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2: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:43:40 ID:HxV
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「川島さん、三十二歳のお誕生日おめでとうございまーす!」

 関西のテレビ局内、川島瑞樹が出演しているトークバラエティ番組のスタジオの中に、スタッフと共演者たちの声が響いた。

「えっ!?」瑞樹は一瞬目を丸くして、それからすぐに笑顔に戻る。「ありがとう! まさかお祝いしてもらえるなんて思わなかったわ!」

 アシスタントディレクターの若い女性が小さなケーキを運んできた。火気厳禁のスタジオ内のため、LEDで発光するおもちゃの大きなロウソクが三本、小さいロウソクが二本。
 スタジオの照明が暗くなり、瑞樹はまわりのスタッフたちをぐるっと見渡してから、目の前に置かれたケーキに顔を寄せる。

「ホントは十七歳なんだ・け・ど!」

 瑞樹が言うと、スタジオに笑いが起こった。それから瑞樹はおもちゃのロウソクにふーっと息をかける。女性がLEDのスイッチを切ると、スタジオには拍手がとどろいた。

「川島さん、これからも、よろしくおねがいしまーす!」

「ありがとう、みんな、よろしくねー!」

 瑞樹は周りを囲む面々に、笑顔で礼を繰り返した。
3: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:44:28 ID:HxV
-----

「プロデューサー君、ごめんねー、私だけのためにわざわざ」

「いいえ、大丈夫です。ほかの皆も似たようなものですよ、サイバーグラスの二人以外は全員ばらばらのタイミングでした」

 瑞樹の誕生日から数日後、美城プロダクション内、打ち合わせスペース。瑞樹からプロデューサー君と呼ばれた若い男性は、柔和な笑顔で返事をした。

「それに、さすがにこれはメールや電話だけで済ませたくはない内容ですし」

 言いながら、プロデューサーは数枚の書類を瑞樹の前に置いた。書類には「ブルーナポレオンラストライブ」と大きくタイトルが書かれている。
 瑞樹は、そのタイトルを数秒見つめて、それから書類をめくっていく。
 川島瑞樹、松本沙理奈、荒木比奈、上条春菜、佐々木千枝の五人からなる人気ユニット「ブルーナポレオン」は結成から四年目にして、ユニットとしての活動の終了を決めた。
 理由はネガティブなものではなく、単純にメンバー個々人の活動が忙しくなり、五人全員のスケジュールを合わせることが困難になってしまったためだった。
 ユニット活動ができないままファンに期待だけを抱かせるよりも、きちんと活動を終了する宣言をしたうえで、五人が揃う機会があれば限定的に復活するほうが誠実な態度だろう、というのが、プロデューサーとユニットメンバーの合意だった。

「始まったら、かならず終わる……私もいくつかユニット活動をして、もう終わっちゃったものも多いけど……さすがにブルーナポレオンの活動終了は、感慨深いものがあるわね……」

 瑞樹は目を細めて、読み終えた書類を整えて机の上に戻す。

「うん、問題ないわ。ほかのメンバーの皆はなにか言ってたかしら?」

「いえ、大筋の内容についてはとくに。細かな演出面くらいです。合わせの回数が少ないことが気になるかと思っていたんですけど、それもみんな、大丈夫そうでしたね」

「ふふ」瑞樹は嬉しそうに笑う。「もうみんな、お互いの呼吸バッチリなのよ。もちろん、何度も揃ってレッスンできればそれにこしたことはないけれど、この回数でも十分、満足いくところまでもっていけると思うわ」

「そうでしょうね」プロデューサーは頷く。「自分が担当しているユニットで己惚れるみたいですけど、ブルーナポレオンは本当に、絆も強く実力も高いユニットだと思います。心配はしていません」

 そして、プロデューサーはクリアホルダーからもう一枚、書類を取りだした。

「それで、この前に瑞樹さんから相談されていた件なんですけれど――」

 瑞樹は思わず姿勢を正した。
 書類のタイトルには「川島瑞樹アイドル引退セレモニー」と書かれている。
4: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:46:21 ID:HxV
 二十代後半で地方局のアナウンサーからアイドルに転身。女性アイドルとしては高い年齢でその世界に飛び込んだ川島瑞樹は、既に芸能界で培っていた営業力、
どんな仕事でも受け入れる幅の広さと明るいキャラクター、そして誰より丁寧な姿勢で、ファンにも業界内部にも好かれ、人気アイドルとなり、活躍した。
 芸能界での川島瑞樹人気は未だ衰えてはいなかったが、ブルーナポレオンとしての活動が終わることが決まったとき、瑞樹は自分から、プロデューサーにアイドルとしての引退の意向を伝えていた。

「……今かな、って思ったのよね」

 瑞樹はプロデューサーが作った引退セレモニーの書類を受け取り、じっと読み耽った。ライブの最中に急に引退を発表したのでは会場に大きな混乱を引き起こす恐れがある。
先にブルーナポレオンの活動終了と瑞樹のアイドル引退のプレスリリースを出す案が書かれていた。
 瑞樹はプロデューサーの顔を見る。プロデューサーは真剣な目で瑞樹を見ていた。

「……アイドルに転身しようと思ったときと、同じ心境になったのよ。……たぶんこれが、私が自分を前に進めるときの、無意識のサインなんじゃないかって思ったの。プロデューサー君は、どう思うかしら?」

「……瑞樹さんの意思なら、何も言うことはありません」

「プロデューサー君が辞めないでって言ったら、ちょっと考えちゃおうかしら?」

 瑞樹は上目遣いでプロデューサーを見る。瑞樹が意識的に妖艶な魅力を添加したその仕草を観ても、プロデューサーは眉ひとつ動かさなかった。

「冗談でしょう」プロデューサーは微笑む。「瑞樹さんは相当に考えて悩んで、引退の意思を伝えてくれたはず。それなら簡単に覆すべきじゃない。それに……確かに、いい時期ではあると思います。
瑞樹さんの活動は、アイドルというよりも、もっと広い意味での芸能人としてのものに近づいている」

「……そうね」瑞樹は目の前のプロデューサーに向かって、抗議の意味を込めてほんの少しだけ口を尖らせた。「冗談よ、冗談。さすが、私たちのプロデューサーね」

 瑞樹の思惑を知ってか知らずか、プロデューサーは普段よりもやや割増で笑顔を返した。

「ブルーナポレオンの活動終了と私のアイドル引退の発表、それからライブチケットの販売開始、ね。大丈夫。このまま、進めてちょうだい」

「了解です。……最後まで、よろしくお願いします」

「よろしくね」穏やかに言ってから、瑞樹は顔をパッと明るく切り替える。「やだ、しんみりしちゃうじゃない! ユニットが終わったからって縁が切れるでもなし、明るくいきましょ!」

「そうですね」プロデューサーも微笑む。「そういえば……瑞樹さん、誕生日、おめでとうございます」

 言われて、瑞樹は目を見開いたあと、ほんのすこしだけ頬を染め「ありがとう」と言った。


 ブルーナポレオンの活動終了と川島瑞樹のアイドル引退の報は、マスコミやインターネットを通じて瞬く間に広がり、ファンはこぞってチケットを求めた。
 ドームで行われる最終ライブのチケットは、数十倍ともいわれる抽選倍率になり、海外も含めた各地の映画館でライブビューイングが行われることになった。
 もともと多忙だったブルーナポレオンのメンバーのスケジュールは話題を呼んだことでさらに過密になり、時はあっという間に過ぎ去っていった。
5: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:48:51 ID:HxV
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 空になったぐい飲みをカウンターに置いて、瑞樹はふーっと長く息をついた。

「溜息なんて、珍しいですね」

 瑞樹の右隣に座った高垣楓が、興味深そうに瑞樹を見つめた。

「……」瑞樹は左手だけで頬杖をついて、楓を見て眉をひそめる。「いやね。無意識に出てたみたいだわ」

 ラストライブまであと一か月弱程度。冬が最も厳しくなるころ、瑞樹は楓と二人で、芸能人がお忍びで訪れるのに適した会員制の日本料理店を訪れていた。一日の営業で入れるのは常に予約の一組だけ。カウンターだけの小さな店で、めいっぱいに詰めても六人程度が精々のスペースしかない。
 たまにはゆっくり話をしようと、楓が選んだ店だった。

「なにか、お悩みですか? 私でよければ、聞きますけれど」

 楓はほんの少し口角をあげる。右手に持った切子のぐい飲みの中で、日本酒の水面がゆらゆら揺れていた。

「……自分でもわからないわ。いま楓ちゃんから言われて初めて自覚したのよ。……最後に向けて、気持ちの整理はついてるつもりだったんだけど……自覚していない悩みがあったのかもしれないわね」

「本当は、引退したくない……とか、でしょうか?」

「違うわね」瑞樹はすぐに返答した。「引退って、芸能界を引退するわけじゃないでしょ。アイドルという肩書を外すだけで、日々の生活に変化はないと思うの。
 今はもう“アイドルの川島瑞樹”じゃなくて“川島瑞樹”として芸能界に居ると思ってる。楓ちゃんだって、私と同じようにアイドルを引退するって考えても、そんなに抵抗はないんじゃないかしら」

 瑞樹に言われて、楓は一瞬考える。

「……そうかもしれません。メンバーに出入りのあるような、大きなアイドルグループに所属しているわけでもありませんし。明確に引退するとは宣言していないだけで、私も今は、歌手や女優として見られていることが多いように思います」

「そう。だから、きっと溜息の原因はそれじゃないわよ」

「と、すると……」

 楓はぐいのみの日本酒を一口含み、口の中で香りを楽しんだあと、ゆっくりと飲みこんだ。ハイネックのニットからほんの少し覗いている喉が小さく動く。それから目を細めて、ふーっと艶っぽい息を吐いた後、碧の右目と青の左目で瑞樹を捕えた。

「ひょっとして恋の悩み、とか、でしょうか」
6: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:49:04 ID:HxV
 瑞樹は二秒、真顔で楓の目を見つめ返して、それからぷっと噴き出した。

「ふっ、ふふっ、楓ちゃん、笑わせないでよ……最近は忙しくて、仕事のほかに日常的にやりとりする男性なんてプロデューサー君しかいないわよ」

「じゃあ……その、プロデューサーに?」

 楓は穏やかに、しかし嬉しそうに言う。瑞樹はぐい飲みを持ちあげた。それが空だということを思い出し、カウンターの向こう、着物姿の若い女性店員に「おねがい」と告げる。女性店員は頷いて、瑞樹のぐい飲みに新たに薄く濁った日本酒を注いだ。

「プロデューサー君はね、比奈ちゃんが予約済み」

「そうなんですか?」

「観ててとっても面白いのよ? プロデューサー君も比奈ちゃんだけがお互いの気持ちに気づいてないの。もうみんな、ぜーんぶわかっちゃってるのに。だから、プロデューサー君にアプローチしないのは、暗黙の了解みたいになってるのよ」
 瑞樹は日本酒を一口。
「……確かに、プロデューサー君がいいなって思ったときもちょっとはあったけど……それだってもう昔の話よ」

「……そうですか」

 楓は口角をほんの少し上げて、なにか言いたげだったが、口に出す代わりに、目の前の皿の鱈の白子の天ぷらをひとつ、天つゆに半分ほど浸してから口の中に運んだ。

「きっとね」瑞樹は両手を膝の上に置いて、カウンターを見つめる。「もっと、精神的な区切りのことを意識しているんだと思うわ。もう、若手なんて言えない。芸能界に飛び込んでからがむしゃらにやってきたけど、気づいたらこんなところまで来ていた。
 ずっと飛び込んだときのまま、女の子で、少女でいたいけれど、時間も、状況も許してはくれない……それを受け入れなきゃいけない時が来てるのね。ずるずる延ばし続けてきた青春時代が終わるのが、怖いんだと思うの」

「……瑞樹さんは、いつまでも少女なのかと思っていました」

「私だって、楓ちゃんのことをそう思っているわ。ブルーナポレオンや、ほかの皆のことも。でもそのつもり、と思っていても、嫌だと思っていても、髪だって爪だって伸び続ける……
 ああ、三十までには時を止める魔法を完全にモノにするつもりだったのに、メイクとお肌のケアばっかり上手くなっていくのね」

 瑞樹は笑う。皿の上の銀杏を箸でつまみ、皿の端に盛られた塩につけて口に入れる。

「だから、その覚悟を決めるのよ」

「ラストライブ、観に行くつもりです」

「ありがとう」瑞樹はぐい飲みを楓のぐい飲みと軽く合わせる。「お仕事は?」

「その日はオフにしてもらいました」

「うふふ、緊張するわね。パフォーマンス、頑張らなきゃ」

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7: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:51:08 ID:HxV
 店を出て楓と別れ、瑞樹は自宅へと向かった。薄い色のサングラスをかけ、帽子を目深にかぶり、地下鉄に乗って最寄駅へと向かう。マフラーの下で、瑞樹自身の吐いた息にやや強めの酒気と息苦しさを感じた。
 すこし呑み過ぎたかもしれないと、瑞樹は感じていた。
 地下鉄を降りて地上にあがり、酔い覚ましにと、瑞樹は近所の少し大きな公園へ向かった。夜でも明度の強い街灯がいくつも点いていて、大通りにも近く、治安は問題のない公園だった。ジョギングをする人の影もちらほらと見える。
 ブラックの缶コーヒーを買って、瑞樹は公園を歩く。サッカーコートがとれる広さのグラウンド、それを囲む土手の上の道に立って、瑞樹は空を仰いだ。天気は良かったが、都会の明るい空ではオリオン座がようやくうっすらと確認できる程度にしか星は見えない。
 瑞樹は黙って空を眺めつづけた。
 アイドルになることを決めたときにも星を観ていた。
 あの時も今も、星は変わらず瑞樹を見下ろしている。一方、星を見上げる瑞樹は変わっていく。
 瑞樹は息を吐いた。顔の周りが熱い。だいぶ酔っていると感じた。

「前は、このくらいのお酒じゃまだ酔わなかったのに……」

 瑞樹は以前、柊志乃から言われていた。三十代に入ると、急に衰えを感じるタイミングがあると。
 瑞樹は目を細め、地面に目を落とす。
 以前よりも、体形をキープするのが大変になっている。肌は水をはじかなくなった。油物が負担だと感じるようになり、体力仕事は翌日に疲れが残るようになった。

「嫌ね……ほんとに……」

 やや酔いが回った頭は、意味もなく沈んだ気持ちをより深く沈ませる。
 瑞樹はやや冷めてきた右手の缶コーヒーを一気に煽ると、ひとつ息をついて歩き出した。土手上の道、瑞樹の向かい側からランニング中の女性が走ってくる。ぶつかるような距離ではないが、瑞樹はほんの少し道の外側にずれる――
 と、瑞樹のヒールの踵が、小さな小石を踏んだ。

「っ!」

 右足ががく、と曲がり、瑞樹の身体は右へと大きくバランスを崩した。まずい、と瑞樹は思った。瑞樹が転んだ方向には、土手をグラウンドへ降りるための石段がある。
このままでは転ぶだけではなく、落ちる。瑞樹は右手でカバーしようと考えた。しかし、右手には缶コーヒーを握ったままだ。
 一瞬で、ありとあらゆることを考えた。このまま落ちたらどうなるか。明後日の仕事は。プロデューサーへの連絡は、ラストライブは。傷だけは絶対に負ってはいけない。すぐにカバーを――
 しかし、瑞樹の上半身はもう石段に向かって放り出されつつあった。左手を石段の手すりへと伸ばす。しかし、それは瑞樹の願った速度よりもずっと遅かった。
 もし、缶コーヒーの缶を手に持っていなかったら。
 もし、今日の瑞樹が飲酒をしていなかったら。
 もし、瑞樹がもっと若かったら。
 無数の仮定を抱えながら、瑞樹は最初の衝撃をその右わき腹に受けた。
8: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:51:18 ID:HxV
「っうっ!」

 声が漏れた。階段を落ちていく身体が大きく回転する。
 次に左足に強い衝撃が走った。そのまま、ずるずると階段を半分ほど転がったところで、瑞樹の身体は止まった。

「だ、大丈夫ですか!」

 女性の声がした。瑞樹は自分の頭がどちらを向いているのかもよくわからなかったが、声のした方は恐らく土手の上で、さっきすれ違いかけたランナーだろうと考えた。
 強い痛みを感じた左足に意識を走らせる。思ったよりも痛くないと瑞樹は思った。これなら仕事には支障はないだろうか。他に傷は残らなかっただろうか。
頭は痛くないし、打った記憶もない。瑞樹はあれこれ考えながら、身体を起こそうとして――うまくできなかった。

「救急車、呼びます!」

 女性の声がする。
 そこまでしなくてもいいから。血だって出てないみたいだし。瑞樹はそう思ったが、少しずつ、身体のあちこちがじわじわと熱を帯びていくのが分かった。
 アドレナリンとアルコールで感覚が鈍っていただけだったと、瑞樹は理解した。

「これは、ダメね……」

 口の中でつぶやき、瑞樹は胸中から湧き上がるようにやってきた諦めの気持ちを抱いて、涙を流さずに泣いた。


 ――診断は四カ所の打撲と、三カ所の擦過傷。足首骨折。全治、三週間。
9: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:53:41 ID:HxV
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 瑞樹の自宅近くの病院、瑞樹は左足をギプスで固定された状態で個室のベッドに座っていた。

「四人から連絡がありました。あと十分ほどで到着するそうです」

 瑞樹のベッドの脇の椅子に座る瑞樹たちのプロデューサーは、電話をポケットにしまいながら言った。

「ありがと、プロデューサー君」

 瑞樹は言ってから、病室の窓を見る。
 窓の外には枯れた木が見える。葉は完全に落とされていて、一枚も残っていない。空は明るい灰色に曇っている。
 瑞樹は外を眺めたまま、長く息をついた。

「色んな所に迷惑をかけちゃったわね」

「……」

「プロデューサー君にもたくさん」

「それは、気にしないでください」

 プロデューサーは間を置かずに行った。
 瑞樹たちのプロデューサーは嫌な顔ひとつせず、あちこちを走り回って、瑞樹の怪我のフォローをしてくれていた。
 直近の瑞樹の仕事は、プロダクションのアイドルが代わってくれた。
 ブルーナポレオンラストライブは、プログラム内容について対応を保留しているが、希望者へのチケット払い戻しは開始している。
 医者からは、ギプスが外れても、ダンスができるようには間に合わない、ときっぱり言われていた。

「……不思議、ね」窓を見たままで瑞樹は呟いた。「たぶん、怖かったはずなのよ。自分が歳を取ったって認めるのが。この怪我をする直前、楓ちゃんにそういうことを話していたの」

 瑞樹の言葉を、プロデューサーは黙って聞いていた。瑞樹が観る窓に反射したプロデューサーの姿は、じっと瑞樹を見ている。

「でも、こういうふうに現実を突き付けられたら……ちょっと、違った。それとも、受け入れるしかないって、思わされたのかしら……前まで感じていた漠然とした怖さはなくなったの。これが、いまの川島瑞樹なんだって。考える時間をたっぷりもらえたから、悟っちゃったのかしらね」

「でも、瑞樹さんの火が消えているとは思わない。だから、今日メンバーの皆も来るわけですから」

 瑞樹はプロデューサーの方を見て微笑むと、気を取り直すように両手を組んで真上にあげ、伸びをした。

「そうよね。わかってるじゃない。だからここからは、単純に打ち合わせ、よね」

 不敵な笑みを浮かべて瑞樹が言うと、プロデューサーは当然、と言った顔で頷いた。
10: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:54:51 ID:HxV
 病室のドアをノックする音がしたので、瑞樹は「どうぞ」と返事をした。すぐに扉が開いて、ブルーナポレオンのメンバー、比奈、沙理奈、春菜、千枝が入ってくる。
 千枝だけは少し、緊張したような面持ちだった。

「みんな、忙しいのにありがとう」

「いえいえ、思ったより元気そうでよかったっス」

 比奈が笑顔で言う。

「こんな病室に一人かぁ。アタシは退屈で耐えられそうにないなぁ」

 沙理奈が病室をきょろきょろと見回す。

「あら、ここで過ごすのだって意外と悪くないわよ」瑞樹は明るい声で言った。「久しぶりにのんびりしてるんだから。こんなの何年振りかしら」

「あ、あの……瑞樹さん、怪我は……」

 千枝はどうしていいのかわからないようで、ちらちらとギプスを見ていた。

「私は大丈夫よ、千枝ちゃん。そんな顔する必要なんかないわ」

 瑞樹は穏やかな声で千枝に言うと、プロデューサーの方へ眼で合図をした。

「ええ」プロデューサーはメンバーの顔を見渡す。「ラストライブの件を話したいと思っています」

 瑞樹は首肯した。ブルーナポレオンのメンバーは、それぞれベッド脇に並ぶ。
11: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:54:58 ID:HxV
「私の気持ちは決まってるわ」瑞樹は全員を見渡す。「ライブは予定通りの日程で開催して。私のソロプログラムは歌だけで対応できるように当日に間に合わせるわ」

「やっぱり、瑞樹さんならそう言うと思ってたんです!」

 春菜が大きく頷く。

「了解っス。じゃあ、ユニットのプログラムは必要に応じて調整っスね」

「あ、あの――」

 千枝が困惑気味に言った。

「瑞樹さんは、それで、いいんですか?」

 プロデューサーもメンバーも、皆が千枝を見た。

「ブルーナポレオンも、アイドルとしての瑞樹さんも最後なのに、それで終わっちゃって、本当にいいんですか?」

 部屋の中に沈黙が流れた。
 千枝は今にも泣きだしそうな顔をしている。その真剣な表情から、瑞樹のことを深く想っているということが痛いほど伝わるようだった。

「千枝ちゃん」瑞樹は穏やかな声で語りかける。「不注意で怪我をしてしまったことは、本当に残念だし、申し訳ないと思っているわ。でもね、私、このライブは、一切手を抜くつもりはないのよ」

「えっ?」

 千枝は不思議そうな顔をする。
 瑞樹は千枝にウインクした。
12: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:55:21 ID:HxV
 結果として、千枝は納得し、ブルーナポレオンのメンバーとプロデューサーの間で、ライブは当初の日程のまま決行することが決まった。
 すぐにプレスリリースがなされ、ファンには喜びと困惑をもって迎えられた。瑞樹は骨折によりユニット曲のダンスには参加できないことがわかっている。その状態でどういったステージを行うのか。憶測が飛び交った。
 希望者のチケット払い戻しも引き続き行われたが、払い戻しは事務方の予想よりもずっと少なかった。
 そして、アイドル川島瑞樹が踊ることができないブルーナポレオンラストライブ、そして川島瑞樹のアイドル引退は、その日を迎えることになった。
13: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:56:02 ID:HxV
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「なあ、今日のライブって瑞樹さんどうするんだろうな」

「足の骨の骨折だろ? 子どもの頃やったことあるけど、骨が繋がったってしばらくは運動はダメなんだよな」

 ラストライブ当日。ライブ会場では、そこかしこで瑞樹の状態を気にする声がささやかれていた。

「……本日はご来場いただき、誠に有難うございます。開演に先立ち、会場の皆様にご注意をさせていただきます」

 会場内にアナウンスの音声が流れる。

「……また本日、出演者の川島瑞樹の事故によるケガのため、一部演目の内容を当初の予定から変更してお送りいたします。ご来場のお客様にはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 アナウンスが終わると、会場からは「大丈夫だぞー!」「お大事にー!」といった労いの声が聞こえてきた。
 数分後、会場内に流れるBGMのボリュームが一気に上がる。ライブが開始する合図だ。
 会場に居るファンも、ライブビューイングで観覧しているファンも、全員が舞台を食い入るように見つめていた。
 そこに、瑞樹は居るのか否か。
 会場が暗転し、舞台にスモークが炊かれ、低音が響き渡り、舞台の外側から順に、等間隔に配置された青いライトが舞台面から上に向かって点灯していく。
 点灯したライトの青い光の筒は客席に向かってゆっくりと倒れ、そこから舞台中央に向かって回転していく。
 楽曲のイントロの終わりとともに、会場上部の照明が一気に点灯した。
 熱狂的な歓声が上がる。が、その瞬間に観客は全員、同じ思いを抱いた。
 ――四人。
 やはり、川島瑞樹はそこにはいなかった。上条春菜、荒木比奈、ちょうど一人分のスペースをあけてから、松本沙理奈、佐々木千枝。

「ああ、やっぱり……」

 観客の一人が残念そうな声でつぶやく。
 Aメロが始まり、四人の歌声が重なった。
 仕方ない。あれほどの怪我だったのだから。誰もがそう思い、せめてもの気持ちを込めて五本分のペンライトを掲げた、そのときだった。

「……あれ?」

 ある観客の男性は、目を凝らした。
 サイリウムを振っていた腕が、思わず止まっていた。目だけで一瞬横を観る。隣の観客も、目を見開いていた。
 舞台の上では、川島瑞樹を除いた四人が歌い、踊っている。
 そのはずだった。

「いる……」

 会場のどこかから女性の声が聞こえた。
 ある男性は、どこから聞こえたのかもわからないその声に何度も首肯した。

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14: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:57:39 ID:HxV
「もしもね、これが私の引退ライブで、私が大怪我をしてステージに出られなくなったら、そのときはスケジュールを変えなくちゃならないと思うの」

 病室で、瑞樹は千枝に言う。

「だけど、これは『ブルーナポレオンの』ライブで、そこで私の引退セレモニーをする。そういうライブじゃない? だから、スケジュールは変えなくても大丈夫だって、私は信じてるわ」

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「なんで……?」ライブ会場一階後方の男性は、震える声で言った。「川島さん、いるよ、見えるんだけど」

 言いながら、片手でハンカチを目に押し当てて、もう一方の手でペンライトを振った。

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「私たちはユニットだから、誰かの不足を誰かが補うことができる。これからみんなに迷惑をかけちゃう私が言うのもちょっとおかしいかもしれないけれど……
 このユニットなら、ブルーナポレオンなら、私が舞台の上に居なくても、見に来た人たちに、川島瑞樹がそこにいる、って思わせるくらいの表現力があるパフォーマンスが、できるんじゃないかと思うのよね」

 瑞樹の言葉に、千枝ははっとしたような表情をした。

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 二階席の女性グループは、むせび泣いていた。

「ねぇっ、待って、なんで、瑞樹さんいないのにいるよね!?」

「待って、待って、無理! すごい、これなに!?」

 興奮でライトを振ることもできなくなり、彼女たちは正気を保つためにお互いに手を繋いでステージを凝視していた。

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15: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:58:26 ID:HxV
「怪我をして、本来やろうとしていた、今までの川島瑞樹としてのライブ参加は絶望的になった。その時に、落ち込んだのはもちろんだけど……同時に闘志が湧いたのよ。夢は消えても、同じだけ増やして、育てればいい。
 大切な人に教えてもらった言葉。いまのブルーナポレオンの皆で、新しい表現のライブ……私がその場に居なくても、私が、ブルーナポレオンが確かにそこにいると思わせるようなライブができたら……それって、すごいことじゃないかしら?」

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 観客による異様なまでの熱気の集まるステージ上で、上条春菜の振り付けはそのまま、客席から見て右隣の荒木比奈へ渡され、そしてそれは、実際にはそこにいないはずの川島瑞樹へ確かに渡される。そこから松本沙理奈が受け取り、佐々木千枝へ。
 そのステージ上に、川島瑞樹という人間は立っては居なかった。
 しかし、ブルーナポレオンは確かに、そこに存在していた。

「これ、なんなんだ!? こんなのレポにどう書いたらいいんだよ! いないのに居るんだぞ!?」

 ライブビューイング会場で見ていた男性は、左手で前の席の背を握り締めていた。そうしていないとまっすぐ立っていられなくなりそうだった。
 会場を写すビデオカメラのフレームの中に外に、光学的な実態としては映っていないはずの川島瑞樹を確かに感じる。
 そして、曲は間奏に入り、ステージ上の四人はマイクを降ろし一歩、身を引く。
 通常では、間奏開けのメロディは川島瑞樹のソロから入る曲だった。
 すべての視線が、肉眼で、あるいはスクリーンを通して、ステージ中央の何もない部分に注がれる。
 間奏が終わる。
 二番の詩が始まる、一拍前。
 舞台上の四人が、スタッフの百数十人が、ライブ会場の観客一万五千人が、ライブビューイング会場の総計数万人が、川島瑞樹が歌うために吸うブレスの「すぅ」という音を、スピーカーから確かに聴き――
 川島瑞樹の歌が、響き渡った。
16: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)16:59:28 ID:HxV
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「はぁーい、みんな、盛り上がってるー!?」

 最初の曲が終わり、会場の巨大なスクリーンに、ヘッドホンを装着した瑞樹の姿が映った。
 瑞樹は少し大きい電話ボックス程度のサイズの部屋に座っていて、天井に置かれたカメラを見上げるようにして手を振っている。

「私は今、同じ会場の舞台の裏、私のために特別に作られたブースからライブに参加してるの。知ってのとおり、ちょっと怪我しちゃったのよ。ダンスはできないけれど、喉はとっても元気だから、ここから声を届けるわー!」

 会場に大きな大きな声援の声がとどろく。瑞樹はそれを幸せそうに目を閉じて聴いた。

「ありがとう。ねえ、みんな、いまの曲、私、そこに……」瑞樹は、本当に嬉しそうな顔で、カメラにウインクをした。「居たでしょ?」

 ほとんど獣の雄たけびのような同意の声の波がドームから溢れる。

「ふふふ、でも本当に盛り上がるのはこれからよ! さあ、最後までしっかりついてきてね! ブルーナポレオン、ラストライブ! ここからも、全速力で行くわよ! つぎのプログラムは、この曲!」

 瑞樹が指で拳銃の形を模してカメラに向かって構え、ウィスパーボイスで「ばぁん」と唱えると、会場の照明が全て落ち、次の曲のイントロが始まった。

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17: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)17:00:14 ID:HxV
 五人が揃ったパフォーマンスができないなら、四人と一人でできる新しい演出で観客を魅了すればいい。
 瑞樹の提案を聞いたブルーナポレオンのメンバーたちは、やる気に満ちた様子で瑞樹の病室から去って行った。最後に、千枝は扉から出る直前で瑞樹のほうに向きなおる。

「瑞樹さん、すごいです! 私も……瑞樹さんみたいな、どんな時でも前を向けるオトナになりたいですっ! ありがとうございました!」

 言って、千枝はぺこりと頭を下げると、病室を去った。
 瑞樹はそれを、笑顔で手を振って見送った。

「ふふ……千枝ちゃん、きっと私よりもずっと綺麗で、いい大人になれるわよ、ね、プロデューサー君」

「……返答に困る質問、よしてくださいよ」

 プロデューサーは困り笑顔だった。

「ちょっと無茶な提案だったから、反対されるかしらと思ったけれど……みんな、受け入れてくれたわね」

「そのおかげで、これから演出家へのゴー出し、機材の手配と、進行表の書き換え、スタッフに連絡祭りですよ。瑞樹さんほんと、無茶言うよなぁ」
 プロデューサーは書類をまとめて立ち上がる。
「無茶です。でも、無茶だからこそ今までで最高に面白いライブができそうなんで、もちろん、全力でサポートさせていただきますよ」

「ありがとう」瑞樹はベッドの上でぐっと伸びをする。「ああ、すっきりした。……やっとわかったわ。私、アイドルとして得たものを失いたくなかったのね。みんなと一緒に作った思い出に、しがみつこうとしてたの。なくなるわけじゃないのに」

 瑞樹は伸ばした両手を側面からゆっくりと降ろす。

「でも、いま、新しいライブのことをみんなに話したら、わくわくしたの。そうよ、守るより攻めなきゃ。アイドルじゃなくなったら、また新しい私が始まって、新しい宝物が増える。ね、プロデューサー君、それって素敵な事だと思わない?」

 そう言った瑞樹の表情は、少女のように輝いていた。
18: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)17:00:40 ID:HxV
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 ライブ開始から二時間半が経過し、引退セレモニーとして、瑞樹のソロのプログラムが始まった。ステージ中央に椅子が置かれ、下手から入場したドレスに松葉杖の瑞樹が、タキシード姿の沙理奈に添われてゆっくりと進んでいく。
 道のりの途中で沙理奈は客席に向かってにんまり笑うと、瑞樹を抱き上げて、そのまま椅子まで運び、座らせ、瑞樹に向かって恭しく礼をした。悲鳴のような黄色い声が会場に響き渡った。
 瑞樹は下手へ退場していく沙理奈に手を振って送り、マイクを握ると、それを胸の前まで持ち上げてから、長い時間をかけて、ゆっくりと会場を見渡した。

「みんな、いままで本当に、ありがとう」

 瑞樹は穏やかにそう言うと、マイクを口元まで持ち上げ、ゆっくりと歌い出した。
 青い歌声が、ドームを満たす。

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19: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)17:01:17 ID:HxV
「あーあ、終わっちゃったわー」

 終演後のドームで、衣装姿の瑞樹は舞台の最前に座り、空っぽになった客席を眺めていた。

「終わっちゃったっスねぇ」

 比奈が言う。瑞樹の両側にはブルーナポレオンのメンバーたちがそれぞれ座っている。
 五人の背後の舞台上は、セットのばらしもほとんどが終わっていた。

「ラストライブはけじめでしょ。ファンのみんなへ、なかなか揃えられないブルーナポレオンを待たせて悲しませないためのけじめ。またいつか、今日よりすごいライブ、絶対しようね!」

 沙理奈がにっと笑った。

「はいっ、またいつか、この五人で、ブルーナポレオンで、一緒にやりたいです!」

 千枝はまだ興奮冷めやらぬ様子だった。

「瑞樹さんはこれから、どうするんですか?」

 春菜が瑞樹に尋ねる。

「そうね……楽しかったパーティーはおしまい。始まったら必ず終わる。でも、終わったらまた新しいパーティーを考えるの。アナウンサーじゃない、アイドルじゃない、新しい川島瑞樹。またがむしゃらにやっていくわ!」

 言って、瑞樹は右足だけに履いていた、かかとの低いパンプスを脱ぎ、舞台上に置く。それから両手のロンググローブを外し、ヒールのとなりに置いた。

「みなさん、ライブお疲れ様でした。楽しませていただきました」

 客席の向こうから、楓が歩いてくる。

「楓ちゃん! ありがとう、これからみんなで打ち上げなの! 楓ちゃんも来るわよね!?」

「ご迷惑でなければ」

 楓は微笑む。

「よーっし、それじゃあ、新しい瑞樹の最初のパーティーは、ラストライブの打ち上げね! みんな、行くわよー!」

 瑞樹は言うと、隣に座っていた比奈に支えられて立ち上がり、右手を天高くつき上げた。

(終)
20: ◆Z5wk4/jklI 19/01/20(日)17:05:17 ID:HxV
ありがとうございました。

設定を共有してる作品は下記のとおりです。よろしければこちらもお楽しみください。

十年後もお互いに独身だったら結婚する約束の比奈と(元)P


佐々木千枝を生贄に捧げる


あと八ヶ月で結婚する約束の比奈(29)と(元)P


21: 名無しさん@おーぷん 19/01/20(日)19:17:59 ID:o2O
川島さん永遠なれ!

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