
もう片方の手で携帯を弄り、BeegleMapという地図検索サイトにアクセス、
住所を入力すると、ものの数秒で駅から目的地までの最短ルートが表示される。
良い時代になったもんだよな。

雨に濡れたアスファルトを歩くこと十分。
俺は古式蒼然とした平屋の前で足を止めた。表札には『五更』の文字。
インターホンを押すと、

「どちら様ですか?」

普段より高いトーンの声で瑠璃が答えた。

「俺だよ」
「………少し待っていて」
516: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 00:58:42.60 ID:GQjBgs+10
俺はインターホンから顔を離し、改めて平屋――瑠璃の家――を眺めた。
壁の漆喰はところどころ剥がれ、屋根瓦は褪せて砂色になっていて、
素人目にも、かなり古い建物であることが分かる。
キコキコという甲高い音が聞こえて、視線を下ろすと、瑠璃が小さな鉄門の閂を外しているところだった。

「さ、入って頂戴」
「あ、ああ……でも、その前にひとつ聞いていいか?」

俺は瑠璃が着ている、白のラインが入った臙脂色の服を見つめて、

「なんでジャージ?」

しかもしれ、市販の奴じゃなくて中学校の指定ジャージだよな。
瑠璃はむっと頬を膨らませ、

「こ、これは部屋着よ。
 機能性に富み着用者の運動を妨げない、最高の衣類だと思わない?」

まあ、確かにその通りだけどよ……。
 
「あっ、それ」

俺は瑠璃の胸元で笑う黒猫のワッペンを指さし、

「瑠璃が自分で着けたのか?」
「よく気づいたわね。でも、勘違いしないで頂戴。
 これは決して繊維の解れを隠すためのものではなくて、
 わたしが闇の眷属であることを証明するのと同時に顕界への影響を抑えるための封印具だから」

ああそう。
522: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 01:39:09.23 ID:GQjBgs+10
瑠璃は「分かればいいのよ」と満足げに頷き、俺を家に請じ入れてくれた。
さて、今更ながら、俺が瑠璃の家にやってきた理由を説明しておこう。
初デートから二日が経ち、俺は二回目のデートを提案したのだが、その時に瑠璃が宣った台詞がコレである。
『明日は……家に親がいないの……それで、あなたさえよければ……わたしの家に来てもらえないかしら?』
クラリとしたね。
お前マジで言ってんの?いくらなんでもそれは早すぎじゃね?俺にも心の準備ってモンが……。
『母さんが一日仕事に出ていて、妹の面倒を見なければならないのよ』
脳髄を沸騰させていた自分が恥ずかしくなったよ。
でもさあ、あんな言い方されたらエッチな想像しちゃうよね?


ガラガラと引き戸を閉め、土間で靴を脱ぐ瑠璃。
「お邪魔します」と挨拶して、その後に続く。
俺が歩くと盛大に軋む床板の上を、瑠璃は足音ひとつ立てずに進み、やがて右手の襖を開けた。
するとそこにいたのは、


1 五更家の次女と三女だった
2 五更家の三女だった
>>525

描写配分分岐
黒猫シスターズはアニメ9話準拠です 寝る
525: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 01:40:51.60 ID:Jm2PegOu0
558: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 11:27:56.79 ID:GQjBgs+10
五更家の次女と三女……でいいんだよな?
身長と顔つきから判断するに、
やや茶色がかったセミロングの髪をツインテールにしてるのが次女で、
真っ黒な髪を肩口で切りそろえ、おかっぱにしているのが三女だろう。

「こ、こんちわ~」

なるたけ愛想の良い笑みを浮かべてみたが、
二人ともぽかーんと口を開けて、突然の闖入者に驚きを隠せない様子だ。
おい瑠璃、俺が来ることは話してなかったのかよ!

「ル、ルリ姉……この人がもしかして……?」

次女が酸欠に陥った金魚みたいに口をパクパクさせて、姉に問いかける。
瑠璃は軽く頬を朱に染めながら、尊大に頷き、

「ええ、そうよ。この人の名前は高坂京介。わたしの、か、彼氏よ」
「ホントにいたんだ!……えーウッソー、すっごぉい。絶対またルリ姉の見栄っ張りだと思ってたのに!」

次女はととと、と俺の近くに寄ってくると、矯めつ眇めつ俺の顔面を眺め、

「へぇ~、これがルリ姉の彼氏かぁ~。
 あ……自己紹介遅れてすみません。あたし、ルリ姉の妹の――」

瑠璃、という長女の名前から想像はついていたが、小難しい漢字の名前だな。
565: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 12:02:58.79 ID:GQjBgs+10
「よろしくお願いしますね!」
「おう、よろしく」

人懐っこい笑みを浮かべる次女。
瑠璃の妹とは思えない社交性の高さだな。
つーかこの次女のテンション、誰かのと似てねえ?
俺が正体不明の既視感に頭を悩ませていると、

「しっこく!」

舌足らずな声が居間に響き渡った。
見れば、それまで固まっていた三女がピッと俺を指さして顔を強張らせていた。
あれ……もしかして俺、怖がられてる?あと『しっこく』って何だ?
最近流行りの悪口か何かか?

「しっこくがいます、姉さま!」

瑠璃は困ったように溜息を吐いて、

「あ、あれはただのコスプレ……変装よ。
 彼は魔導資質を持たないただの人間。魔法は使えないわ」

ああ、電波ワードで分かったよ。
なるほど、三女は同人誌のコスプレ写真を見て、俺の顔を知っていたんだな。
『MASCHERA~堕天した獣の慟哭~』に登場するキャラクター『漆黒(しっこく)』として。
568: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 12:32:33.75 ID:GQjBgs+10
「この人はルリ姉の彼氏。さっき聞いたでしょー?」

三女は可愛らしく小首を傾げて、

「かれし……とはなんですか、姉さま?」

純真無垢な質問に、うぐ、と声を詰まらせる次女。

「それは、えっとねえ……友達よりも、もっと仲良くなったのが、彼氏、かなぁ……?」

うまい!
三女は納得したようにパァッと顔を輝かせると、おもむろに俺の顔を見つめて、

「姉さまのかれしは、兄さまですか?」

なんでそうなる!?今論理に大きな飛躍があったぞ!

「まあ、長い目で見ればそうかもねえ」

次女もさり気なく同意してんじゃねえ!
あやせに桐乃の兄という意味で『お兄さん』と呼ばれるのと、
瑠璃の妹にそのままの意味で『兄さま』と呼ばれるのでは、全然意味が違ってくる。
俺が『兄さま』って呼ばれることを、コイツはどう思ってんのかな……と隣を見ると、

「お、お茶を用意するから、適当に座って待っていて頂戴」

瑠璃は居間と直接繋がっている台所に行ってしまった。
どうしたもんかね、と突っ立っていると、「どうぞ」と次女が座布団を敷いてくれた。
572: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 12:56:30.34 ID:GQjBgs+10
今9話確認したら
黒猫の家の屋根は瓦ではなく金属板葺きでした
ついでに居間と廊下を分かつのは襖ではなく障子でした

>>516
壁の漆喰はところどころ剥がれ、屋根瓦は褪せて砂色になっていて、 ×
壁の漆喰はところどころ剥がれ、屋根板は赤銅色に褪せていて、 ○

>>522
俺が歩くと盛大に軋む床板の上を、瑠璃は足音ひとつ立てずに進み、やがて右手の襖を開けた。 ×
俺が歩くと盛大に軋む床板の上を、瑠璃は足音ひとつ立てずに進み、やがて右手の障子を開けた。 ○
574: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 13:14:29.35 ID:GQjBgs+10
腰を下ろし、部屋をぐるりと見渡してみる。
居間は畳八枚の不祝儀敷き、中央に方形のちゃぶ台、その正面には小さなブラウン管型テレビ、
部屋の角には木製の収納棚が二つあって、その隣に渋い色の座布団が数枚積み重なっている。
麻奈実家の居間と似ているが、どことなく暗い感じがするのはどうしてだろうな。
首を傾げつつ視線を右下に転じると、畳の上に、画用紙が何枚か散っていた。
これは……見たままに言うなら、ピンク色の人……か?
俺はさらにその横で、創作活動に励んでいる三女に問いかけた。

「何を描いているんだ?」
「メルル!」

おお、言われてみれば確かにメルルだ。
ピンクのバリアジャケットにピンクのツインテール……。

「そっくりじゃねえか」

にぱー、と笑顔を咲かせる三女。

「メルルが好きなのか?」
「はいー!」

俺の妹と気が合いそうだな。

「兄さまも、メルル好きです?」
577: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 13:37:58.44 ID:GQjBgs+10
「あんなガキ向けのアニメ好きでも嫌いでもねーよ」と本音を漏らすワケにもいかず、

「俺の家族の一人が大好きなんだ。だから、少しならメルルのことが分かるぜ」
「じゃあ、これは誰ですか?」

画用紙を手渡される。
黒のバリアジャケットに黄色のツインテール、か。

「アルファ・オメガだ」
「正解です。じゃあ……これは分かりますか?」

二枚目。
人型を作る枠線の中身は肌色で塗りつぶされ、
背中には一対の黒の翼が描かれている。少し悩んだが……。

「ダークウィッチ『タナトスエロス』EXモードだ」
「すごいです!」

注がれる尊敬の眼差し。
背中から別の視線を感じて振り返ると、次女が複雑な面持ちで俺と三女の遣り取りを見つめていた。
ち、違う!俺は断じてメルルの『大きなお友達』じゃねえ!





613: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 19:24:22.59 ID:GQjBgs+10
「あっ、別に隠さなくてもいいですよー。
 ルリ姉があんなふうだから、京介さんもそんな感じなんだろうなあって思ってましたし」
「いや隠してねえから!」

エロゲのプレイ歴があったりアニメの話にそこそこついていけたりと、
一般人の域は超えているかもしれねえが……俺はまだグレーゾーンにいる。
うん、いるはずだ。
だからそのちょっと憐れむような視線をやめてもらえませんかね?

「そういえば」

と次女はポンと手を打って、話題を変える準備をした。
あーあ、こりゃ絶対誤解されたまんまだよ。

「ルリ姉とはどうやって知り合ったんですか?」
「話せば長くなるんだが……『オタクっ娘集まれ~』ってオタクの女の子限定のコミュニティがあってさ、
 そこの管理人が去年の春頃にオフ会を開いて……」
「そこに京介さんも参加したんですか?男なのに?」

してねえ。なんで俺が参加したっていう発想がナチュラルに出てくるんだ。

「俺は遠目で見てただけ。参加したのは俺の妹だよ。
 たぶん、瑠璃が持ってる写真で見たことあるんじゃねえかな?
 髪の毛を明るい茶色に染めて、ピアスしてるんだけど」
「あぁ~、分かりました。ルリ姉の親友ですね」

親友、か。

「俺はそいつの兄貴。
 オフ会をきっかけにウチの妹と瑠璃が連むようになって、その流れで俺と瑠璃も……」
616: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 19:44:45.47 ID:GQjBgs+10
「何の話をしているの?」

台所から戻ってきた瑠璃が、ちゃぶ台の上に人数分のお茶と、お茶請けを乗せていく。

「ルリ姉と彼氏さんの馴れ初め聞いてたところ。
 でも京介さん、終盤のほう端折りすぎ。もっと詳しく聞きたいなぁ~……痛ッ!」

デコピンが炸裂し、次女は両手で額を押さえる。マジで痛そうだ。

「余計なことは聞かなくてもいいのよ」
「えぇ~、こういうコト聞かないと、ルリ姉が彼氏連れてきた意味がないじゃん」
「わ、わたしは何もあなたたちに見せびらかすために、この人を家に呼んだわけではないわ」
「じゃあ、何のため?」

瑠璃は困ったような顔になって、口を噤む。
救難信号を察知した俺は言ってやった。

「妹二人を家に残して遊びに出かけるのが不安だから、俺を家に呼んだんだよな?」

妹想いの良いお姉ちゃんだよ。
うんうん、と頷いて顔を上げると、次女は懸命に笑いを堪え、
瑠璃は顔を赤くし、怒気を孕んだ横目で俺を睨み付けていた。
あ、あっれぇ~、俺何か失言しちゃったかなぁ~?
621: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 20:23:08.42 ID:GQjBgs+10
一人事情が飲み込めていない俺のために、次女が解説してくれた。

「ウチはお母さんがほとんど毎日仕事に出かけてて、
 子供だけで留守番させられるのなんて、日常茶飯事なんです」

お絵描きに夢中になっている三女を見て、

「さすがにこの子一人だけ残すことはないですけど、
 あたしとこの子だけでお留守番するのは、これまでにも何度もあったことでぇ……ぷくくっ」

次女は止めの一言を刺した。

「妹をダシに彼氏を家に呼び込むとか、ルリ姉も考えることがコスいよねえ」
「…………」

わなわなと肩を震わせる瑠璃。
あー、瑠璃?
嘘をつかれたことに関しては、俺は全然怒ってねえし、
むしろそうまでして呼びたかった瑠璃の気持ちが知れて嬉しかったっつーか……。
瑠璃はキッと次女を睨み付け、

「わたしの部屋に行きましょう」

すっくと立ち上がり、障子に手を掛ける。

「えぇー、もう行っちゃうの?
 もうちょっとここでゆっくりしていきなよー。jこのお茶、どうするの?」
「あなたが三人分呑めばいいでしょう。
 あと、その子がお昼寝するまで、傍から離れることを禁ずるわ」
632: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/24(金) 20:58:14.80 ID:GQjBgs+10
「様子を見に行くのもダメ?」
「もしも覗いているところを見つけたら、
 その瞬間に『紅蓮地獄(セブンス・ヘル)』に『強制転送(トランスポート)』するわよ」
「はいはい。心配しなくていいよ、あたしはずっとここでテレビ見てるからさ」

さすが瑠璃の妹、電波受信した姉の扱いも手慣れてんなあ。
俺が立ち上がると、おもむろに三女が顔を上げて、

「兄さま」

どうした?

「ごゆっくり」
「お、おう……」

言いたいことは言ったとばかりに、黒のクレヨンを握り直し、お絵描きを再開する。
今三女の手元にある画用紙は、散らばっているそれらよりも幾分大きめで、
それに伴って絵も巨大化し、現時点では何のキャラクターを描いているのかさっぱり見当がつかなかった。

「何をぐずぐずしているの?」

瑠璃に急かされ、廊下に出る。

「不躾な妹たちでごめんなさいね」
「いい妹じゃんか。瑠璃の趣味も認めてくれてるみたいだしよ」
662: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/25(土) 00:13:34.49 ID:BzHnjpPT0
「あれは認めているとは言わないわ。
 意見の相違を理解した上で、衝突しないように議論を避けているのよ」
「どっちが?」
「妹の方が、に決まっているじゃない」

本当かなあ?

「下の妹はどうなんだ?」
「闇の加護を受けるに相応しい魔力資質の持ち主よ。
 いまのところ、わたしが与えた魔導具は、全て完璧に使いこなしているわ。
 唯一心配なのは、上の妹の影響を受けて、俗に染まってしまうことね。
 それだけは何としても止めるつもりだけど」

いやそこは俗に染まらせてやれよ、という言葉を呑み込み、代わりに溜息を吐いた。
しばらく歩くと、裏手の縁側に出た。
庭には瑠璃の親の趣味なのか、盆栽がいくつか置いてあって、小雨に体を濡らしている。

「こっちよ」

瑠璃は縁側の最奥で足を止めた。
右手の障子を開けば、多分、そこが瑠璃の部屋なんだろう。
ゴクリ。唾を飲み込む音がやけに大きく頭の中に響く。
き、緊張すんなあ。
同じ女の子の部屋でも、麻奈実の部屋に入るときは全然意識しねえのに。

「入って頂戴」

俺の葛藤を余所に、瑠璃はあっさりと障子を開けた。
そろりと足を踏み入れ、部屋を見渡す。
668: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/25(土) 01:01:09.26 ID:BzHnjpPT0
床は居間と同じような畳敷きで、四方のほとんどが障子と襖という純和風な造りだが、
畳の上に敷かれた薄緑色のカーペットや、茶色の文机やノートパソコンなど、
洋風な調度が多いせいで、全体としては和洋折衷の趣を醸している。
中でも特に浮いているのがパイプ椅子で、
文机とセットになっていたはずの椅子はどこに消えたのかと首を傾げずにはいられない。

「これに座って」

振り返ると、別のパイプ椅子が展開されていた。
瑠璃は無言で文机に着き、俺に背を向けてノートパソコンを立ち上げる。
なぜにパソコン?まさか俺を放置してネットサーフィンするつもりなの?
不安に駆られて瑠璃の表情を伺うと、頬がかすかに上気していて、
平静を装っている裏で、俺と同じように緊張していることが分かった。
女の子の扱いに慣れた男なら、ここで場を和ませる冗談でも飛ばせるんだろうが、
悲しいかな、俺にそんなトークテクニックの持ち合わせはない。
早く何か言わねえと――焦れば焦るほど言葉は出てこなくて、
適当に視線を彷徨わせていると、やがて文机の上に、面白いものが乗っていることに気が付いた。

「マトリョーシカ……しかも黒猫の……お前、本当に猫が好きなのな」
671: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/25(土) 01:41:31.76 ID:BzHnjpPT0
瑠璃は五匹いる猫のうち、一番小さいものを手に取って、

「猫はやはり黒猫に限るわ。
 これは……これはね、母さんにもらったものなの」

ふにゃりと表情を崩す。

「思い入れがあるモノなのか?」
「昔々……わたしがとても辛くて寂しい思いをしていたときに、
 このマトリョーシカが元気づけてくれたの。幼心とは単純なものね。
 入れ子を取り出して並べるだけで、寂しさを紛らわせることができるのだから」

辛くて寂しい思い出なんて、わざわざ思い出したくもねえし、話したくもねえだろう。
俺はマトリョーシカの話題から離れるために、今この家にいない人物について尋ねることにした。

「そういや瑠璃のお母さんは、どんな仕事をしている人なんだ?」
「駅の近くで飲食店を経営しているわ」
「へぇー、すごいじゃん」
「自営業と言えば聞こえはいいけれど、維持するのが精一杯の、本当に小さなお店よ。
 人手が足りないときは、わたしもホール仕事を手伝わされているの」
「もしかしてアルバイトって、そのことを言ってたのか?」

こくん、と頷く瑠璃。
なるほどな、親の店の手伝いをしてたなら納得だよ。
前々から不思議に思ってたんだ。
労働基準法に抵触せずに、中学生の頃の瑠璃にも出来たアルバイトっていったい何なんだろう、ってさ。

708: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/12/25(土) 10:28:49.39 ID:BzHnjpPT0
じゃあお父さんは――と尋ねようとした時、丁度パソコンが立ち上がった。
壁紙はもちろんマスケラで、『漆黒』と『夜魔の女王』が背中合わせになって夜空を見上げている。
線が緻密なうえ、色使いも巧みで、素人目にもレベルの高い絵だということが分かった。
一見すると公式絵にしか見えない。

「有名なイラストレーターが、趣味で画像投稿サイトに投稿したものよ」

噂に聞くプロの仕業ってヤツか。

「今のわたしには、どれだけ時間を費やしても、これに匹敵する絵を描くことができないわ。
 アマチュアが本気になっても描けない絵を、プロは片手間に描けてしまう。
 悔しいけれど、それが現実よ」

自分に言い聞かせるようにそう言って、
瑠璃は滑らかなマウス捌きでランチャーからフォルダを選択し、そこからさらに深い階層に潜っていく。
途中、中身が何もないフォルダに行き着き、ここで終わりかとおもいきや、
瑠璃がフォルダオプションを弄るとそれまで見えなかった隠しフォルダが表れて、溜息が出た。
カチ、カチ、カチ――。
小気味良いクリック音に眠気さえ感じてきたころ、ようやく瑠璃の手が止まる。
画面に表示されているフォルダの名前は……『創作』。

次スレ:

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