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北上「離さない」【後編】

前スレ:

北上「離さない」【前編】



285: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:12:56.90 ID:E7lzRi1dO
1月3日。
天候、雨。____県某所。

白い車を空き地に停め。
冬の雨が冷たく降り注ぐ道を、ブーツを鳴らして歩く影が一つ。

長い三つ編みを揺らしながら、傘ではなく、花束とを持つその女は。
未だ住人の帰りを待つように時を止めた住宅地を、黙々と歩いていた。

散らばった戦火の残骸を、僅かに雪の名残が覆い隠し。
しかしそれも、やがてこの雨で溶けて行くのだろうか。
或いは、夜には溶けた雪が凍り。
雪解けの氷が、粉々に砕け積み上がる残骸を、固く閉ざすのか。


彼女の、心の如く。


ふと女が上を見上げれば、そこには燃えた木の枝が、その枝を天へと伸ばしていた。

そして過るのは、いつかの夏の記憶。
この木が咲かせる花を見つめながら、家までの道を歩いていた、いつもの夕暮れ。

たまにここを歩きながら齧っていたアイスの味や、友人と花火を見るために、自転車で駆け抜けた夜。
よく帰り道で聴いていた曲や、叶わなかった初恋に涙を流した日の、ひぐらしの声や。

地震や台風の警報でもなければ、消防や救急でもない。
町中に響く、インターネットで一度だけ聞いた事のあるサイレン。
創作物の中の出来事のような、爆発音と悲鳴。
そして、ガラスと肉の砕ける音。

それらの記憶がふと蘇り。
一瞬、女の目はその枝の向こうをキッと睨んだ。
286: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:15:25.92 ID:E7lzRi1dO
車から少し歩き、やがて彼女はある場所に辿り着いた。
それは丁度リビングの辺りに大穴の空いた、よくある2階建ての家。

靴のまま家の中へ上がると、女の目には赤茶けた壁が広がる。
女はそれを愛おしげに撫で、甘えるかのようにその壁に体を寄せていた。

リビングには粉々に砕けたテーブルと、一脚だけポツリと置かれた椅子が一つ。
その椅子に腰掛け女が目を閉じれば、彼女の脳裏には、まだここが荒れ果てていない時の光景が浮かぶ。


今はもう、その『かつて』を知るのは彼女だけ。


破壊されていない2階に上がると。
今度は記憶にそのまま埃を被せたような、時が止まった光景が広がる。

一つの部屋を開けると、そこにはサッカーボールと、壁に掛けられたユニフォーム。
そして学習机には、トロフィーを真ん中に誇らしげに笑う、とあるチームの写真が一つ。

丁度その、真ん中に写る少年。
それは爽やかで、まだあどけなさの残る笑顔を浮かべている。
その姿は、女の記憶の中の少年と変わらずにそこにあった。

287: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:17:01.74 ID:E7lzRi1dO
続いて隣の部屋を開けると、今度は半袖のセーラー服が壁に掛けられていた。

こちらの部屋は物の多くが持ち出され、ラックが空となった箇所が目に付く。
しかし火事場泥棒と言うには、余りにも部屋が荒れていない。
恐らくは、元いた部屋の主が私物を持ち出したのであろう。

部屋の隅に積まれたファッション誌の日付けは、3年半程前のもの。
それがこの家が、時を止めた季節を示している。

机には、とある資料が積まれていた。
それは県内にある、美容学校の資料だった。

彼女はリュックから道具を取り出すと、黙々と、まだ無事な場所の掃除を始める。
空気を入れ替え、窓を拭き。
そして使い捨てのクリーナーで隅々を拭いて。
こうすれば多少なりとも、風化も誤魔化せる。

思い出の場所を、少しでも綺麗に残しておきたい。
そんな気持ちの表れだろうか。

最後、玄関に花束を置き。
女は車へと向けて、ぽつぽつと歩き出す。

そして一度振り返り、彼女はひどく寂しげに、こう呟いた。



「みんな……また来るね…。」




288: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:18:58.89 ID:E7lzRi1dO
遡る事、12月30日。××鎮守府工廠。


年の瀬寸前のこの日だが、工廠には年末ムードは全く無かった。

冬休みこそ決まっているが、それは年明けのしばらく後。
ケイも夕張も成人式を控えており、彼らの冬休みは、そこと被るように組まれていた為だ。

そしてこの日、工廠はまさにそんな話題が出ていた所である。


「冬休みかー…実家に2、3日顔出せば充分なんだけどな。」
「まあまあ、もう観念しなって。招待状来たでしょ?」
「お袋からガッツリ転送済みだよ。スーツなんてまともに着た事ないっての。」
「私は着付けも押さえたわよ。一生に一度だもん、ちゃんとしないとね。
あ…そう言えばケイくん、大分髪伸びたわね。」
「ああ、そう言えばしばらく行ってないな…。」


いつもの帽子からはみ出る髪も、大分長さが目に付くようになって来た。
だが、言われてしまうと気になるもので。
ケイはそれまで気にしなかった髪を、無性にうざったく感じるようになっていた。

そして終業時刻となり、この日の工廠は店仕舞い。
丁度今日から冬休みの始まる者もいる。いつもより減った仕事と人の数に、二人はいよいよ年が明けるのを感じていた。


「皆実家かぁ…駅前も正月休み多いしな。あー…ダメだ、やっぱ髪切りてえ。」
「暮れじゃどこも閉まってるわよ?」
「そうなんだよなー…ま、しゃあないね。バリさん、それじゃ今日は終わりで。お疲れ様。」
「お疲れ様。この後どうする?」
「粗方試作は作っちゃったし、メシ食って部屋戻るよ。設計の下地でも書こっかなー。」
「あ、じゃあ私も行く。お腹減っちゃった。」


二人は工廠を後にし、食堂へと向かった。
そして夕張と席に座ると、見慣れた三つ編みが近付いてくる。

289: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:21:12.38 ID:E7lzRi1dO
「お疲れー、二人も終わったとこ?」
「北上さん、お疲れ様です。明日で仕事納めでしたっけ?」
「そだよー、元旦から休み。アタシの寝正月が始まる!」
「ドヤって言う事じゃないですよー。あ、アレ録画しなきゃ。大晦日と言えばビンタですよ。」
「あったなー。そう言えば俺、熱血教師で止まってる。」
「ででーん!とね。アタシも明日はアレかなー。ケイ、タイキック!」
「俺ですか!?でも北上さん、今回旅も行くんですよね?」
「うん。車でぷらっと行ってこよっかなって。」


話題に上がるのは、やはり年末年始の過ごし方だ。
北上は2泊3日程、旅行にも行く様子。
成人式以外特に予定もないケイは、どうしたものかとしばし物思いに耽っていた。

そして冬休みの予定以外に、彼が物思いに耽る理由がもう一つ。


「ケイちゃん髪伸びたねー。休みは成人式っしょ?」
「さっきもその話出たんですよー。ま、向こう帰れば三が日も明けてるし、地元で切ろうかなって。」
「ケイくん地元だと、どこで切ってたの?」
「実家からチャリで10分ぐらいのとこだけど?」
「○○駅前のあそことかいいわよ?市内だし。
当日だと着付けで混んじゃうから、着いた日の翌日とか……」


そうして夕張とケイが話す様を、北上はたまに相槌を打ちつつ、微笑みながら見守っていた。

あの突堤での夜以来、ケイが北上と二人きりで話す機会は無いまま。いつもこうして、夕張を交えた3人で話している。
北上から連絡も来るのだが、どことなく距離があるような、そんな感覚をケイは覚えていた。

免許合宿の時もそうだったが、いつものノリが無いなら無いで、やはり違和感がある。
夕張と談笑する彼女をちらりと見ては、何となくの侘しさを彼は感じていた。


290: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:23:17.42 ID:E7lzRi1dO
夕食を終え、各々部屋へと別れれば。
そう言えば自分達が戻るまで、北上と顔を合わせる機会が無い事にケイは気付く。

冬休みのローテーションの関係上、北上の休みの最終日と、工廠組の休みの初日は被っていた。
恐らくこれから10日以上、会う事は無い。
何だかな、と溜息を吐き、彼は自室へと戻って行く。

部屋は相変わらず、いつもの殺風景さを醸し出す。
今はいつかのように眠気に襲われていなければ、特に観たいテレビがある訳でもなく。
ふとPC前の椅子に腰掛け部屋を見渡すと、丁度ベッドが目に入る。

北上に勧められた毛布は、確かにこの部屋に於いては落ち着きを醸し出していた。
ケイの胸中を過るのは、いつかの彼女のぬくもりと、感触と香り。

そして未だ形を掴む事の出来ない、彼自身の中の何か。

何となくベッドに横になり、毛布にくるまると。
ただのまだ残る新品の匂いでしか無いはずなのに、どことなく落ち着くような。そんな感覚がした。

このまま、眠ってしまおうか。
そう思い上着を脱ぎ捨てようとした時、不意にポケットが震えた事に気付く。


『ケイちゃん、今ヒマしてる?』


そのメッセージを見た時、思わず微笑みが漏れた事。
それに彼は、気付いてはいない。


291: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:25:09.62 ID:E7lzRi1dO
『ヒマしてますよ。どうしました?』
『さっき髪切りたいって言ってたじゃん?切ったげよっか?』
『切れるんですか?出来たらお願いしたいですね。』
『任せときなってー。工廠でいい?部屋だと色々アレだしさ。あ、古新聞だけお願いね。』
『大丈夫ですよ。先行って部屋暖めとくんで、また後で。』


そして工廠に戻り、今度はいつもの椅子に腰掛け
ぼーっと時間が来るのを待つ。
二つあるデスクの片割れは、今やすっかり夕張の私物で埋まっている。
以前より増えた人の跡を感じつつ、ケイはその間を随分長く感じていた。

そして5分ほど遅れ、がちゃり、といつもの扉が開くと。


「ユウさん、待ってましたよー。」
「お待たせー。ごめんね、道具探してたら遅れちゃったよー。」


そこに現れた北上の姿を目にした時。
ケイが覚えたのは、やはり安堵の気持ちなのであった。


292: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:31:19.75 ID:E7lzRi1dO

「ふふーん、見て見て。結構本格的っしょー。」
「すげ、美容院で見るハサミだ。どうしたんですこれ?」
「髪いじるの、アタシの特技なんだー。これでも元美容師志望。ま、色々あって今艦娘だけど。
ケイちゃん、どんな感じがいい?」
「そうですねー、とりあえず普段切った後みたいな感じで…」
「じゃあ派手にイメチェンしてメンデi…「やめてください。」わかってるよー。」


軽口を叩き合いつつ、北上はケイにケープを掛け、霧吹きで髪を濡らしていく。
濡れた髪を撫ぜる感触から、やはり随分伸びていたのだな、と彼は思っていた。
余計な所を切らないようピンが当てられ、遂にハサミが入った。


「お客様、痒いところはありませんか?」
「その声違和感すげえんですけど…。」
「営業ボイスってやつだよー。」


ちょきり、ちょきりと。
バランスを取るように、最初は小さく、丁寧にハサミは髪を切っていく。
ハサミのリズミカルな動きは心地よい刺激を与え、少しずつ頭が軽くなっていくのをケイは感じている。


293: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:32:38.27 ID:E7lzRi1dO
「こんな風にケイちゃんとゆっくり話すの、久々だね。
成人式だもんねー、かっこよくしなきゃね。」
「実家に軽く顏出しゃ充分ですよ。」
「まあまあ、たまにはスーツ着るのも大事だよ。」


ちょきり。

ちょきり。

ちょきり。

微調整を終え。
ハサミは次第に、より多く髪を切って行く。

ケープの溝には、ぱらぱらと切られた髪が落ちていた。


「バリさんとか相当舞い上がってますねー。」
「晴れ着は女の子のロマンだからねー。」
「車キツイからって、今回バスみたいですよ。ご機嫌でチケット押さえてましたわ。」
「ケイちゃんは何で帰るの?」


ぱらり、ぱらり、と切られていた髪はその量を増やし。
今度はバサバサと、より多くの質量を持った髪がケープへと落ちる。

北上は、手元とその毛束を交互に見ながら、ケイとの会話を重ねて行く。


「バスですね。バリさんが一緒に帰ろうよ!って、俺の分も勝手にチケット取ったんですよ。
お陰で帰る日同じになっちゃいましたけどねー。隣同士みたいです。」
「へぇ…………そうなんだ。
じゃ、下地終わり。次やるよ。」


北上は梳き鋏に持ち替え。
毛束を手に取ると、ハサミを横に入れて行く。


そして。


じょぎん、と。
そのハサミは、一際大きな音を立てた。



294: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:34:35.72 ID:E7lzRi1dO
「バスって夜行?」
「夜行ですねー。寝れる気がしないですよ…。」
「夕張ちゃんの寝込みにイタズラしちゃダメだよ?」
「しません!」
「ふふー、どうだかー。さ、出来たよ。ほら鏡。
うーん、我ながらばっちり!どう?」


三面鏡をケイの目の前にかざし、北上は誇らしげな顔をしていた。
仕上がりを見て、ケイもその腕に驚いた顔を見せる。
どうやら満足してくれたようだ。


「すげぇや…こんな特技あったんですね。ありがとうございます。」
「どういたしまして!困ったらいつでも言ってよ、アタシとケイちゃんの仲だもん。」
「そうですね、またお願いします。」
「うんうん、素直でよろしい。いやー、可愛くなっちゃってー。」


北上は、切った後の感触を確かめるように、ケイの頭をわしわしと撫でた。
撫でられるのは少し照れ臭いが、悪い気はしない。
ケイはしばらくの間、彼女の指の感触に安らぎを感じていた。


「じゃ、戻るねー。あ、ゴミはアタシが片しとくからさ。」
「よいお年を。」
「うん、良いお年をー。」


切った髪や新聞などのゴミをビニール袋に詰め、北上は寮へと戻って行った。

そして一人残ったケイは、一度鏡で短くなった髪を見て。
ぱん!と両手で自身の頬を叩き。明日からも頑張ろう、と気合を入れ直すのであった。

295: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:35:57.54 ID:E7lzRi1dO

ケイと別れた後、北上が自室へと歩を進めると、彼女の部屋の前には段ボールが置かれていた。

艦娘宛の荷物は、管理人がこうして各々の部屋の前に置いておくシステムとなっている。
実家からの仕送りや、ネット通販で購入したものなどがそれらの主だ。

今回北上宛に来たのは、通販サイトからの荷物のようだ。
どうやら、何かを頼んでいたらしい。

北上は、それに貼られた伝票を確かめ。
くすり、と。誰に見せるでもなく、艶めいた笑みを浮かべている。


伝票の差出欄には、こう書かれていた。



『手芸ショップ・○○』と。



296: ◆FlW2v5zETA 2016/09/19(月) 03:37:29.29 ID:E7lzRi1dO

そして時は再び、1月3日夜、××県某市街。

とあるビジネスホテルの一室で、女の声が響いていた。


「……うん。いい所でしょー?夕暮れも綺麗だよ。
あはは、一緒に見たいのー?いいよ、見せてあげる。」


文面は会話のようだが、響くのは女の声のみ。
旅先から、恋人に電話をしているのだろうか?
時折甘えるかのように、囁いていたりもしている。



しかし彼女の手に、携帯は握られていない。



「今は住んでないけどさ、たまに行って綺麗にしてるんだー。
大事な思い出だし、また住めるようにさ。
そうだねー……うん、それ最高だよ。アタシ達が使ってた部屋がそうなったらさ……やーだー、ケイちゃんのスケベー。」


テーブルには、何やら30cm程の影が一つ。
女の話し相手は、そこに座らさせられている。

フェルトで出来たカーキの服に、丸い手足の影。
そして同じくフェルトの帽子からは。
そこだけが『不自然にリアルに出来ている髪の毛』がはみ出ていた。


テーブルに置かれていたのは。


今もどこかの工廠で働いているはずの。
とある青年を模した、ぬいぐるみだった。



297: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/09/19(月) 04:29:36.71 ID:LGVcEHOwO
ヒッ…
305: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:34:37.34 ID:Rct3VYEP0

「ねー。それでケイちゃんさ…」


1月4日。

とあるサービスエリアに、一台の車が停まっている。
持ち主である北上は長めの休憩がてら、友人と電話をしているようだ。


「前に大井っち言ってたっしょ?押してダメなら引いてみろってさー。
ちょっと距離置いたら、確かに落ち着かなそうだったよ。ほんと大井っち様々だねー。」
『ケイ君、なんだかんだで北上さんに敬意を持ちすぎてるフシがありますからね。ちゃんと女の子だ!ってわからせないと。
例の子よりは北上さんの方が長く一緒にいるんですし、過ごした時間は重いはずですから。苦肉の策ですけどね。』
「…まあね。ちょっと寂しそうだったよー…アタシもね。」
『ふふ、妬けちゃいますね。
でも彼、いい子じゃないですか。北上さんを任せられるくらい。』
「あはは、そゆこと言ってるからレズだって誤解されちゃうんだよー。最近大井っちはどうなのさ?順調?」
『彼ですか?相変わらずですね。たまにキツく当たっちゃう時もありますけど…』
「いいなー。そう言えばこないだ演習の時、まさにご本人から聞いたよー?
私を裏切ったら海に沈めるけどね…って言われたってさー。ロマンだねー、しびれるねー。」
『あー…あの人覚えてたんですか…酔ってたと思ったのに……。ま、まあ、それだけ大事って事です。』
「ひゅー、ご馳走様。」


北上にとっての親友であり、良き相談相手でもある大井は、艦娘の中で唯一、北上の一部の過去を知っている。

彼女が深海棲艦に襲われた街の、生き残りである事。その一点のみを。
故に北上の幸せを願い、親身に相談にも乗っていた。

しかし大井は、それ以上は何も知らない。
事件より遥か以前から、ケイと北上には繋がりがある事も。


北上が心の奥底に、大井が思う以上の澱みを抱えている事も。
何も知らずに、それは親身にアドバイスをしていたのであった。

306: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:36:56.89 ID:Rct3VYEP0
1月5日、××鎮守府。


この日でケイ達の業務は終わり、明日より遅い冬季休暇が始まる。
仕事が終わり次第、夜行バスにて故郷へ向け出発。それも含めれば、なかなかハードな1日とも言えた。

そしてこの日の工廠での話題は、そこに纏わる物が挙がっていた。


「そう言えば冬休み貰うけど、誰が来るの?提督は代理借りたって言ってたけど…」
「まあ、信用出来る人だよ…。」


夕張がポツリとこぼした一言に、ケイは明らかに含みを隠しきれない様子。

ここの長である彼ならば、当然誰が来るかは聞かされているであろう。
何やら挙動不審な彼の姿に、夕張は眉間のシワを深くした。


「へー、どんな人なの?」
「ここの前の整備長。俺の師匠でもあるけど、今回は会わないしさ…あの人なら大丈夫でしょ。」
「…ヤバい人なの?」
「……ピンクの悪魔。」
「へ?」


その単語を聞いた瞬間、夕張の脳裏には、とあるゲームの可愛らしい主人公が浮かんだ。
しかしケイの方はと言えば、何やら頭頂部と首のあたりを押さえて渋い顔を浮かべている。
どうやらかつて感じた痛みが、フラッシュバックしているようだ。


「すげえ尊敬してる人なんだけど、キレると怖いんだよなぁ…何回ゲンコツ喰らったか。今から作り置きチェックからの、ダメ出し鬼ラインが怖い。」
「男の人?」
「いや、女の人…ある意味バリさんの先輩にあたる人だよ。ま、来るのは明日…………あ。」


会話の中で、工廠の勝手口に視線を寄せた瞬間。
ケイは開いた口を塞ぐ事が出来なくなった。

勝手口の曇りガラスには、人影が一つ。
そしてそのシルエットは、うっすらとピンク色を浮かべている。


「お邪魔しまーす。」


きいいいぃ……と、ゆっくりと扉が開き、その人物の全貌が見えてくると、夕張は憧憬の顔を。


そしてケイは、完全に絶望の顔を浮かべていた。

307: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:38:58.04 ID:Rct3VYEP0

「ケイ、久しぶりー。元気してた?」
「ははは…お、親方…お久しぶりです……あれー?明日からじゃなかったでしたっけー…?」
「ここ、遠いもん。前日入りに決まってるでしょ。ついでにあんたの顔見に来たんだよ?
ねえ…ところでピンクの悪魔って、誰?ん?」
「はは……あはははは……。」
「わぁ…美人さんだ…。あ。は、初めまして!夕張と申します!」
「初めまして、工作艦・明石と申します!夕張さん、よろしくお願いしますね。
こいつの下は大変じゃないですか?付き合わされて休み無しとかやらされてません?」
「い、いえ、休みはちゃんともらってますので…あなたが前任の整備長さんですよね?
その、失礼ですが、皆親方って言うから逞しい人を想像してて…。」
「……敬語が取れたら本性が見える。」
「ケイ、何か言った?」
「いえいえ!滅相もない!バ、バリさん、この人も艦娘兼工廠メンバーなんだ…バリさんの先輩にあたるってのは、この事だよ。」
「嬉しいなぁ、私の後輩がここにいるなんて。あなたも同じ匂いがするわ…ねえ夕張さん、後でお茶でもしましょう!」
「はい!是非とも!」


マッドの気がある者同士、惹かれ合うのは宿命か。

そうして手を取り合う二人を見た時、ケイの脳裏には強力洗剤のラベルが脳裏に浮かんでいたと言う。 混ぜるな危険、である。
しばし呆然と打ちひしがれていると、今度は横からガチッと首にホールドを決められた感触が。

いつの間にか明石に背後を取られ、首ごと無理矢理彼女の脇の辺りまで屈まさせられる。
ケイはこの体制が何を意味するのか、心以上に体で覚えていた。

『楽しいお話』が待っている、ドナドナタイムの開始であると。


「夕張さん、ごめんなさいね。ちょっとこいつ借ります。少し長めに出て来るので。」
「は、離してください…。」
「だーめ。久しぶりに弟子に会えたし、『積もる話』は沢山あるもの…さっきの件とかね。」
「ハハハ…ゴメンナサイ…。」


308: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:42:19.86 ID:Rct3VYEP0

「…………で、最近どうなの?」


工廠裏で缶コーヒーを飲みつつ、明石から出たのはこんな言葉だ。
尚、この間二つ程ケイの頭にはたんこぶが出来たと言う。


「どうって、仕事ですか?スキルが上がってきたなって自覚は出てきましたけど…。」
「そっちは工廠に転がってるの見れば分かるわよ。よくやってるのぐらい分かる。
そうじゃなくて…彼女とかどうなのって。」
「……いませんよ、そちらは変わらず。」
「へー…北上さんと、何かあった?」
「ぶっ!?」
「ケイは分かりやすいからね。ほらー、明石さんに言ってごらん?ん?」
「はー…ほんっと、隠し事出来ねえ人ですね…。まぁ、色々ありましたよ…特にここ最近は。」
「…好きなの?」
「………分かんないんですよね、自分の気持ちが。感謝なのか、恋愛感情なのか。
北上さんの行動も、よく分からないですし…泣いて抱きついてきたり、かと思えばそっけなかったり。
ずーっと、姉ちゃんみたいに思ってた人ですから…でも色々あって、よく分かんなくなっちゃいましたよ…。」
「そっか……まぁ、あの子も不思議な子だしね。悩め若人よ!なんてね。しっかり悩みなさい。」


“…まだ、心の故障の方は完璧じゃないか。ケイ、それはあんた自身がね…。”


明石は弟子であるケイの過去を、詳細に聞いている。
どのような過程を経て、どのような心情で今の仕事に就いたのか。その全てを。

故に彼女は、気付いている。
ケイが抱えた、とある故障を。

彼自身も気付いていないのだ。
復讐の為にこそ、それ以外を欲する事をやめた、頑なに溶着されたような心の扉。
北上と知り合って以降、本来の性格こそ見せるようにはなったものの、その根本は変わらないままだった。

手を貸すまでは出来ても、本当の意味でそれを破る事は、他者には出来ない。
明石は異動した今も、そんな彼の事を心配していた。

しかししばらく顔を見ない間に、少しだけそこに亀裂は入ったように彼女は感じていた。

年頃らしい事で悩むその顔は。
良くも悪くも真っ直ぐすぎた昔より、幾分人間らしくなったように明石の目には映っていたからだ。


「……ふふ。まあ、男の子は繊細だもんねー。でも、やっぱり決める時は男らしく!
と言うわけで、覚悟を決める時用にこれをあげるわ。酒保のお姉さんでもある私からの、プレゼント。」
「何です………お、お、お、親方!?これ何すか!?」
「何って、やっぱり武将は出陣の時は兜を被るじゃない?初陣じゃー!なんて。てへ。」
「その腹立つ舌引っこ抜きますよ!?」


“……予想より、状況は大変そうだけどね。
夕張さんも多分……鈍くてモテる男は楽じゃないわね。私があんたの立場だったら嫌だもん。
でもケイ、これはあんたにとっての……いえ、それぞれにとっての…。”


久々に愛弟子で遊ぶ感覚を楽しみつつ、明石は顔を真っ赤にして怒るケイを、優しく見守っていた。
少しずつ人間らしさを取り戻していく愛弟子に、安堵と心配の両方を抱えて。


309: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:44:22.32 ID:Rct3VYEP0

「それじゃ、休みの間の流れはこんな感じで。」
「了解。妖精達も馴染みだし、後は任せて。ゆっくりしてきなさい。」


明石への引き継ぎを終え、遂に冬休みの始まりだ。
その後各々自室にて準備をし、21時過ぎ、夜行バスの出る駅前に向けて二人はタクシーを取った。

駅前に着き少し歩けば、人も疎らな深夜バスの停留所がある。
自販機のホットレモンをカイロ代わりに、二人はバスが来るのを待っていた。

ケイは片手にペットボトルを持ち、空いている片手は上着のポケットに突っ込んだまま。
そんな様子を見て夕張は、はぁ、と手を暖めるフリをして、白い息を吐き出していた。


“繋げばあったかいよ、なーんてね。言えたらいいのに。
……北上さんなら、こういう時言えるのかな。”


雪の無い、冬の夜だ。

遠くの車や風の音もやけに澄んで聞こえ、オレンジの街灯に照らされる景色は、妙に輪郭の濃さを増している様に見えた。

隣を見れば、ケイも同じ様に輪郭を濃くした様に見えて。
夕張の目には、彼も含めたその景色全てが、どこか遠くの事のように映った。

ふたりは、待合所のベンチに腰掛けている。
触れそうで触れない、20cmの距離。

手を伸ばしても、どこまでも空を切りそうだ。

そんな風に思えて、また一つ、ほう、と掌に息を吹きかける。
310: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:47:19.90 ID:Rct3VYEP0

「……明石さんとさ、何話してたの?」
「色々と。いやー、久々にゲンコ喰らったけど痛えわ。バリさんもお茶してたよね?なんか言ってた?」
「ふふ、色々と。ひたすら機械の話してたけどね。」
「はは、何だよそれー。」


屈託なく笑うケイの顔を見れば、夕張の胸は温かさを増す。

だけどそれは、自分にとってだけだ。
ケイにとってはどうなのだろうか?
その笑顔は、仲間に向けるものにしか過ぎないのだろうか?

そう思えば、握ったホットレモンの温度も冷たく感じてしまうような。そんな気が、夕張にはしていた。


「あ、あれじゃない?」
「待ってましたー。」


ようやく到着したバスは、夜の高速道路を走り出す。
流れて行くオレンジの光は、次第に夕張の中で、その輪郭をぼやけさせて。

少し疲れている様子のケイは、会話もなくぼーっと窓を眺めている。
車内の暖房と振動は眠気を誘い、彼はいつの間にか眠ってしまっていた。

首を窓側に向け眠る、空いた左肩。
その空間を、夕張はぼんやりと見つめて。


“私も眠いなぁ………少しなら、いいよね?”


目を閉じて、ギリギリで意識を保って。
少しずつずれるように、起こさぬように。そっとケイの肩に頭を寄せた。

彼のモッズコートの厚みや暖房に阻まれ、体温を感じる事は出来ない。
しかし男性特有の肩の心地と、服越しでも少しは分かる、人のしなやかさと。

その感触だけで、夕張は幸せだった。


“起きたり、しないかな。お風呂も入ってきたし、シャンプーの匂いでドキッとしたりとかさ。
……無いよね。だって私は同級生で、今は仕事仲間で。それだけだもん。
ずっと好きだったのは、わたしだけだもんね…北上さんみたいに、支えてあげられた訳じゃない…。”


触れているはずなのに、何でこんなに遠いのだろう。
幸せなはずなのに、何でこんなに切なくなるのだろう。

凛とした外の景色に反し、心は斑模様。
やがて意識も斑になり、夕張は眠りへと落ちて行った。

311: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:49:31.89 ID:Rct3VYEP0

“………ん。今どこだろ…。”


目を覚ますと、既に数時間が過ぎていたようだ。
コートのファーが頬をくすぐり、そういえばケイに寄りかかって眠っていた事を思い出す。

彼はまだ寝ているだろうか?そう思い体勢を直そうとすると。



「よく寝てたなー。よだれ垂れかけてたぞ?」



困ったような顔で笑うケイが、夕張の方を見ていた。


「あ……起きてたの!?ごめん…起こしてくれても良かったのに…。」
「疲れてたっしょ?悪いかと思ってね。」


“そっか、そのままにしてくれてたんだ……。”


小さな気遣いに、思わず嬉しさが込み上げる。
彼女は夢も見ない程熟睡していたが、それだけ心地よくいられたのだ。

時刻はもう朝の4時近く。
長い間、ケイはそのままで夕張を寝かせていたのであった。


「ちゃんと寝た?」
「30分ぐらい前に起きた。髪当たって目え覚めてさ。」
「あ….ごめんね…でも私も大分伸びたわね。そろそろ切らなきゃ。」
「北上さんに頼んでみたら?」
「そういえば北上さんに切ってもらったんだよね。じゃあ私もお願いしようかなぁ。」


ケイの口からその名が出た時。
ほんの一瞬、夕張の胸は小さく痛んだ。

北上は自分より多く彼に触れて、より長くの時間を過ごして。
今目の前にいる、ケイの綺麗に切られた髪も、北上の手が一つ一つ入っている。

そのつながりの深さが。
今の夕張には、とても痛い。


「ケイくん、帽子取れてるよ?」
「あ、悪いわるぶっ!?何すんだよ…。」
「ふふー。」


そして夕張は、外されたままのケイの帽子を手に取り、がぼりと少し強めに彼の頭に被せてみせた。

悪戯っ子の様に笑っては見せるが、その実、嫉妬もある。
こうしていつもの帽子を被せてしまえば、北上の手掛けた髪型という、恋敵の跡は見えないのだから。


312: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:52:19.53 ID:Rct3VYEP0

「5時には着くんだっけ?」
「そうよ。迎えは来るの?」
「いや、電車。さすがに親起きてねえし。」
「私もそうね。着いたらまた待ちぼうけかー、あっちも大概田舎だもんね。」


ぽつりぽつりと他愛もない話をしつつ、1時間はあっと言う間に過ぎてしまった。

懐かしい地元の駅前に降りると、いつもの街より一段と風が冷たい。
朝焼けはまだ遠く、橙は山のかなり向こう側だ。

コンビニで肉まんとホットの飲み物を買い、二人は改札を抜けて駅の待合室へと入る。
人もまばらなそこは、ゴー、と小さな音を立てる業務用ストーブだけが唯一の熱源だった。

電車が来るまで、あと40分。
同じ市内だが、二人の実家はそれぞれ反対方向の駅にある。
先にケイの乗る電車が来て、その後に夕張の乗る電車が来る。

見送る形になるな、と。夕張はもそもそと、小さく肉まんを齧りながら思った。
冷えた待合室では、その熱さは沁み入る。
しかし、先ほど体を預けて眠っていた時の様な暖かさには、それは程遠いものに思えた。


「懐かしいねー。うちの高校の子達さ、よくあのコンビニ行ってたよね。」
「もうちょっと遅かったら、いつもの奥さんいたかもな。」
「あー、あのパーマの?名物おばさんだもんね。」


懐かしい駅舎に思い出話こそ咲くが、それ以上の話は出ない。
そしてあれよと言う間にアナウンスが響き、ケイの乗る電車がやってきた。

時刻は朝の6時前。
人もまばらなこの時間、誰がまともに乗り口など見るだろうか。

今マフラーを掴んで、唇を奪う。
そんな事だって出来るかもしれない。

じゃあ、と手を振り、彼は入り口へ向き直ろうとする。

そうだ、今しかないじゃないか。
夕張の手はそっと、ケイの方へと伸びて。




「…じゃあ、また式の時に。」




しかしその指が、マフラーを掴む事は無かった。


伸ばした手を掲げ、手を振る様に見せかけて。
閉まる扉の向こうに消える彼を、笑顔で見送って。
電車のテールライトが遠くに消える頃、夕張はようやく、表情と心を一致させる事が出来た。

冬の静寂が、耳にも心にも、きんきんと刺す様な痛みを与える。
イヤーマフ代わりのヘッドフォンを取り出し、かじかむ手でプレイヤーの再生ボタンを押して。

流れてくる音楽を口ずさむ、彼女の小さな歌声は。
夜明けのホームに、悲しげなメロディを落としていた。

313: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:54:06.56 ID:Rct3VYEP0


同日夜。××鎮守府。


朝方旅行から戻った北上は部屋に帰り、しばし眠っていた。
そしてとある時間にタイマーをセットし、その音と共にようやく目を覚ます。

この時間ならきっと、電話をしても大丈夫なはず。

真っ先に携帯を取り出し、いつもの大型バイクのアイコンをタップして、通話ボタンを押して。
旅の無事と、地元はどうかという話と。
そんな話をしようと、北上は彼に電話を掛けていた。


『…はーい、もしもし……。』
「おそよー。まだ寝てたの?」
『ふぁ…家着いてから爆睡でしたよ…バスは落ち着かねえっす…。
ちゃんと帰って来れました?こすってません?』
「だいじょーぶ。おかげさまで良い旅行になったよ。」


“ふふ…眠そうな声もかわいいなぁ…。”


寝起きの気怠げなケイの声に、北上はより愛おしさを覚える。

手元には、手作りのぬいぐるみ。
フェルトの帽子を取れば、植え付けた髪の毛が顕となり。

それを優しく撫でては、寝惚け眼の彼を撫でてあげているような想像を彼女は掻き立てていた。

314: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 03:56:36.66 ID:Rct3VYEP0
「バスって寝れないよねー。アタシも一回乗った事あるけどさ。」
『バリさんは爆睡でしたけどね。俺が寝てる間に肩の方寄っ掛かってて、先に起きたらよだれ垂れそうでしたもん。』
「へー……起こさなかったんだ?」
『疲れてそうでしたしね。それも悪いかと思って。』
「そっかー………。」


ケイに触れる度。
北上の心の奥は、いつかの冷たさを溶かされていくような感覚を覚えていた。

生きているぬくもりは、彼女の奥に閉ざされたものを溶かしていく。
孤独や寂しさ、拭いきれない哀しみ。

それらを、少しずつ、少しずつ。


そして。
彼女が無意識に、頑なに氷漬けにしていた狂気。


嫉妬。
独占欲。
支配欲。
憎悪。
殺意。
悪意。


それと、歪な愛。


氷から突き出た棘程度に過ぎなかったそれは。
次第にその姿を徐々に表している事をに、彼女自身も気付いてはいない。


それが徐々に、彼女の倫理や罪悪感を食い殺すように心を侵食している事にも。


会話を続けながら、ケイを模したぬいぐるみの、『その隣』へと北上の手は伸びる。そこには。



315: ◆FlW2v5zETA 2016/09/23(金) 04:00:26.04 ID:Rct3VYEP0
「それでさー……痛ぅっ!?いったー……」
『どうしました!?』
「いや、ちょっと前から手芸でもやろっかなーってさ。
テーブルのとこに道具置いててさ、ピンクッションに一個針刺し忘れてちゃったみたい。」
『大丈夫ですか?危なかっしいなー…。』
「大丈夫ー。アタシのハサミ遣い見たでしょ?』
『ものが違いますよー。ああ、ハサミ遣いと言えば、バリさんもそろそろ切らなきゃーって言ってましたよ。
話しといたんで、その内ユウさんに頼むんじゃないですかね。』
「お。そうなんだー、腕が鳴るねー。女の子の髪が一番切ってて燃えるよー。」


“へー……あの独特な色、やっぱり本物じゃないと無理だよねー…。”


この時北上は、『一際深い』笑顔を浮かべた。
口元が歪むほど深く、吊り上るような獰猛な笑みを。

北上が以前ネットショップで買ったものは、手芸の材料だ。
様々な色のフェルトと、それに合わせた糸。


そしてぬいぐるみ作成キットを、『2つ』。


「ピンクッションに針を一つ刺し忘れた」と、彼女は言った。
しかし実際にそこにあったのは、ピンクッションと同じ素材の。



似て非なる、とあるもの。



楽しげに電話をしながら。
彼女はそれに一つ、そしてまた一つと、深々とマチ針を刺して行く。

傍に置かれたケイを模したぬいぐるみの、その隣。

そこにあったのは。
フェルトで銀のポニーテールを模された。




何十本と顔中にマチ針を突き刺された、女の子のぬいぐるみだった。



321: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:20:18.44 ID:WF6dBkOu0

「ただいま……。」


はは…クセなんて、簡単には直らないもんだねー。
今は誰も返事なんか、しないけど。

あの事件の後、アタシは逃げるように隣の県に引越して、アパートを借りた。

敷礼不要、保証人不要。1Kユニットバス、人死にじゃない心理的瑕疵あり。
ちょっと歩けば風俗街な、栄えてる市街の隅にある住宅地。
身寄りの無いアタシが借りられたのは、そんな荒れた場所の一室だった。

多少下りた遺産をやりくりして、暇潰しにコンビニのバイトもして。
気晴らしになるかと思ってバイクの小型も取ったけど、バイク本体までは、買う気にならなかった。

だって今はもう、別に行きたい所なんて無いし。
ずっと欲しかったはずの免許には、マグロみたいな目ぇした、クマのひどい顔が載っててさ。何だかなー、って。

高校の編入手続きは、取らなかった。
どうせ逃げた先でも、何処から来たかと、肩の傷でさ。大体事情なんてバレちゃうんだから。

…好奇の目や同情なんて、向けられたくもなかった。


バイトから帰って、コートを乱暴に脱ぎ捨てて。

アタシが真っ先に向かうのは、タンスの上に作った、仏壇代わりのスペース。
その上には小さな遺影が3つと、小さくなったみんなのいる箱が3つ。
今日も、お線香をあげなきゃ。

部屋の右側の壁からは、よくわからない言葉と、いつもの喘ぎ声。
左の壁からは、いつもの人を殴る音と、怒鳴り声。

左の方は、「やめて」って女の声がして。
右側の喘ぎ声は、何だか悲鳴みたいに聞こえて。

うるさいなぁ、だから何なのさ。アタシの暮らしには関係ないよ。
まぁ、いいや…こうしてみんなに手を合わせてる時だけは、静かな気持ちでいられるんだ。

はーあ、テレビでも見るかぁ…。

322: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:22:17.68 ID:WF6dBkOu0

「…対深海棲艦用特別国際連合軍による、深海棲艦討伐についての続報です。
_____事務総長の会見によると……。」
「…………何が討伐だよばーか、怪獣退治かっつーの。」


あの日から数日の間に、色んな国で同じ事が起こって。
それがあのバケモノどもからの、宣戦布告になった。

どこの国でも、こすい事に、海辺の小さな街を狙って虐殺をして。
バケモノの癖に無線電波か何かで、「戦争だ!海は貰った!」的な声明出したんだって。

後は眉唾な発表だらけ。
世界で秘密裏に妖精を使ってどうこうしてただの、それを使った兵器で討伐するだの。

アタシも公開された映像を見るまで、何それ?って感じだった。
公開されたらされたで、水上スキーじゃんって呆れたもんだけど。

そいつを使っての戦闘は、時折死人は出るけど順調らしい。
戦争だなんて言ってるけど、世間からしたら怪獣退治みたいなもの。
物流がどうだの株がどうだのって騒ぎになったのは、せいぜい最初の2ヶ月ぐらいだった。
今もあちこちで、小競り合いみたいな戦闘をしてるんだって。

東京にでかい爆弾が落ちた!みたいな話じゃないし、めちゃくちゃにされたのは、世間からしたら所詮片田舎でさ。
それこそ近い人や、縁のある人でも無い限りは、一瞬「怖いねー」とか「かわいそうだねー」で終わる話。


あの街で2万人近く、死んでるけどね。


人が死んでも、世間は関わりがなきゃそんなもんだね。別にいいけどさ。
……アタシだけは、絶対に覚えてるから。

323: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:25:57.04 ID:WF6dBkOu0

「ケイちゃん、かぁ……今頃忘れてるよね。」


こうやって財布から古い写真を取り出して、ぼーっと眺めるのが日課になってる。
小さい頃住んでた街にいた、1コ下の近所の男の子。

あの街に住んでた頃は、いつもコウちゃんも入れて一緒に遊んでさ……楽しかったなぁ。
「ぼく、ユウねえちゃんとけっこんするんだー。」なんて言ってたっけ。

今どんなんなってるかな…この歳で改めて写真を見ると、おっきくなっても結構可愛い顔してそうだけど。
助けてくれる王子様になってくれないかなー、なんて。

……何考えてんだろ、アタシ。悲劇のお姫様気取りかよー。こんなんなって、今更会いになんて行けないしさ。

アタシの親族は、一族で水産関係の仕事をやってた。
アタシが6歳の時、お父さんも家業に参加する事になって、元いた街を離れて。

結局、そうしてあの街に固まってたから、近い親戚もみんな死んじゃったんだよね。
いつも一緒だった中学からのグループも、やっぱり同じでさ。
隣町からうちの高校に通ってた子達とも、こうなっちゃえば疎遠で。

もう、まともにアタシと関わってたのなんてケイちゃんだけかもなぁ…。
ああ、卒業したら、会いに行こうとしてたんだっけ……。
ぼっちだなぁ…あはは……あーあ、調べ物でもするかぁ。

そうやってスマホを開いて、調べるのはいつもの地図と土地の写真。
最初は自殺の名所とか調べてたけど、その分見回りが厳しいらしくてね。
アタシの日課は、こうして人に見付からない死に場所と死に方を考える事だった。

かわいそうだなんて、思われたくなかった。
無縁仏か、或いは自殺と思われないか。いっそ死体すら見付からないか。そんな死に方が良かった。

ああ、そうだ…例えば軍の施設に忍び込んだらどうだろうか?
そこでちょっと暴れれば、上手くいけば射殺してもらえて、身寄りの無い泥棒として処理してもらえるかもしれない。

そうやってアタシは、近くの軍事施設はどこか調べようとして、海軍のホームページに辿り着いた。
それで施設の項目を調べようとした時……アタシは、とある小さなバナーを見付けたんだ。


「艦娘適正検査、被検者募集……?」


確かニュースで、適合する素質がある女の子しか装備を使えない…って言ってたっけ。
そっか…それじゃ軍の女の人だけじゃ限界があるから、一般募集も…大々的じゃない辺り、きな臭いねー。
でも危ない仕事だもんね、下手すりゃ死んじゃうし……ん?死んじゃう?

……そうだ、これだよ!
適正が出ればあいつらに仕返しも出来て、上手くいけば合法的に死ねる!

希望なんて感覚は、あの日以来久々に感じた。
アタシはすぐに資料請求のメールを送って、暫く心の底から湧いてくる喜びに浸っていた。

みんな、待っててね……あいつら殺せるだけ殺して、アタシもそっち行くからさ…。
だからそれまで、見守って……。


そしてアタシは、タンスの上に手を伸ばして。







一欠片ずつ、3人の骨を飲んだ。






324: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:28:35.69 ID:WF6dBkOu0

1月7日。15時。

夕張は実家のこたつにて、ぼーっとしていた。

テレビはつまらないワイドショー、傍には愛猫。
両親はそれぞれ出掛け、時折猫に顔を埋めては暇を潰している。


『ケイくん、ひまー。』


暇潰しのようで、結構な勇気を振り絞ったメッセージ。しかし未だ、既読は付かず。
普段仕事の話以外殆どやり取りをしない中で、こうして雑談を振るのが、夕張にとって如何に度胸が必要だったか。

ケイは、知る由もない。


『悪い、昼寝してた。何だよー、北上さん化か?
そう言えば昨日北上さんから電話来たよ。ちゃんと帰ってこれたって。』


30分後。やっと返信が来たかと思えば、出てくる名前は友人にして、恋敵。
しかも既に、昨日本人からその話は受けている。

彼に電話をしていたとは、一言も聞いてはいなかったが。


“最初の返信でこれかぁ……はーあ。今日はもう寝正月してやろうかな……むう。”


『ケイくんは予定無いの?』
『今日は地元組で飲み会。中学のだね。』
『パリピ。』
『の、介抱担当だよ。あんまり暴れるようなら介錯だけど。』
『なにそれ怖いんだけど。』


ケイはこの後、地元の友人達と出掛けるようだ。
如何にも帰省らしい過ごし方だが、そう言えば自分はどうか……と考えて、夕張は肩を落とす。


“こっちにこそ、友達って言える人いないなぁ…。”


中高は上っ面な人間関係だった皺寄せが、ここに来て暇という形で表れる。
通っていた短大は隣県であり、クビ同然で半年早く卒業させられた為、友人と呼べる間柄の者達はまだそちらにいる状態だ。


「モモー、おいで。今日は一日遊んであげるー。」


予想外に暇、そして意中の人は予定あり。
どうにもならない本日に、夕張は愛猫に猫じゃらしを振る以外出来ずにいたのであった。


“まあ、今日はしょうがいなか……直接会う時に、必ず……。”


頭の中で、夕張は様々な事をシュミレートしていく。
どう接しようか、どう魅了してやろうか。

愛猫の顎を撫でつつ、彼女は楽しげに、今後の事を考えていた。


325: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:31:44.25 ID:WF6dBkOu0

2時間後、同市内。こちらはケイの住む地区。

着替えを済ませ、彼は暫し近所を散歩していた。
てくてくと歩き、すぐに辿り着いたのはとある家。

売りに出され、今は借家となっている、かつての幼馴染達の家の前。
主に近隣で増改築がある際に貸し出されているが、今は誰も借りていない。

ぽつりと、彼は独り、その家の前に佇んでいた。


ふと目を閉じれば、様々な記憶が蘇る。

もう顔も正しく思い出せない程昔。
しかし様々な事をして遊んだ記憶は、今も彼の中で、大切な思い出として残っている。

本当の姉弟のようだったな、と、寂しげに彼は微笑む。

ケイより一つ下の弟の方とは、よくこの家の前でサッカーをしたものだ。
一つ上の姉は色々な場所を知っていて、あちこちへ3人で探検に行った。

もし成人した今、再会出来ていたなら。
その頃の事を、笑って話せたりしたのだろうか。

そして彼の中で、いつかの血塗れの壁が蘇り。
彼の掌は、ぎりぎりと張り詰めた音を立てている。


「ユウ姉ちゃん、コウタ……仇は絶対に取るからな…。」


かつて四六時中放っていた、憎悪に囚われた目をしている事に、彼自身は気付いてはいない。
そんな時、不意に彼の携帯が震えた。


『お疲れー。今日の作戦無事終了だよー。親方、相変わらず美人だねー。』


そのメッセージは、北上からのもの。
電柱に寄りかかり、彼はそこへの返信を打ち込んで行く。


『お疲れ様です。大丈夫ですか?親方に殴られてません?』
『親方が厳しいのはケイちゃんにだけだよー。そっちどう?ゆっくりできてる?』
『おかげさまで。今近所を散歩中ですよ。』
『遊び行ったりしないの?』
『この後地元の奴らと飲みですね。』
『そうなの。』


淡々と、やり取りは続く。
そして立て続けに北上から来た、とあるメッセージを目にした時の事だった。






『その飲みってさ。女の子、いる?』






その瞬間、ケイの背筋には強烈な悪寒が走った。


326: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:35:50.64 ID:WF6dBkOu0


“ケイ…ニ"イ……ネ………ンヲ…ダス…テ……”



後ろから聞こえた、とあるくぐもった声。

確かに、何かが背後にいる。
しかし不思議な事に、最初に感じた悪寒以外、恐怖は欠片も感じていなかった。

後ろを振り向くと、頭と脚が無い、ぐちゃぐちゃの『何か』がこちらを見ている。
頭が無い筈なのに、ケイは見られていると言う感覚だけは、はっきりと感じていた。

そしてそれを目にして尚、恐怖が一切湧いてこない事も。
懐かしさすら、感じている事も。


「コウタ、なのか……?」


瞬きをした、その一瞬。
その間に、『何か』はケイの前から消えてしまった。
彼は『何か』に呼び掛けた瞬間に、とあるものを感じていた。


顔が無い筈のそれが。確かに、悲しげに微笑んだ感覚を。


彼は一瞬感じた悪寒の正体を、この幻だと思い込む事となる。
しかしその元は、全く別の場所にあるという事。

それに彼は、気付いてはいない。



「っと…やべ、返さないとか。」


そう言えばやり取りの途中だった事を思い出し、ケイは慌てて返信を返す。
切れた会話の流れが、どことなく居心地の悪い辺りだ。
彼は何故か、妙に焦っている自分を感じている。


『いませんよ。予定は5人です。皆酒覚えたてなんで、介抱が大変そうですよ。』
『あー、ケイちゃんはうちでお酒慣れちゃったもんね。』
『そうですよ。車を提督と思って絡んでた奴らを介抱したりとか。』
『むー、それは言わないでよー。』
『あ、待たせてるんでぼちぼち行かないと。じゃあまた後で。』
『はーい。気を付けてね。』


気付けばもう、17時半だ。
最後に北上からうさぎのスタンプが送られたのを見て、彼はようやく、友人達の待つ駅前へと歩き出した。

正面から来る冬の風は、全身を撫ぜて行く。
そして珍しく帽子を外している彼の髪も、同じくさわさわと撫ぜられているように感じていた。

まるで、人の指が通っているかの様に。

327: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:38:42.62 ID:WF6dBkOu0

夜、××鎮守府。

北上は1日を終え、ベッドに横たわりつつテレビを観ていた。

彼女の胸元には、添い寝するように置かれたぬいぐるみが一つ。
それはケイを模したぬいぐるみであり、時折赤子をあやすかのように、彼女はぬいぐるみの髪を優しく撫ぜている。

植え付けた髪の毛は、ケイ本人のもの。
指を通し、ぽんぽんと頭を叩き。
時折頬擦りと、優しく触れるような口付けさえ交わして。
そうすれば少しだけ、彼の不在の寂しさを紛らわす事ができるような気がしていた。


しかし、やはり本人のぬくもりには敵わない。


そろそろ足りない。
帰ってきたらどうしようか。
ああ、待ち伏せして、思いっ切り抱き付いてやろうか。
それとも車で迎えにいって、『寄り道』でもしてしまおうか。
月が明けたらバレンタインか。
勿論手作りだ。
何を作ろうか。
何を材料にしようか。


湧き上がる願望に、際限は無い。
そして、最早願望とも言い難い欲望にも。

そろそろ宴も中頃だろう、今どうしているだろうか?と思い立ち、彼女はメッセージを送ってみた。
数分もしないうちに、返信が二つ。そこには…。



「…………え?」



『他のも呼んだみたいで、始まる頃には芋づる式で15人ですよ。いやー、ちょっと介抱大変そうです。』



送られた写真には、楽しそうな飲み会の光景が写っている。
それは各々カメラに向けてポーズを決めた、『男女』数名の写真。

その写真を目にした時。

北上の肩の傷は、ずきん、と激しく脈を打った。

328: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:41:25.53 ID:WF6dBkOu0

『ありゃりゃ、大変そうだねー。
気を付けて帰るんだよ?知らない人やお姉さんについて行ったりしないよーに!』
『いくつだと思ってんですか!ま、ちゃんと帰すんで大丈夫ですよ。慣れましたから。』
『お疲れ様でーす。あ、ちゃんと帰れたら連絡ちょーだいね。』
『了解です。』


何も気取らせないよう、彼女は努めていつものノリでメッセージを返した。
そして携帯の画面には、先程保存した画像が映されている。

北上は、そこに向けて指を伸ばす。



「あははは。」



指二本を滑らせて拡大。
指二本を滑らせて拡大。
指二本を滑らせて拡大。

ドラッグ、どいつだ?
ドラッグ、こいつか?
ドラッグ、それともこいつか?

誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ。

北上の目は次第に充血し、その瞳孔は写真の一人一人の顔を凝視して行く。


“へー……そっか、ケイちゃんが呼ばなくても、こう言う時って他の子が呼んじゃうこともあるよねー……。

手前のこいつかなぁ…?
それともこのチャラそうなこいつかなー?
いや、意外とこう言う出来る男っぽい奴とかさー…。

……誰だよ!?誰なのさ!?余計な事しやがって〜………!”


男女比は数えた所、10対5。
そして女性陣は各々バラバラに座っている。

ケイが携帯を横にして写真を撮る時の癖を、北上は熟知している。
いつもシャッターボタンは右手から。
撮影位置から一番手前に近い女までの席数を数えてみる。
その間、ケイと女の間に座っているのは一人のみ。

脳内で情報は箇条書きの様に流れ、それが北上の心に到達する度、激しい怒りに変わる。


だがある一点に達した時、ふっ、と。
その激情は、突然消え失せた。


329: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:42:07.96 ID:WF6dBkOu0













“……あはっ♪










330: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:45:11.31 ID:WF6dBkOu0



















































































331: ◆FlW2v5zETA 2016/09/27(火) 00:47:15.34 ID:WF6dBkOu0
…ま、よーく考えてみれば、可愛い女の子はいないねー…手前の子も、如何にも緩そうな女子大生って感じだし…。
ああ、でもアレかー。ケイちゃんが相手しなくても、寄ってくる臭いのはいそうだし…。

それじゃケイちゃんかわいそうだもんねー?
帰ってきたらいーっぱい抱っこして、ちゃんとアタシとケイちゃんの匂いだけにしなきゃ……。

でもそっかあ、成人式かー…夕張ちゃんとかさ、晴れ着でちゃんとおめかしして来るよねー……ケイちゃん、それで落ちるとは思わないけどさ。


でもいつかは……あの子はねー…可愛いし、いい子だし……。


だからさ……。”


北上は、愛用のダーツを手に取る。
そしていつものように、流れるようなフォームでそれを投げ。



“………放っておく訳には、いかないよねぇ…!?”



ダーツが飛んだ、その先。
そこには顔中にマチ針を突き刺された、夕張を模したぬいぐるみが置かれ。


丁度その心臓の位置には。
深々とソフトチップのダーツが突き刺さっていた。


北上の狙いは、それこそ夕張の命なのであろうか。
それとも。そこに在るとされる、何かか。

ダーツの衝撃から、ぬいぐるみはまだ微かに揺れている。
その姿は、まるで夕張そのものがガタガタと怯えているかのように北上の目には映り。


彼女は、ニタリと笑った。

341: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:37:22.38 ID:FtLTPb5v0

1月某日。鎮守府内、喫煙スペース。

建付け型の灰皿が置かれただけの、簡素なスペースに、一人タバコを吸う小さな影。
そこにまた一人、今度は違う影が近付いていた。


「お疲れ様です。ご一緒していいですか?」
「ん?ああ、明石か。久しぶり。キミが代わりに来とるんやったな、火ぃ要る?」
「いえ、着火不要なので。久々ですねえ、ここで一服入れるのも。」
「…ベイプにしたんか。まーた女子力狙ってまぁ。ケイ坊がタバコ手ェ出したん、誰の影響か覚えてへんの?」
「知りませーん、ラッキーの味なんて。私、そろそろ次の彼氏欲しいんで。」
「電子タバコだろうが、今日び吸うとる時点でモテへんわ。君も早よ、ぼっちアラサーの世界においでや。向こうはぼちぼち?」
「相変わらずですね。久々にこっち来ましたけど、ケイもちゃんと成長してて安心しましたよ…腕だけは。」
「…ほんま、腕だけはなー。ここはそんな奴ばっかで困るわ。」
「そうですか?北上さんとか、だいぶ丸くなったと思いますけど…。」
「昔みたいにあかんツラしたり、死体ブチ抜いたりせえへんようなっただけや。根っこは変わってへんよ。」
「……アカネさんが救助した時の事、覚えてないんでしたよね。」
「カナミ、敷地ん中じゃ龍驤って呼べや。いつもの飲み屋ちゃうんやから。」
「あなたこそ。…ケイの過去って、知ってます?」
「知らんけど?」
「あいつも、色々ありましたからね…あそこに引越した幼馴染の姉弟を、事件で殺されたそうです。今頃は、丁度北上さんくらいになってたみたいですよ。
…あれだけ仲が良いのは、互いに失った物を重ねてるからなのかもしれませんね。
それでも、多少なりとも幸せや日常って感覚を思い出してくれるなら……。」


明石の語る、ケイの過去。
それを聞いた時、ある可能性が龍驤の中を巡っていた。

ふう、と煙を吐き出し、それにメモを刻むかのように、彼女はかつての記憶を思い出していく。


「ほー……なるほどな。」
「それが最初、ケイが切羽詰まってた理由ですね。あいつも大概でしたから。忘れられませんよ、敵のサンプル回収の時のあの顔…。」
「知っとる。ま、仇討ちは大事やけど、死人に囚われすぎてもあかんちゅうこっちゃ。手段と目的が入れ替わる。それ程おっかない事も無いしな。」
「ですね……戦場では、それが一番危険ですし。」
「ほんまな。あのアホ共が成長せんと、赤マルとお別れ出来そうも無いわ。」
「禁煙したいんですか?」
「甥っ子どもの前じゃ吸えへんからなー。こないだ実家帰った時、妹に怒られてもうた。」


“明石……すまんけどキミの優しさは、きっとあいつらには逆効果や。”


冗談めかした笑みを浮かべつつ、龍驤は明石の話を反芻していた。
導き出される可能性に対して、どう確証を得るか。それをずっと考えながら。


342: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:40:18.77 ID:FtLTPb5v0
1月9日。□□市民会館。


…より、徒歩15分程の写真店。
客が多く出入りする中、とある緑がかった銀髪の女が、今しがた撮影を終えた。

身軽にスーツと言うのも手だが、一生に一度。どうせなら晴れ着が良い。
慣れない着心地に手こずりながら、両親と別れた彼女は、一路会場へ向けて草履を鳴らしている。

冬の乾いた空気には、カラコロと鳴る足音はよく響く。
本日は快晴、雪の痕跡も無し。
意気揚々とホール前へと向かい、彼女は目当ての人物を見つけた。


「ケイくーん、おはよー。」
「お、バリさんか。気合入れてんなー。」
「……何だろ、すごい違和感。」
「言うなよ…ただでさえこの顔でこのガタイなんだから…。」


元が177cmに対して童顔と言うアンバランスなスペック故か、ケイはスーツ姿に対して自信が無い様子。
実際誰が見ても着こなせていないのだが、これはこれで、と夕張は微笑んでいた。


“ふふ、かーわいい。ああ、でもリアクション薄いなぁ…こんにゃろめ。”


「ケイくん、この後の予定は?」
「夜に中学の同窓会あるぐらいだな。」
「じゃあさ…後でお昼食べ行こうよ。」
「いいよ。すぐ終わるみたいだし。」
「了解。あ、じゃあ私席違うから、また後でね。」


式そのものは、中学単位で席が振られていた。
それぞれ違う席へと向かい、夕張は誰だ?とちらちらこちらを見てくる同級生達に、何とも言えない居心地の悪さを感じている。


“髪の色で分かれよなー…故郷でこそぼっちかぁ。まあいいか、ケイくんいるし。”


夕張の位置からステージ手前の方に視線を送ると、友人と楽しそうに談笑をするケイの姿。
何とも言えない気持ちに駆られつつ、始まった式の退屈なスピーチの数々に、夕張はしばし呆然と過ごしていた。

式が終わり、ホールの前には大勢の新成人達が、各々思い出話に花を咲かせていた。

中にはガラの悪そうな男や、昔それなりにヤンチャをしていた女もいる。
あまり関わりたくないな、と思っていた時、ポンと彼女の肩が叩かれた。

343: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:43:30.61 ID:FtLTPb5v0

“ケイくんかな……!?”
「ねえ、君どこの地区の子?可愛いねー。」


そこにいたのは、見るからにヤンキー丸出しの、派手なスーツの知らない男。

ナンパ目的であろうが、慣れていない夕張は、いざそんな事をされると恐怖感で上手く逃げる事ができない。
強引にペースに巻き込もうと、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる男に硬直していると、今度は男の肩にポン、と手が掛かった。


「お取込み中しつれーい。その子高校の同級生なんだ。」
「笠木!?何だてめえよ、てめえの女かっつーんだよ!」
「いや、今の仕事の同僚。で、一応俺の部下にあたるんだよね。離してやってくんない?」
「あぁ!?っせーな、だから何だってんだよ!?」
「はは……笑ってるうちに離せって言ってんだよ。この野郎。」
「………っ!?」



“ケイ…くん……?”



その時夕張が感じたのは、安堵よりも、ケイへの恐怖感だった。

男に向かい薄ら笑いを浮かべるその目は、時折工廠でちらりと見せる、危うげなもの。
初めてまともに彼の『その顔』を見た夕張は、背筋に薄ら寒い物を感じていた。

男も同じ物を感じたのであろう、捨て台詞すら吐かず、そそくさと立ち去って行く。
そしてケイは、何事も無かったかのように夕張に声を掛けた。


「ふー、殴られるかと思ったわ…バリさん、大丈夫だった?あいつ中学同じでね、昔からしょうもないヤンキー。」
「う、うん、ありがと……ケイくん、まだちょっと怖いや。袖掴んでてもいい?」
「いいよ。アレじゃしょうがない。」


二人は会場を後にし、目当ての場所までの道を歩いて行く。

思い返せば先程の目は、昔授業中に見たものよりも、ずっと黒さの強いものだった。
北上が以前言っていた怖い顔と言うのは、あの顔の事なのであろう。

隣を見れば、いつもの穏やかな姿。
しかし、そこに隠したものの深さは、怒りを露わにした際顕著となる。

恐らくは仲間に危機が及んでも、過去のフラッシュバックが怒りに繋がる。
こうして穏やかに笑う今も、奥底には得体の知れない物がある。
普段の彼は、無意識にそれを覆い隠しているのであろう。


“……出来ればもう、あんな顔はして欲しくないな…いや、私がさせないようにしなくちゃ。”


改めて感じた心の闇に、夕張はキュッと、袖を掴む手を強めた。

それはまるで、彼女の胸の痛みに呼応するかの様で。

344: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:45:57.71 ID:FtLTPb5v0
「ケイくん!初詣寄ろうよ!」
「ととっ…おいバリさん、引っ張んなって。せっかくだし行っちゃうかー?」
「えへへ、じゃあ決まりー!」


そうだ、ならば少しでも笑わせよう。
そう思い、彼女はケイの袖を引いて神社へと向かって行く。

会場近くの神社は、市内で最も大きな神社でもある。
まだ比較的多い参拝客の中を、二人は本堂へ向けて歩いていた。
賽銭と拝礼を済ませ、しっかりと願掛けをする。
夕張はちらりと、神妙な面持ちで手を合わせるケイの姿を横目で見ていた。


“何お願いしたのかな……まぁ、きっと私と似たようなもんだよね。言葉だけは。”


“みんな平和に、幸せに生きられますように”、と言うのが彼女の掛けた願い。
それは、自分も含めた全てと言う意味でだ。広義の意味では、彼女の恋も含まれたもの。
しかしケイの方は恐らく、『戦争の勝利』と言う、もっと具体的な願いであろう。

『その願いに、彼自身の未来や幸福は含まれているのだろうか?』

そう思うと、夕張の胸はズキリと痛んだ。

そして彼が礼を解いた時。
夕張の細い手は、彼の袖ではなく、寒さで冷えた手を掴む。


「ケイくん、おみくじ引こうよ!」
「走んなって、石段落ちるぞー。」


隣の販売所へ彼の手を引き、触れていたのは僅か数秒の事。
それでも夕張の胸は、それだけで暖かかった。

帰省した日の駅のような冷たさは、そこにはもう無かったのだから。


345: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:48:38.63 ID:FtLTPb5v0

「さーて、何が出るかなー。お、中吉だ!」
「げ…俺凶じゃん、幸先悪ぃなー…。」
「なんて書いてあるの?」
「特に恋愛運酷いな。深い谷あり、乗り越えられれば良い方に転ず……だって。」
「あちゃー…まあまあ、あんまり気にしてもね。」


苦笑しつつおみくじを見せてはいるが、夕張には、どこか落ち込んでいるように見えた。
恋愛運の項目をもう一度見ては、ケイはまた物憂げな苦笑いを浮かべる。

それを目にした時、不意に見慣れた三つ編みが夕張の中で浮かんだ。


“妙に気にしてるわね……まさか、ね…。”


「ケイくん、あっちに結ぶ所あるよ。」
「お、じゃあしっかり結んでくかー。」


ケイがおみくじを紐に結ぶ手は、かなり丹念なものに見える。
それは、できるだけその通りな未来が来ないように、と言う意図があるように夕張には感じられる動作で。


“……誰の事、考えてるのかな。
今隣にいるの、私なんだけど…。”


先程のナンパも、仲間だから守ってくれた。
そして今こうして二人で遅い初詣をしているのも、同郷で、仲の良い仕事仲間だからで。
それはケイにとっても、或いは誰が見てもそれだけでしか無いのであろう。

自分以外にとっては、きっとそうなのかもしれない。

そこまで思考がよぎった時、夕張の喉は、思考より先に声を発していた。
その先にいたのは、丁度犬を散歩させていた、OL風の女性だ。

346: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:50:54.09 ID:FtLTPb5v0
「すいません、写真撮って貰ってもいいですか?」
「いいですよ。成人式ですか?彼女さんお綺麗ですねー。」
「ああ、違いますよ。高校の同級生でっ!?」
「あ、ごめんケイくん。踏んじゃった。」
「ふふ、じゃあ撮りますよー。」


境内を背景に、晴れ着姿の二人が画面に収まる。

それはどこかあどけなさやぎこちなさの残る、まさにこれから成長して行くであろう二人の写真だ。
そんな姿に、撮影を頼まれた女性も思わず微笑んでいた。


「ありがとうございました!」
「どういたしまして。……お姉さん、頑張ってね。」


女性は去り際に、そう夕張に耳打ちをしてその場を後にして行った。


“そっか、少なくとも、浅い関係なようには見えてないんだ……。”


そう思うと、少しだけ勇気を貰えたような。
そんな気がして、夕張は改めて微笑みを深くしていた。


「後で送るねー。」
「了解。ここに初詣は初めて来たなー、いつも近所の神社だったしさ。」
「ねえねえ、さっき何お願いしたの?」
「戦争に勝てますように、ってね……まあ、終わった後に色々やりたい事出来たし。尚更。」
「お?なになにー?」
「幾つかあるけど……いやー、言うの?笑うなよ?
そうだなー、まずは戦争終わらせて…そしたらさ……」


これは夕張にとっては、とても嬉しい事だった。

少しずつでも、ようやく彼が未来を生きようとし始めた。
その兆候が、やっと見え始めたのだから。



その一言を、聞くまでは。


347: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:52:30.24 ID:FtLTPb5v0









「……俺、北上さんに告ろうと思う。」














「……え?」



その瞬間。

夕張の時は、音を立てて止まった。


348: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:55:03.71 ID:FtLTPb5v0

「……そ、そうなんだ…あはは、やっぱりね!本当仲良いもんね、最初付き合ってると思ってたわよ!」
「俺の中でも色々あったんだよ…まあ、玉砕覚悟って奴。
これで後輩にしか見れないんだよねー、とか言われたら立ち直れねえよ…。」
「大丈夫だって!ふふ…でも良かったわね。ケイくん、見ててちょっと心配だったもん。」
「何で?」
「……幼馴染の事、あったでしょ?それで結構根詰めてたりして…人間らしくなったかな、って。」
「…前言ってたじゃん?戦争が終わったらどうしたい?ってさ。俺なりに色々考えてんの。
あと、バイクの整備士の資格でも取ろうかと思っててさ。そのうち、もう少し人の生活に近い所でスキルを使おうかなー、って。
…ちょっとはこういう事考えるようになったの、バリさんのお陰だよ。本当に、大事な仲間だ!ありがとな。」



“……………あ。”



そう礼を言う彼の笑顔は。
10代の頃、彼女が恋に落ちた時と同じものだった。

しかしその笑顔は。今は彼女にとって、あまりにも痛い。


“……大切な仲間……か。

嬉しいけど、それより先は無いんだよね…。”


何故だろう。
何でこんなに、いつも通りに笑えるのだろう。
何でこんなに、何も変わらないのだろう。

本当は逃げ出したい、泣きたい。
しかしその時夕張は、いつも通りの態度を崩す事が出来ずにいた。

その後昼食を摂ったレストランも、駅までの帰り道も。
いつも通りの他愛も無い話をして、時折嬉しそうに北上の話をするケイを見て。


相談にすら、乗って。

349: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:57:23.05 ID:FtLTPb5v0
「それじゃケイくん、また帰りにね!」


それでも尚、涙すら流す事が出来ず。
彼女はどこまでも明るい笑顔で、その影を見送る。

少し懐かしさを覚え始めた帰り道を歩き、家へと帰り。
着替えをして、両親と夕食を囲み、風呂を済ませ。
21時を過ぎる頃、ようやく彼女は、いつも通りの顔を外す事が出来た。

頭が呆然とする。

何が起きたのか、理解出来ない。

感情の正体が、掴めない。

彼女はまるで、酸素マスクを嵌めるようにヘッドフォンを付け。
とある曲の再生ボタンをタップした。

ベッドの上で壁にもたれ、囁くように、音楽に合わせ歌を口ずさむ。
そうして歌詞の一つ一つが夕張の中で反芻されるたび、彼女の中で、ゆっくりと感情が輪郭を濃くしていく。

それは、とあるロックバンドの、ひどく物悲しい横恋慕と失恋の歌。
何度かリピートする内に、彼女は部屋着の膝の上に、ポタポタと暖かな水滴が落ちている事に気付く。

“すっぴんで良かったな。マスカラやシャドウが残っていたら大変だな。”
などと、現実逃避をするように現実的な事を考えてはみるが。

彼女の涙に形作られるように、感情は次第にその姿を現し。
そしてズキズキと、胸の奥の痛みは強くなっていく。

同じ曲を、もう何度リピートしたのだろう。
プレイヤーは再びイントロを流し、歌い出しに合わせ、掠れた声はまた歌を口ずさむ。


ナイフを握れば、赤い糸をちぎれるのだろうかと歌う。その物悲しいメロディを。


やがて彼女は泣き疲れ、眠り。
次の日の朝、母親は心配そうに彼女の腫れた目を気に掛けていた。

それに対して彼女は、コンタクトで失敗しただけと言う。
昨日のように両親と談笑をして、母親と買い物に行って、夜は猫と遊んで。



彼女は、いつものように明るく振舞っていた。


350: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 04:59:13.85 ID:FtLTPb5v0

1月11日。


夕張とケイは、帰りは昼の新幹線を取っていた。

バスよりも早く着ける上、特に眠い訳でも無い時刻。
二人は駅弁を食べつつ、堪能する間も無く猛スピードで流れて行く景色を見ていた。

会話は弾む。
しかし行きと少しだけ違うのは、幾分楽しそうに話をするケイの姿だ。

少しずつでも、未来に展望を抱けるようになった彼の姿は。
夕張にとっては嬉しくもあり、そして悲しくもある。


彼の描くそこに、彼女はいないのだから。


やがて夕方手前。慣れた駅に着き、今度は路線バスで鎮守府のそばへと向かう。

冬晴れの空と、遠くから聞こえる波の音。
その静けさは何故か、より切なさを掻き立てるように夕張には感じられた。

正門から敷地へと入ると、真っ先に、いつもこの時間は誰もいない駐車場が二人を出迎える。
ここを越えてしまえば、後はそれぞれの寮へと分かれるだけ。


仕事以外で二人きりでいられる時間は、あとわずかしかなかった。

351: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:01:42.61 ID:FtLTPb5v0

「んー、帰ってきたわねー。」
「何だかすっかりこっちが板に着いちまったなぁ。旅に出た気分だったよ。」
「私もそうね。」
「まあ、こっちはこっちでいい所だし。明日からまたバリバリやるぜー。」


活気に満ちた顔で、ケイは笑う。
釣られて夕張も、笑う。

今歩いているのは、植林に囲まれた駐車場だ。
誰からも見えないし、誰もいない。

そこは二人だけの世界。そのはずだった。




「まあ…やっと、北上さんにも会えるしね。」





夕張の中を何が突き抜けたのは、その時の事だった。


“…………ダメだよ、ケイくん。

私だって…私だってずっと君の事……嫌だよ、そんなの…。
今君の隣にいるのは、誰?その人じゃないんだよ……私、なんだ……。

…このままじゃ、終われない!”



夕張はそっとケイに近付き、そのか細い手は、躊躇いなく彼のマフラーを掴んだ。



そして。

353: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:04:47.23 ID:FtLTPb5v0


同時刻。鎮守府駐車場、植林。


息を殺してそこに身を潜めていたのは、北上だった。


いつ頃着くのかを、彼女はケイに尋ねていた。
幸い今日の仕事は早く終わった、やるなら今しかない。
そう考えた彼女は、今か今かと二人を待ち構えていた。


北上は、ずっと考え続けていた。


何が最も、人を傷付けるのか。
何が人を、生きながらにして苦しめるのか。
そして彼女自身、その答えを身を以て知っている。


それは、心の傷であると。


暴力など、怪我が治れば終わる。
ましてや命など奪った所で、苦痛はそこで終わる。

あくまでケイに疑念を抱かれないように。
そして、邪魔者の心だけに、消えないトラウマを植え付けられるように。


“ああそうだ。例えば今日みたいな状況なら、こうすればいいじゃんか。”


それは表面上は、せいぜい痴情のもつれで済みそうな。
至って平和的で。だが、夕張に対してだけは、最も効果的な方法だと彼女は考えた。


354: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:08:56.58 ID:FtLTPb5v0

“……まだ、二人きりなんだよねー…。
ああ、痛いなぁ……痛い…痛い…痛い……!”


その姿を想像するだけで、肩の傷がズキズキと疼きを上げる。
しかし彼女は、釣り上がる頬を抑えきれずにいた。

北上と夕張は、気が合う。
例えば音楽の趣味やゲームの趣味、或いは好みの甘い物。

そして、同じ人を深く愛した、その事実。

故に、何が最もダメージを与えるのか。
それを彼女は、よく知っている。

入り口に血走った視線を合わせる。
馴染みのモッズコートと、緑がかった銀髪と。
それを目にし、彼女の中には喜びと不快感が激しく入り乱れる。

近付くな、離れろ、そこはあんたの場所じゃない。
まぁいい、それももうすぐ終わる。
ここまで近づけば、後は飛び出すだけ。
いつもの北上様で、駆け寄るだけなんだ。

この時北上は、その実正常な判断力を失っていた。

狂気に自らを浸し。彼女は、奪われまいと焦っている自分から目を背けていた。
歪みきった心の形は、様々な事を彼女に対して覆い隠していた。

例えばそれが、とある方向に変質する可能性。
それにすら、目を背けて。

その距離、残り5メートル。
北上は息を殺しながら、じっと獲物を待つ。


さぁ、来い、来い、来い!

来た!


そして彼女の目に飛び込んだものは。





“…………え?”




355: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:10:10.49 ID:FtLTPb5v0






それは、夕張がマフラーを引く形で彼の体を引き寄せ。




ケイに口づけを交わした、その瞬間だった。





356: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:12:21.56 ID:FtLTPb5v0

その行為はつい数秒前まで、北上が夕張の目の前で行おうとしていた事。
彼女が最も恐れ、故に夕張に対しても有効な攻撃だと思っていた事。

その光景が今、現実のものとして彼女の目の前にある。


北上は、まだ茂みに隠れている。見付かってはいない。


肩が痛い。
息が切れる。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。


動転する思考の中、彼女はその足を森の中へと向け。
それはわずか数秒にも満たず、しかし彼女には永遠のように感じられた。

そしてふと振り向いた時、そこには唇を重ねられたまま硬直するケイと、マフラーを掴んだままの夕張。
やはり現実なのだと、彼女の瞳孔は開閉を繰り返し。

彼女は、ふと夕張の視線が、自分の方を向いたような感覚を覚え。



“ひっ………”


逃げ出しながら尚も。

その橙の瞳から放たれたものに、戦慄を禁じ得る事が出来なかった。

357: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:17:00.30 ID:FtLTPb5v0

林を抜け、回り道の末に自室へと逃げ込むと、彼女はそのままドアへと背を預けてへたり込む。

どれだけ走ったのか、呼吸は荒れ、汗もかなりかいている。
眩暈のように先程の光景がぐるぐると回り、それは瞳を閉じようが開けようが、否応なしに彼女の脳内を埋め尽くしていく。


“………ダカラ言ッタッショー、アンタハサー…。”


そこに突然、普段自分の頭蓋の中でしか聞こえないはずの声がした時。
彼女の胃は、強烈な嘔吐感を覚えた。

トイレに駆け込んで、胃の中の物を全てぶちまけ。
震えと涙が止まらない中、今度は肩の古傷が、立っていられない程の激痛を放つ。


“ネエ、聞イテンノー?”


頭も痛い、割れるようだ。
強烈な痛みと苦痛の中、彼女は再び響いたその声に、しかめていた瞼を開く。

そこにいたのは、姿見の無い個室で見えるはずもない、北上自身の姿。
だが、その幻は侮蔑の笑みを浮かべ、彼女を見下ろしている。


“ケイチャンハサー、誰ノ物デモナインダヨ?
夕張チャンノデモナイシ……マシテヤ、アンタノモノデモナイ。”
「あんた、誰、なの……!?」
“アンタハアタシ。アタシハアンタ。ソレダケダヨー?
……胸ニ手ェ当テテサ、思イ出シテゴランヨ。アタシハ、イツモソコニイル。”


先程とは一転し、北上自身の幻は優しげに微笑むと、いつの間にか見えなくなっていた。

頭痛も嘔吐感も、いつの間にか消えている。
そうして平静を取り戻した彼女の中にあったのは。

肩の痛みと、悪夢の後の様な、冷え切った感覚だけだった。

358: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:20:19.28 ID:FtLTPb5v0
苦痛が引き、少し冷静さを取り戻した時。
彼女は何となくだが、先程の幻の正体を理解した。


僅かに残った、良心。
或いは、傷を負う前の自分なのだと。


“ははは……アタシ、バカみたいじゃん……。
あいつの…いや、アタシの言う通りだ…ケイちゃんは誰のでもないし、選ぶ権利だってあるもんね……。
なのに独り占めしようとして、せっかくできた友達だって目の敵にして…。

ああ、でも…そしたら何にも無いよ。
アタシにはもう、何も無い……。

間違ってるのかな……アタシは、誰も好きになっちゃいけないの…?
それでも、アタシは……どうしても……これ以上は、アタシはもう……。

ケイちゃん……君じゃなきゃヤだよ。寂しいよ。
ずっと、アタシのそばにいてよ……。”


ぽろぽろとこぼれる涙は、まるで彼女の狂気が、剥がれ落ちていくかの様で。
そうして露わになる心は、痩せ細り、包帯まみれになった血塗れのものだった。

狂気すら消え失せ、殺意も憎悪も剥がれ落ちた心。
そこにあるのは、果たして正常な心か否か。

狂気すら自覚して尚も、止められない何かか。

この瞬間、一人の狂人が消え。
そして、新たな何かが生まれた。

今、彼女の目の前に広がるのは。
囚われていた、どどめ色のまだら模様では無い。


そこにあったのは、どこまでも、どこまでも先の見えない。

359: ◆FlW2v5zETA 2016/10/06(木) 05:21:01.51 ID:FtLTPb5v0



孤独と、暗闇。



362: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/10/06(木) 09:48:14.79 ID:yv5Mlj+To
コワスギル…
364: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/10/06(木) 12:13:24.95 ID:RzFmMcQjO
怖いってよりひたすら可哀想だ
372: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:21:55.51 ID:3g77v1CF0

1月某日、夜。


鎮守府内の敷地には、プレハブ式の平屋が一棟建てられている。
それは普段、司令官用住居として使用されているものだ。

××鎮守府司令官、北川アツヤ。
彼はこの自宅にて、先程からじっと、PCのモニターを見つめていた。

PCも握られた受話器も、今は軍の専用回線のみが繋がっている。
そして受話器の向こうから語られるデータと、モニターに映る写真。

その内容を脳内で整理しつつ、彼は『それ』の脅威を想像していた。



「髪の長えレ級ねぇ……戦力としては実際どーなのよ?」
『交戦した部隊によると、戦力そのものは他の個体と大差ないようです。ですが…戦闘スタイルが異常なようですね。
こちらの撃沈を目的とせず、あくまで戦闘そのものに目的を見出している様子だそうです。』
「へー、なかなかのイカレだなぁ。で、俺らはどうすりゃいいのよ?殺すの?」
『送ったマップの、赤丸のゾーンが出没ポイントです。
集団で行動する様子もなく、獲物を見つけない限りは何もしてきませんので。なるべく、遭遇しないようにして頂ければ。』
「了解。ま、会ったら会ったで、うちの子達が自慢のロン毛を刈るだけだわ。」
『はぁ……北川大佐、そちらの鎮守府のあだ名をご存知でしょう?無闇に中身を出さないようにお願いしますよ。』
「ロールキャベツだろ?俺としちゃあ、ハンバーグが良かったんだけどなぁ。」
『それはあなた方がいつも作っているものです。』
「ありゃ深海魚のすり身だ。磯臭くて食えたもんじゃねえ。」
『とにかく、くれぐれも気をつけて下さいね!不要な交戦は避けて下さい!』
「わあったよ。じゃ、お疲れちゃーん。」


いつもの適当な返答で電話を切り、彼はすぐさまメールの文面をプリントアウトした。
そしてその無機質な文字に、じっと視線を落とす。


『該当個体名・戦艦レ級

外見的特徴・通常個体より長い頭髪を持つ模様。

被害状況・死者無し。6名中5名大破、中破1名。

戦闘時状況・中破した1名は、最も長く該当個体と交戦した模様。

最終的に中破者の肩部に外傷を残し、該当個体は撤退。
気に入った者に意図的に外傷を残し、再戦を望む傾向が見受けられる。

入渠により中破者の外傷は治療出来たものの、以降中破者はPTSDを患い、現在もカウンセリング治療、並びにデパス等の処方を継続中。』



“なるほどねえ……さて、どうしましょ。ま…遅から早かれ、ブチ殺すだけか。”


ブラックコーヒーを啜り、いつものセブンスターに火を灯し。
提督は紫煙を吐きながら、じっとそのプリントを見つめていた。


その目に浮かぶ感情は、いつもの掴み所のないもののままで。


提督の部屋には、小型の仏壇が置かれている。

そこには位牌が二つ。しかし、遺影は一つのみ。
位牌の片割れは、水子供養のものである為だ。

二つの位牌の裏には、こう刻まれていた。



『____年七月四日』と。



それは、3年半前の日付だった。



373: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:23:26.44 ID:3g77v1CF0

1月11日。


缶ビールの入った袋を手に、夕張は龍驤の部屋へと向かっていた。

今日は龍驤に、とある報告がある為だ。
しかしいつかのサシ飲みと違い、彼女の顔は晴れない。


「メロンちゃん……よう来たな、入り。」


ドアを開けた龍驤は、すべてを理解するように、優しく夕張に微笑みかけた。

こたつに入るよう促し、棚からつまみを取り出しつつ、龍驤は変わらず浮かない顔の夕張を見つめる。
龍驤もこたつに入りプルタブを開け、いつかと違い、静かに乾杯の声を掛け合った。

そこから数分、互いに言葉は無い。
しかし龍驤はイラつく様子も見せず、しょげた顔の夕張を優しく見守っていた。


「どうだったん?まあ、ざっくりとは聞いとるけど…。」
「龍驤さん…私…。」


そうしてぽつりぽつりと、夕張の口から、あの日の出来事が語られ始める。



“…それでも、私はケイくんが好きだよ。”



あの日、彼女がケイから無理矢理唇を奪った直後。
彼女は彼に、こう告げていた。

しかし彼の口は、ごめん、と言葉を発しようとして。
そしてその口を、夕張の手はそっと塞いでいた。


“……今は何も、言わないで。
戦争が終わってからでいいの。その時こそ、ちゃんと聞かせて…お願い、だからさ…。”


分かりきっていた回答。
そこに対する、拒絶と現実逃避。

ああ、なんてひどい自己満足なのだろう、と。
夕張は自分の行動に、重い自己嫌悪を抱いていた。

374: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:24:21.08 ID:3g77v1CF0
気のせいかもしれないが、あの時物陰から何か音が聞こえた気がした。
そして不意にそこを見つめた折、彼女が自覚できる程抱いた感情。


憤怒と、独占欲。


物音に対して、彼女の脳裏には真っ先に北上の顔が浮かんでいた。

それは彼女が想像していた事よりも、ずっと激しい激情を伴っていて。
それらの要素が、彼女をひどく自己嫌悪に陥らせている。

そんな様子が、話を聞く龍驤には、手に取るように理解出来た。


「最低ですよね、私…キープじゃないですか、こんなの。
なのにケイくんの口から北上さんの名前を聞いたら、自分を止められなくて……。」
「……まぁ、確かに褒められたもんとちゃうなぁ。
せやけど、メロンちゃんばっかりが悪い訳やないと思うで?」
「どうしてですか…?」
「ケイ坊はケイ坊でな、自意識が足らなすぎるわ。

そら伝えるべき事は伝えないかんけど、多少人の機微を察しようとするんもまた大人や。
どうせキミに気い遣うて、無駄にいつも通りに振る舞っとったんやろ?
誰にでも優しい男こそタチ悪いでな、そのへん。

ま…皆、まだまだ若いっちゅうこっちゃ。
……メロンちゃん、嫉妬心て特殊な感情やと思う?」
「いえ…そうは思わないですけど…。」
「せや。ええもんやないけど、誰でも持っとる普通のもん。
せやからこそな、そこに折り合い付けて生きてかなあかんねん。

今は厳しいかもしれんけど、キミなら大丈夫や。
……自分が間違いやと思うんなら、自分でそいつを乗り越えてみせえや。ケイ坊の気だって変わるかもしれへんやろ?」
「……龍驤さ〜〜ん……。」
「よしよし。さ、こっからは景気良く飲むでー!」


泣きじゃくる夕張をあやしながら、龍驤の中にはとある迷いが生まれていた。
北上とケイの繋がりに対する疑問と可能性を、夕張へと告げるべきか否か。その葛藤が。


“この子はそれ知ったら、今度こそ身い引いてまうやろな……。”


自分が抱く疑問は、恐らくほぼ間違いないであろうと言う確信が龍驤の中にはあった。
故に、その可能性は告げられないまま。

彼女はただ、優しく夕張を慰めていた。


375: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:25:10.91 ID:3g77v1CF0

同日、工廠。



ケイは一人居残り、いつもの如く実験を繰り返していた。

その瞳は、真剣そのもの。
だがそれは、いつもの敵への憎悪を技術として尖らせたものと違い、何かを忘れようともがいているかのような必死さを持っていた。

昨日は結局、彼は北上に会いに行ってはいない。
そして夕張の告白を断ろうとして口を塞がれた時の事は、彼の頭を悩ませていた。

それでも自分の気持ちは変わらない。

だが、断る言葉を吐ききれなかった事。
それはモヤモヤとしたものを彼の中へと落とし、振り切るように作業へ没頭していた。

集中力の世界にいる時は、彼は周りの音に気付かない事もある。

例えば工廠の戸を、息を殺すように開ける小さな音。
音を立てぬように近付いてくる足音。

そしてその肩に、何かが触れた時。
ようやく、彼は誰かが入ってきた事に気付く。



「………ユウ、さん?」



背後から絡みつく腕の主は、北上。

しかし彼女は一言も言葉を発さず。
身体をケイの背へと沈めるように、抱き着く力を強くしていく。

彼の頭の位置からは、その表情を窺い知ることが出来ない。
どういった目で、どのような顔でその行為に及ぶのか。

泣いているのか、笑っているのか。それすらも。


やがて胸元へと伸びた手は、ツナギの隙間へと入り込み。




「……っ!?」




そして撫ぜるように、舐めるように。
その指は、彼の素肌へと触れた。


376: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:26:50.17 ID:3g77v1CF0
続いてケイの耳へと北上の舌が這い、それは強烈な感覚を彼へと叩き込む。

それは快感ではなく、恐怖感でもなく。
ただ金縛りの如く、彼の動きを奪って行く感覚。窒息しているかのような息苦しさ。
見えない縄に囚われているかのような、拘束感。

彼が雁字搦めの感覚に犯される中、ツナギの襟をずらされ。
不意に、露わになった肩へと激しい痛みが走った。

噛み付かれ、そして付いた傷を舐め上げられている。
音も立てず、ぬらぬらと、北上はこぼれた血の一滴も残さぬよう、ゆっくりと舌を這わせている。

しかし尚も、石になったように彼は動けないまま。

硬直する彼を尻目に、北上は今度は正面へと回り、そのまま椅子の上の彼へと絡み付く。
その際彼の目に飛び込んだものは。

照明の反射以外、一切の光を映さない瞳だった。


優しくケイの手を取り、北上は自身が着ているパーカーの襟へその手を近付け。
自身の頬へ、そして首へと、まるで猫を撫でるかの如く、ケイの指を肌へと触れさせる。
そして彼の手首を使い、無理矢理ジッパーを開けさせると、はだけたパーカーの下には、キャミソール一枚のみの白い肌が。

だが、彼はその肌に走るものにこそ、固唾を飲んだ。
それは興奮ではなく、衝撃として。


刺青のように深く刻まれた、彼女の肩の傷に。


「見ちゃった?見ちゃったんだー?痛いしさ、寒いんだよねー……。
ねえ、ケイちゃん…あっためてよ。」


それはいつかのような月夜と違う。
噛み付くような、呼吸すら許さないような、暴力的な口づけ。

吸い込まれそうな瞳の圧力は、ケイの自由を尚も奪おうとする。
それは目の前のある今、よりその引力を強めて。

だが彼の震える手は、必死に北上の肩へとその手を伸ばし。



「………ユウ!やめろ!」



少ない息を振り絞るように、叩きつけるように。
北上を無理矢理引き剝がし、彼は声を上げた。

その瞬間。北上の目は、ようやくいつもの色を取り戻した。
まるで、憑き物が取れたかのように。

377: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:27:37.56 ID:3g77v1CF0

「……何があったんですか?黙ってちゃわかりませんよ。」


息を荒げながらも、彼の目は鋭く北上を射抜いていた。

北上ははだけたパーカーも直さず、床にへたり込み、呆然とケイを見つめている。
やがて一つ二つと、彼女の瞳からは雫が落ち。


「ユウさん!待ってください!」


何も言わず、北上は工廠から走り去った。
ケイは後を追おうとするが、向き直った北上は手を前に出し。

ようやく、声を発した。



「……来ないで。お願いだから。明日には、またいつものアタシに戻るから……じゃあね。」



そう笑う北上の顔は、まるで色を失ったかに見えて。
足を止めた彼はそれ以上、彼女を追う事が出来なかった。

走り去る背中を、呆然と見つめたまま。
やがて、その姿は彼の視界から消えていた。


夜闇の奥へと、吸い寄せられたかのように。




378: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:29:09.63 ID:3g77v1CF0

翌日。


ケイと夕張はいつものように艤装を艦娘達へ渡し、出撃に向けた準備をしていた。

しかしそれは、過剰なまでに、いつも通りを本人達が意識していたが故の事。
そして今日のメンバーの中には、北上もいる。彼女もまた、努めていつも通りに振舞っていた。


心の奥底に、とある決意を秘めて。


“嫌われちゃったかなー……でも、これでいいんだ。
アタシは本来の目的を、果たさなきゃいけないんだから。

……今日で、きっと全部終わる。ケイちゃんを___しちゃう前に、アタシが…。”


悲壮な感情を胸に、彼女を含む一団は、目的の海域へと向かっていく。

たった一発だ。わざと被弾して、どうせなら相打ちで、敵と共に沈む。
自爆して、家族と同じようにバラバラの死体になるのだ。

それこそが、自分の本来ここにいる目的ではないか。

自らにそう言い聞かせ、彼女は迷いを払うように深呼吸をした。

一団は順調に進み、しかし途中、旗艦である龍驤により待てのサインがかかる。
ここはこの頃噂の、危険な敵がいる海域が近い。一同は遭遇を避けるよう慎重に進むが。


突如、北上の肩に激痛が走った。


379: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:30:16.97 ID:3g77v1CF0

「北上?だいじょぶか?」
「あーごめん龍驤さん、だいじょぶだよ。いやー、まだ若いんだけどねー。」


周りに勘付かれる程、顔に出ていたのであろうか。
ミシミシと響く鈍痛は、進む毎に増して行く。

妙に息が切れる。
心なしか、眩暈も感じる。
まるで景色が交互に入れ替わるような、そんな感覚。


“ネェ……覚エテル?”
「………っ!?」


その異変の最中、不意にとある声が北上の中で響く。
それはいつぞやの幻と同じ、彼女自身の声。

そして直後、彼女の世界は暗転した。




“アンタサー、何デ生キ残ッタカ覚エテナイノ?
アレダケミンナグチャグチャデ、何デアンタハ肩ダケデ済ンダノカ……誰カ、ワザト残シタンジャナイカナー?

思イ出シナヨ……アノ時ノ事ヲサ…。”



囁く声が、あの時の記憶を生々しく北上の中に再生して行く。

そうだ、自分の肩に傷を付けたあのバケモノ、あいつはどんな容姿をしていた?
何故そこだけ、当たり前のように忘れていた?
恐怖で無意識に、そこだけバケモノであった以上は思い出さないようにしていなかったか?

目の前で両親を殺し、ニタニタと笑いながら自分の肩に傷を付けたあの笑顔。
最後、助けに来た弟の頭を撃ち抜いた瞬間の、揺れる長い髪。
弟の足を食いちぎった艤装の形状。


モザイクがかかったようにはっきりしなかったその記憶が、次第に生々しく形を取り戻していく。


「北上!止まれや!」


龍驤の声に現実へと連れ戻された時、彼女の先にいた者。
それは噂の敵と、身体的特徴が合致していた。

そして、たった今蘇った記憶とも。



髪の長い戦艦レ級。その姿が、現実のものとして。



380: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:31:45.79 ID:3g77v1CF0


「………見付けた。」




見付けた見付けた見付けタミツけたみツけた見ツけタミ付けたみつけた

その瞬間、北上の魂は込み上げる喜びに打ち震えた。

直後、敵から飛んできた弾を避けるべく、一同の陣は散り散りとなる。
だが北上は、はち切れんばかりの獰猛な笑みを浮かべ、照準をその先へと向けていた。


“神様っているんだね……アタシあんたは嫌いだけど、これだけは感謝するよ。
今日を最期だって決めてよかったよ…さぁ、一緒に死のうよ……ギッタギタにしてあげるからさぁ!!”


こっちを向けと言わんばかりに、牽制の魚雷を一発。
そして振り向いたレ級が北上と目を合わせた時、レ級もまた、恍惚とした笑みを浮かべていた。

「また会えたね」と、ニヤニヤとその言葉を形作って。

ありとあらゆる弾丸の雨が、北上の全身を掠めていく。しかし致命傷を狙ったものではない。
まるで一つの道を作るかのように、その弾筋は他の艦娘達の攻撃を弾き、そしてレ級と北上を囲っていた。


敵は間違いなく、この再会を楽しんでいる。


その意図を理解した時、北上の口は、より口角を鋭くした。


“いいねぇ…痺れるねぇ……あはは、あんたにはさ、一つやってあげたい事があるんだー…。”


恋人に駆け寄るかのような、全力の疾走。
節々の擦り傷からは血が流れ、それは花道のように北上の後へ続く。

そして敵へと近付いた、その瞬間。
遂に間近でその視線は重なり合った。


381: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:32:47.25 ID:3g77v1CF0

「キミ、生キテタンダァ…?ウレシイナァ、アイニキテクレタノ?」
「はは…アタシも嬉しいよ……あんたを殺せる日が来てねえ!!」


機銃を打ち込むが、これは牽制だ。
北上の真の目的は、よりレ級の元へ近付く事。

それこそ直接触れられるほど、もっと近くへ。
しかし敵も攻撃の手は緩めない。北上の肩にも腕にも、次々と穴が空いていく。

だがそんなものは彼女には関係ない。
敵の艦載機の間合いより内へ、もっともっと近くへ。

魚雷はあくまでシメだ。彼女の目的は、詰め寄ってこそ果たされる。


「アハハ、イイヨ。ヤッパリ可愛イネェ…キミハ。」


ズタボロの北上を目の前にし、レ級はうっとりとした表情で彼女の元へと近付いて行く。
レ級の艦載機は未だ他の艦娘の攻撃を防ぎ、また、その硝煙は二人を外界から見えなくしている。

恐らくは近距離から嬲り殺しにするか、優勢を良いことにじっくりと観察するか。それがレ級の狙いだろう。


だがそれは、同時に北上の狙いでもあった。



「可愛イコガイルト思ッテ、キミノコトハ取ッテオイタンダァ……アハハ、傷付ケテ残シチャエバ、ズット私ノコト覚エテテクレルト思ッテサ…。」
「へぇ……クレイジーでサイコだねー…ヘドが出るよ。」
「ユックリ齧ッテアゲルカラ、イッパイ鳴イテヨ……。
アーア、アノ時ノアレッテ、君ノ弟?ツマンナカッタナァ…鳴カナイシ、ヤッパリ人間の肉ッテマズイシ……。」
「人間喰わないなら、何であんな事したのさ……。」
「ウン!ソッチノ方ガ楽シイカナッテ!」
「へー……そうなんだ…。」


明るく笑うレ級の様に、北上は静かに言葉を返す。

北上の傷は、どう見ても出血多量だ。
だが、アドレナリンだろうか。彼女は意識もはっきりしていて。

そして、何よりも今、「心の底からこいつを殺したい」と思っていた。

レ級は油断しきっている。
ニヤニヤと北上を見下ろし、これから行う事を何よりも楽しみにしている。


「フフ…キミノ血ノ匂イ、イイ匂イダヨ……ペロペロ舐メチャイタイクライサ……。」


だが、それこそが北上の狙い。
甘えるように近付いてきたレ級の顔へ、北上の手がそっと触れた。



その瞬間。




「ギャアアアアアアアアッ!!??」




レ級の顔からは、おびただしい量の血が溢れ出した。




382: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:34:52.70 ID:3g77v1CF0

「あは………あははははははははははははははは!!!!どう!?生きたままツラの皮剥がされた気分はさぁ!!」


北上の片手には、半分程引きちぎられたレ級の顔の皮膚が握られていた。
レ級は恐怖と痛みにガタガタと震えながらも、尻尾の艤装を用い抵抗を試みようとする。

しかしその前に、北上は根元からそれを引きちぎって見せた。


「アギッ…アァアアアアァアアアアァアアアアァアアアッッッ!!!!???」
「文字通りの下の口ってねー。あはは、でもやっぱ上の方塞がないとうるさいかー。ま、いいや。
あの時アタシさー、気絶してて見てないんだけど……弟の脚、随分とゆっくりかじってくれたみたいだねぇ…。

……だからあんたの脚、ゆーっくり、引きちぎってあげるよ。」
「ヒッ…!?ヤ、ヤメ……アギッ!?ギエッ!?アアッ!アァアアアアァアアアッッッ!!!」


根元からじわじわと痛みを加えるように、北上の指は、じっくりと肉を、そして骨を引きちぎっていく。

その苦悶の声と表情は、まるでチョコレートの様で。
甘く、そして重く、北上の胸の中に入り込んでいた。


「ア……ウウ……ア…ガ………。」


その拷問の全てが終わった時。
北上は、マネキンの様に海面に打ち捨てられたレ級を見下ろしていた。

これだけズタボロに追い込んでも、尚の事彼女の奥底で茹だるマグマは、その熱を上げ続けている。

まだだ、まだ足りない。
だってこいつは、こうしてまだ虫の様に生きている。

湧き上がる熱は、尚も彼女の中で悲鳴を上げていた。


383: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:36:02.23 ID:3g77v1CF0

今、自分はこいつにどう映っているのだろう?と、彼女は考える。

恐らくは、悪魔にでも見えているのだろう。
血に塗れ、殺戮を楽しみ、ただただ己の目的の為に闘う。
それは、自分は憎い敵と何も変わらないという事だ。
望んでこうなった、敵と同じ場所まで堕ちた。

だから、誰かを愛し愛される事など、本当は有り得ない事なのだ。


そう思った時、彼女は乾いた笑みを浮かべた。


死を目前とした生物は、最後の抵抗を試みる。
それはレ級も例外ではなく、引きちぎられたはずの尻尾は、北上に向けて砲撃をしようとするが……。


ぐちゃりと、その尾の頭は踏み潰されていた。


「最後の抵抗ってやつ?ダメだよー…あんたは全部、アタシの手で死ぬんだから……。」


だらしなく涙と涎を垂らし、恐怖に打ち震えるレ級を、北上はその胸に抱きかかえた。

色こそ違うが、あの日と同じように、北上は血塗れ。
どう足掻こうとずっと同じだった、血塗れの世界。

だが、それももう終わる。



全ての元凶と共に、自爆をする事で。



“ずっと、そうだったなー…”


この3年半の記憶が、次々に北上の脳裏を過る。

全てを失った日。
死に場所を求め、荒れた暮らしを送った日々。
艦娘となり、血に塗れた日々。

ケイと再会した日。
笑い合った日々。
触れた時に感じた、ぬくもり。


そして最後まで、伝えきれなかった想い。


それら全てが、映画の様に彼女の中に流れて。


“これで良かったのかな………うん、これで良いんだ…。
これ以上生きてたら、アタシはアタシを止められない。

ケイちゃん………ばいばい。”







そしてその瞬間。

彼女の世界は、真っ白になった。






384: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:37:25.84 ID:3g77v1CF0
















“水……あの世って、こんなんだったんだー……。”






目が覚めた時、北上は水の上を漂っていた。

どこまでも青い空と、慣れ親しんだ海にも似た心地。
周りに誰もおらず、他には何も無い。

そこは、徹底された孤独。


ここが地獄なのかと、彼女は薄く笑う。


何も変わらないじゃないか、生きていた頃と。
無に還る事も出来ず、漂うだけなのだ。

そう考えた時。
ずきりと、北上の体は痛みを感じた。


“痛い……?あれ?これさっきの傷……レ級の血も……。


アタシ、生きてるの……?”



何かの、気配がする。

目を動かし、そっとその気配の主を探すと。





そこには、応急修理女神がいた。




385: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:39:17.36 ID:3g77v1CF0
それはケイが、夕張が赴任した時、初めて共同で開発した。提督以外には極秘の機能だった。

艦載機のコクピットに用いられる、特殊な刻印がある。

それはテレポートの効果を持ち、撃墜時、そこから妖精達は脱出を図る。
それを応用し、艤装の内側にそれを刻む。

これは艦載機のものと違い、刻印に亀裂が入る事で応急修理女神を呼び出せるように、新たに開発された魔法陣。
妖精達が魔法陣を開発し、夕張が応急修理女神を使うべき、危険なダメージが及ぶ箇所を何度も計算し。
そしてケイが、一人一人の艤装に丹念に刻印を刻んだ。

艦娘達の命を守る、そのためだけの機能だ。

ケイが使いやすい艤装を目指したのも、強力な武器を開発してきたのも、全ては敵を殺す為。

それは、その為に全てを捧げてきた彼が。
初めて、命を守る為だけに発案した機能だった。



“何も、すっきりしなかったなぁ……みんなの仇、やっと取れたのに…。

ケイちゃん……君は、アタシに生きろって言うんだね……。

会いたいなぁ…今すぐ……会いたいよ。”




伸ばした指の隙間に広がる空は、どこまでも青い。

ぽろぽろと頬を伝う涙は、海へとこぼれ落ちて。
それはとても暖かく、まだ生きている事を彼女に告げていた。

その涙は、愛おしさや、切なさ。



そして、とある絶望を、彼女へと与える。


386: ◆FlW2v5zETA 2016/10/27(木) 03:40:46.02 ID:3g77v1CF0

“もうダメだね……アタシはきっと、アタシを止められない。

ごめんね、ケイちゃん……。”


心臓の鼓動と涙は、彼女の戦争がまだ終わってはいない事を告げていた。

それは人類と深海棲艦の戦いとしてだけではなく。
彼女の心の戦争は、まだ続いていく事を意味していた。

現実として残る戦闘海域は、数える程に迫っている。
だが北上の心には、今もまだ、数えきれないほどの戦場が増え続けていた。

例えこの戦争を、終える日が来たとしても。
その心の終戦は、遥か先にあるように、北上の目には映っていた。



むしろ、この戦争を終えた時こそ。
彼女の戦争は、始まるのだと。


彼女の心臓は、そう告げていたのだった。


420: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 08:38:51.52 ID:qEv8GLN9O
「北川大佐…こちらが、今お話させていただいた艦娘の資料となります。」


1年半前、××鎮守府執務室。

沈痛な面持ちで北川提督の対面に座るのは、隣の鎮守府の司令官だ。
彼が手渡したのは、とある艦娘のプロフィール。
そこには生年月日や経歴の他、とある調査結果も記載されていた。


「……心理カウンセリングの結果、加虐嗜好、並びにPTSDと躁鬱の傾向あり。
平時はマイペースな人格を演じる傾向も見受けられる。
着任初期、多くの戦果を上げるも、戦闘時の記憶に欠損多数。

原因は過去のトラウマによる精神状態の異常と思われる。
○○年の××町深海棲艦襲撃事件の生存者であり、その折家族、親類は全員死亡。天涯孤独となる。

医務官の判断としては早期退役、並びに心療内科への通院を推奨し………。

…へー。あの子、適性検査の時はカウンセリングやんなかったんだ?相変わらず、うちの親方様は杜撰だねえ。
で、うちで異動を受け入れるって話でいいんだな?」
「はい……その、北川大佐であれば、きっとあの子を……私には、とてもではありませんが……。」
「異動はOKだ。雷巡候補も欲しかったしな……ただ、条件が一個ある。」
「は、はい……その条けっ!?」
「とりあえず、一発殴らせてもらった。それが条件だ。
……理由はどうあれ、てめえは部下を見放したんだ。それだけはそのツラで覚えとけ。
怨恨持ちって奴かね……任せとけ。腕の見せどころって奴だ。」


その艦娘の資料に記載されていた名前。

本名・岩代ユウ

彼が当時手にしていた資料は、今××鎮守府に所属する『北上』、その人の物であった。


421: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 08:40:32.76 ID:qEv8GLN9O
戦いの、2日後。

北上は担がれ帰港した直後に意識を失い、そのまま軍の病院へ入院となった。
入渠にて怪我こそ完治できたものの、暫く静養が必要との診断が出た為だ。

ここはいつもの鎮守府より、遠くの街。
彼女はひとり、ベッドで呆然と、窓に広がる空を眺めていた。


“結局、生き残っちゃったなー…。
船の方の北上も、こんな気持ちだったのかな……。

寂しいな、なんてね。”


彼女の脳裏によぎるのは、意識を失う直前の事。

必死に自分へと駆け寄る、愛しい者の姿。
しかし彼が触れるより先に意識は遠退き、彼女は気付けばこの病室にいた。

目覚めたのは、今日の朝だ。
軍医から現状の説明を受けたきり、まだ彼女の病室を訪れる者などいない。

他の患者もいない、彼女でしかベッドが埋まっていない部屋。
そんな静寂が、妙に冷ややかに思えていた。

音楽が聴きたいな、と思うも、プレイヤーが手元にある訳もなく。
そうして痛みすら感じるような静寂に溜息を吐くと、コツコツと、やや速い足音が彼女の耳に触れた。

422: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 08:42:30.37 ID:qEv8GLN9O
「………ケイ、ちゃん…?」


扉を開け放ったのは、ここに来る事は無いと思っていた存在。
見れば寒さで全身は震え、ヘルメットを小脇に抱えている。
この寒さの中、わざわざ冬籠りをさせた筈の愛車を引っ張り出して駆け付けたのだと、その姿を見た時、彼女は理解した。


「ここに入院したって聞いて…大丈夫ですか?」


優しい笑みを浮かべて、彼は北上のベッドへと近付く。
ケイが一歩一歩近付く程、彼女の視界は滲んで行く。
あの夜、あれだけの事をしでかした筈で。しかし彼は、何も変わらずそこに現れた。

そんな現実がとても嬉しく。
そしてとても、怖く思えた。

しかし今、彼女の中で一番強いのは。
触れたいと言う、その想いだった。

423: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 08:44:23.23 ID:qEv8GLN9O
「………ケイちゃん、ありがと…。」


いつか風邪をひいた時と同じように、彼女はケイの胸に、そっと顔を沈めた。
泣き顔を見られたくなかった。
そして、きっと顔に出てしまっているであろう、仄暗い欲望も、見せたくはなかった。

カーテンに囲われたベッドは、隔絶された世界。
しかし尚も彼女の心は、より強い閉鎖を望む。


“鍵、掛けちゃいたいな……ずっと、ずっとこのままがいい。
あったかいなぁ、ケイちゃん…。”


縋り付く腕を強め、より温もりを求め。
それでも優しく髪を撫でてくれる手は、何よりも愛おしい。
何も言わずにいてくれる彼の優しさは、まるで麻薬のようだった。

永遠に、自分のそばに縛り付けてしまいたくなるほどに。
彼女の奥に流れる寒さは、今も癒えてなどいないのだから。


“君だけだよ…アタシをあっためてくれるのは…。
もう何も、憎くないんだよ。あいつらも、夕張ちゃんも。
でも寒いんだ……ずっと…だからケイちゃん、アタシを…。”


ケイは日が暮れるまで彼女の手を握り、その間、ふたりの間に言葉は数える程。
だが、それが何よりの幸福だった。
あっという間に、彼が帰らなくてはならない時間となるまで。


「また来ます。お大事に。」
「ありがと…ケイちゃんも、風邪引かないようにね。
ねえケイちゃん…おいで。」


そしてどちらともなく、口付けを交わし。別れ。
そこにかつて彼女が抱えていたどろどろとした色は無かった。


代わりに、そこにあったものは。


424: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 08:49:06.35 ID:qEv8GLN9O

「ひかる♪きえる♪ひかる♪きえる♪」


数十分後。

夕暮れの、北上以外誰もいない病室。
手持ち無沙汰な彼女は、ぽつりぽつりと、好きな歌を口ずさんでいた。


「きえろーチャイナドレスのおんなー♪」


マイナー調のメロディ。
それに対して、彼女はとても楽しげに、微笑みながらそれを口ずむ。


「でんえんとしせんれっとうれっとうかっこーかっこー♪かみさまー♪」


その目には、夕日が映る。
窓枠と夕暮れは、瞳に反射し。



「ころしてやる♪」



そこに、夕暮れ以外の光は存在していなかった。



425: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 08:52:36.53 ID:qEv8GLN9O
「バリさん、戻ったよ。いやー、寒い寒い。」
「あれ?今日休暇でしょ?どうしたの?」
「部屋のコーヒーメーカー、壊れたの忘れてた…一杯もらっていい?」

ケイが鎮守府へ帰ると、真っ先に向かったのは工廠だった。
夕張は丁度、1日の仕事を終えて一息と言った所らしい。

こうした終業後の一息も慣れた光景だが、夕張は、彼が寒さに震えている理由を理解していた。
朝方、覚えのあるバイクの音を聞いていたからだ。
わざわざ冬籠り中の愛車を出してでも、早くに出掛けた理由。そんなものは、一つしかない。


「…北上さん、元気そうだった?」
「ああ、ちょっとやつれてたけどね…病院のご飯きついから、早く食堂の食べたいってさ。」
「じゃあ、戻って来たら焼肉ね。前に龍驤さんに連れてってもらったとこがさ…。」


たわいもない世間話をしつつ、しかし内心は落ち着かない。
夕張には、知りたい事があったからだ。
会話の中で質問をする機会を伺いながら、彼女は長く抱えていた可能性と疑問を、脳内で整理していた。

その答えはおそらく、彼の言葉を聞けば分かると。

426: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 09:00:25.35 ID:qEv8GLN9O
「この戦争も、もう少しって所だな…だからこそ、前以上に気を張らないと。」
「そうね…ケイ君、早く仇取れるといいね。」
「そうだな…色々やりたい事もあるし。」
「ねえ、そう言えばさ……幼馴染って、どんな子達だったの?」


ここだと言うタイミングで、彼女は遂に、核心に迫る一手を放った。
敢えて深くは聞かないでいた、彼の過去。
そこにこそ、今知らねばならない事があると。
427: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 09:02:02.57 ID:qEv8GLN9O
「幼馴染か…近所に住んでた姉弟でね。俺の一個上の姉と、一個下の弟。
俺、親が家建てた時に地元に引っ越して来てさ。
まだ友達もいなくて、一人で虫とか採っててさ。
そんな時に声掛けてくれたのが、その二人。

そこからは色々やったなぁ…サッカーしたり、秘密の場所とか作ったり。
その二人がいなかったら、地元で上手く暮らせてなかったよ。本当の兄弟みたいでね。
姉ちゃんの方には、俺、大きくなったら姉ちゃんと結婚するんだ!とか言ったなぁ。
弟にサッカー教えたら、みるみる内にはまってさ。

5歳ぐらいの時かな…姉弟があの街に引っ越して。
それで高校の時に、あの事件が起きた。

死者も生存者も、報道規制敷かれてたでしょ?
SNSはあてにならないし、国も亡くなった人の身内にだけ知らせ送ってさ。
ネットに流れる情報なんて、どこまで本当か分からなくて。

だから確かめる意味でも、ボランティアに行ったんだ。」
「それで…ケイ君、前にそこで確証は得たって言ってたけど…。」
「…そう、前言った血の跡。
たまたま家を見つける前から、被害者の腐敗した遺体の一部を何度か見付けてね…どれだけ激しい攻撃だったのか、よく分かって。
それで姉弟の家で、一人分じゃ済まない血の跡を見た。

色んな遺体を見た直後だったからね…助からなかったのは、すぐに分かったよ…。
どれだけ凄惨だったのか…みんな、どれだけ虫ケラみたいに殺されちまったのか…!

だからその時、決めたんだよ…どんな立場でもいいから早く軍に入って、あいつら皆殺しにしてやるって…!」


この時夕張の目には、ケイの震える拳と。
そして夕張が恐怖すら感じる、彼のあの顔が映っていた。
ごめん、と一言こぼし我に返るケイの姿に、罪悪感を感じる。
だが、それでも深く関わった以上、知らなければならないと夕張は決めていた。
自分の恋の行方も。そして、もう一つ決めたとある事も。

全てを結ぶピースは、そこにあると確信しているが故に。

428: ◆FlW2v5zETA 2017/01/20(金) 09:04:16.25 ID:qEv8GLN9O

「…良かったらその二人の名前、教えてもらってもいい?」


艦娘の本名の秘匿義務は、原則本人の意思が尊重される。
免許合宿の時のように本名がやり取りされる場も、あくまで同型艦の適合者が複数いる場合だ。
例えば整備員や事務員などには、わざわざ言わない者もいる。

北上はと言えば、「女の秘密」だと、ケイに自身の苗字までは明かしていなかった。
ラインの名前も本名と関係ないものに設定し、他の艦娘にも殆ど明かしてはいない。

ユウと言う名前以外、彼は知らない。
そして彼が名前を知っている事は、夕張も知らない。

だが夕張は、とある予感を感じていた。


「…岩代ユウと、岩代コウタ。それが二人の名前さ。
もう顔も上手くは思い出せないけど…それでも俺にとっては、一生忘れられない二人だよ。」



その瞬間。
彼女の中で、全てが繋がった。





439: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 06:52:55.68 ID:pDh4s1USO
とある年の6月。
鎮守府地下、霊安室。

かつて軍人の遺体保管用として使われていたステンレスの寝台には、とある怪物が数体寝かされていた。
それは深海棲艦の遺体、軍内ではヲ級やタ級と呼ばれる個体のものだ。


「この遺体は、今日あなたが作った兵器で死んだものよ。ケイ、よく見ておきなさい。」


当時整備長を務めていた、工作艦・明石。
彼女の隣には、まだあどけなさの抜け切らない青年がいた。
後に若干二十歳にしてここの整備長を任される事となる、笠木ケイタロウ。
この日使われた弾薬や艤装は全て、彼の手が入ったものが使用されていた。

明石の手掛けたものとの、殺傷効果の差異。そのデータを取る為だ。

440: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 06:55:17.55 ID:pDh4s1USO
「この貫通射創を見て。射入創は右腹部から、そして射出創は脊髄の左側、肩甲骨下の辺り。
致命傷は与えているけど、ストレートには抜けていない。体内で軌道が変わって、盲貫射創になりかけているわ。貫通力が甘いわね。
最初は全体的にパワーが強過ぎたけど、今回のは逆に、少し弱い。」
「なるほど…例えばもしこれが徹甲弾のケースだと仮定して、装甲部に当たった場合、貫通力の不足が致命傷を与えられない可能性もあると。」
「そう。今度はこっちのヲ級を見て。
魚雷で左下半身が吹っ飛んでるけど、致命傷はあくまで機銃による顔面への掃射。
初回と違って推進力の調整は上手く行ったみたいだけど、弾頭の爆発力とのバランスがまだ悪いわね。
発射の負担を減らし、しかし着弾時の爆発力は落とさず。これが重要な所よ。」
「そうですね…ありがとうございます、参考になりました。」
「確かに甘い点は多いわね…でもケイ、あんたの入隊期間で実戦投入されてる事自体、本当にすごい事なのよ?
普通はまだ、調整の勉強から抜け出せないレベルだもの。そこは驕らず、でも誇る事。いい?」
「はい!もっと良いものに出来るよう精進していきますので!だってそうなれば…………。」


“え…?ケイ…その顔………。”


この頃のケイはまだ周囲への態度が堅く、愛想笑い以外の笑顔を周囲に見せていない頃だった。
手術着とマスクに隠され、互いの表情は伺えない。
だが明石には、マスク越しでも彼の『ある変化』が手に取るように分かった。


「……もっとたくさん、あいつらを殺せますから。」


この時初めて、心からの笑みを見せた彼の目元。
それは強烈な恐怖と、絶対に彼を最後まで見守ると言う誓いを明石に与えたのであった。


441: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 06:58:05.37 ID:pDh4s1USO

とある夜、龍驤の部屋。

いつものビールではなく、テーブルに置かれているのはコーヒーが二つ。
そして龍驤の対面には、夕張が座っていた。

以前の沈痛な面持ちとは違い、夕張の顔には困惑が浮かんでいる。
煙草を薫せながら、龍驤はそんな彼女の言葉が出てくるのを、優しく見守っていた。


「……龍驤さん。私、気付いちゃいました。北上さんの正体は、ケイくんの幼馴染だって…。
免許合宿の時、本名が呼ばれてたんです。それでケイくんに、幼馴染の名前を訊いたら…。」
「そか…うちも前、明石からケイ坊に昔何があったんか聞いたわ。
せやろなとは思うとったけど…まさかほんまになぁ…。」
「……北上さんの肩に、大きな傷があるんです。
きっとあの事件の傷で…どんな気持ちで生きて、ケイくんと再会してから、今までどんな気持ちで隠してたんだろうって考えたら……。」
「…その傷の事なら、よう知っとるよ。縫う前もほんまズタズタで、女の子に付いてええもんやなかった。」
「知ってるんですか?」
「…あいつは錯乱しとったから覚えてへんけど、あん時あいつを救助したんは、うちや。
陸におった時、うちは救出部隊の隊長やっとってな。そん時の捜索で発見したんやけど…まぁ、ひどいもんやった。
両親は半身吹っ飛んで壁にひっついとるし、弟なんて頭吹っ飛ばされた挙句、下半身ぐちゃぐちゃに齧られててな。
弟のそばに金属バット落ちとって…北上ん事、庇おうとしたんやと思う。

北上な、吹っ飛んだ家族の脳ミソや腹わた、一生懸命遺体に戻そうとしとったよ。ヘラヘラ笑いながらな。
もうええんやって声掛けて、抱っこしたけど…うちも血や肉片でびちゃびちゃになるぐらい、あいつは血塗れやった。」


きゅ、と、夕張が拳を握り締める音が響く。
その表情には、言い知れない怒りが浮かんでいた。
部屋にはコーヒーの香りと、ランダムでPCから流される音楽。
その中で龍驤は、淡々と言葉を続ける。
442: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:00:45.65 ID:pDh4s1USO
「そん時は、助けられたと思うとった。

…せやけどそないなもん、命だけやったわ。
北上が前の鎮守府配属された頃か。隣との合同作戦で再会してな…ああ、やっぱこっちの世界に来てもうたんか思うたよ。
忘れられへんわ…サイコな笑顔浮かべて、死体までブチ抜いて。

ケイ坊が配属されたすぐ後か、あいつがこっち来たんは。
初めはな、ケイ坊に出会ってええ方向向いたんかと思った。
でもそうやなかった…あいつはケイ坊に寄っ掛かって何とか保っとるけど、本質は何も癒えとらん。

冷たいけどな。結局、自分で折り合い付けなあかんねん。心の傷なんてもんはな。
誰かに寄っ掛かっとる内は、何も解決せえへん。
まぁこうは言うても…モヤモヤしたもんは、あるけどな。

うち、メロンちゃんの心意気は好きや。
せやけど同時にな、このままやと北上は、ケイ坊を傷付けるんちゃうか思うてな…キミの事応援しとるのは、それもあった。
…黙っとって、すまんかったな。」
「…龍驤さん、何も謝る事は無いですよ。
むしろお礼を言い足りないぐらいで…本当に、みんなのお姉ちゃんじゃないですか。
みんなの事、それだけ一生懸命考えてくれて。ありがとうございます。」
「…おおきにな。」


少し恥ずかしげに微笑む龍驤を見て、釣られて夕張も笑った。
彼女の中で、何かしらの決断は出たのだろう。 少しだけ、夕張の顔は晴れやかに見える。


「龍驤さん。私、今の話を聞いて、今までの事も考えて…決めた事があるんです。」
「何?」
「本当の事を言うと…最初ケイくんから北上さんに告白したいって聞いた日……北上さんの事、殺したいって思っちゃったんです。
でも龍驤さん、言ってくれたじゃないですか?
それは誰でも持ってる普通のもので、そこに折り合いを付けて生きなきゃいけないって。

自分の気持ちをどうするかは、まだ答えは出せません。
でも、ケイくんは私の大切な人で…北上さんは、私の大切な友達で。

だから結果がどうあれ、私は___」


443: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:02:42.00 ID:pDh4s1USO

翌日の夜。

ケイはこの日、珍しく提督専用住居である、鎮守府内の平屋へ招かれていた。
「たまには飲もうや!」と、飲みの誘いの常套句で呼ばれはしたものの、実は提督の家で飲むのは初めての事。
些か落ち着かない様子で、彼はインターホンを押した。


「うーす、お疲れちゃん。まあまあ、上がってくれや。」


ともすればチャラいとも言われかねない、いつもの軽い態度。
しかし一度玄関を跨げば、整頓され、インテリア等も考えられた廊下がケイを出迎えていた。

リビングに通されるとテーブルを挟み、それぞれ二人掛けと一人掛けのソファが置かれている。
一人掛けの方は使い込まれている様子で、いつも提督がそこに座っているのが見て取れた。


「お客様だかんなー、でけえ方座んなよ。」


トレイにグラスとアイスペールを乗せ、提督はそれをテーブルへと並べる。
注がれたウィスキーは、何やら高価そうな雰囲気を纏ったボトルに入っていた。
いつも提督と交わす酒とは違う雰囲気に、彼は緊張を感じていた。


「「乾杯。」」


煽る一口目は、強い風味と旨味を舌にもたらす。
“確かに美味いが、本当にこの味を理解するには自分はまだ若すぎるのだな”と、この時ケイは考えていた。

444: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:08:01.65 ID:pDh4s1USO
「戦争も、終わりが近えな……どうよ、仇討ちは果たせそうか?」


父が子に語る様に、提督はそう投げ掛ける。
ケイは少し逡巡した後、真っ直ぐに提督の目を見、そして言葉を返した。


「…ええ、仇討ちは果たせそうです。」
「そうか…この戦争を終わらせたら、お前は軍に残るのか?」
「そうですね…暫く残って、でもいずれは退役するつもりです。やりたい事が出来たので。」
「成る程ね………いやー、良かったわ。だってお前よ、入った時は噛み殺さんばかりのツラでドライバー握っててな。
俺おしっこちびるかと思ったわー、はっはっはっ!」
「そんなんでしたか?確かに堅かったですけど…。」
「いや、マジマジ。入った頃とかやべえ新人が来た!って持ちきりだったもんよ。
懐かしいなー…お前も随分成長したな。まだまだだけどよ。相変わらず女っ気ねえし。」
「そこまで頭回りませんでしたよ……仇討ちで一杯でしたから。」
「お?過去形ってこたぁ、今はちげえの?」
「物好きなおっさんには黙秘権を行使します。」
「はっはっはっ、言うねー。」


思えばこうして軽口を交わし合うのも、もう何度重ねたものか。
しかし戦況が進めば、それもいずれなくなる。
不謹慎な気もしたが、少し寂しい様な。そんな気もケイは感じていた。

445: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:09:30.81 ID:pDh4s1USO
「ま、今日来てもらったのは、たまには若人の参考に、おっさんの話でもしてやろうと思ってな。」
「まーた逃げた奥さんの話ですかー?提督が未練タラタラなのはよーく知ってますよー。」
「……実は嫁が出てった先は知ってるぜ。そこだ。」
「………え?」


そう提督が指差した先には、小さな仏壇が一つ。
今まで離婚したものだと思う話し方をされていたが、そこにある物を見た時、彼が妻と別れた理由をケイは理解した。


「逃げてんだろ?あの世によ。ったく、旦那置いて遠く行きやがってよ。」
「奥さん、亡くなられていたんですか…。」
「皆には黙ってたがな。お前以外じゃ、龍驤ぐらいしか知らねえよ。
もっともあいつにも、ただ死んだとしか言ってねえけど。
……今日はな、お前にその話をしてやる。何か参考になるかと思ってな。」
「は、はい……。」
「……3年半前だ。7月4日、この日はよく覚えてるだろ?」
「………!!」


そして提督は、自らの過去を語り始めた。


446: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:11:01.11 ID:pDh4s1USO
ありゃ結婚して3年ぐらいの時か。

当時の俺は少佐でよ。
とは言ってもなりたてだ。何やかんやで、しょっちゅう海に出ててよ。日本中飛び回ってた。

それでもまあ、結構無理してでも、非番の度に家帰ってたんだわ。
嫁の顔は出来れば毎日見たかったし、何よりその時の俺には、帰りたい理由があった。

子供がな、嫁の腹の中にいたんだよ。

そりゃもう、何よりの楽しみだ。
帰る度少しずつ大きくなる腹や、耳を当てた時の心音。
何より、あいつの幸せそうな笑顔。

絶対に守りたいと思ったし、その為にも仕事頑張らなきゃなって思ってた。
そんな日々が続いて…8ヶ月ぐらいになった頃か。
出産の準備で、嫁が暫く実家に帰る事になってな。その時は夏の始まりで。


あいつは、あの町の生まれだった。


7月4日の夜だ。
緊急警報と出動要請。その時100km離れた海にいた俺の部隊は、すぐさま指定の海域に向かった。

…海から火の手を見て、心底愕然としたよ。よりによって、見覚えのあるあの町だ。
結婚の挨拶の時、あいつと遊覧船で沖から眺めてた景色が、地獄絵図になってた。

447: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:13:58.17 ID:pDh4s1USO
上陸しようにも、海にはあいつらがうようよいる。
そりゃ派手にドンパチやってよ。でもどっちも引かねえみてえな状態で、こっちも怪我人どんどん出て……ちっとも進まねえんだ。
そうしてる間にも、遠くの銃声や悲鳴も、火の手もどんどんでかくなっていきやがる。

へへ…ウケんのがよ、あいつら軍人は戦闘不能にしても、なるべく殺しゃしなかったんだ。
どんだけ味方が殺られても、それだけは守っててな。
……代わりに、一般人は徹底的に皆殺しだ。
さぞや楽しかったろうよ。俺らの守るべきモンを、次々に目の前で殺してくのはよ。

そうやって必死に殺り合ってる内に、夜明けが来た。
潮が引くみてえにあいつらが撤退してよ…全部いなくなった時、ようやく陸に辿り着けた。
俺のデコッパチに、でっけえ傷があんだろ?これはその時のだ。

上陸した時、俺の目の前にあったのは地獄だ。

炭化した死体、飛び散った死体、ブチ抜かれた死体。
どこもかしこも、瓦礫と死体しかねえ。何度か来た綺麗な港町は、跡形もなかったよ。

だけどな…人間意外と、道って奴は覚えてるモンだ。
記憶を頼りにあいつの実家に着いて……そこには、陸の救出部隊がいた。


「海軍の方ですか!?よくぞご無事で…救護要請ですか?」
「そんなもんはとっくに呼んだよ…頼む、この家に入れてくれ。」
「………どうしてでしょうか?」
「…嫁の実家だ。身重の嫁が帰省してる。」
「……出来ません…あなただからこそ、この先は見せられません!!」


初対面の陸の隊員がよ、俺の一言で泣きながらそんな事言うんだぜ?

その瞬間、俺は部隊ん中に突っ込んだよ。
制止も片っ端から振り切って、リビングに突っ込んで。


…確かにそこにいたよ。嫁も、子供もな。


448: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:16:23.02 ID:pDh4s1USO

「はは…おいおい、何のギャグだよ……なぁ…つまんなすぎんだろ…。
ははは……ひひ…嘘だろオイ………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!」


嫁は、腹を裂かれて死んでたよ。
側にはへその緒が付いたまんまの、首がちぎれた赤ん坊の死体。ちぎられた頭は、嫁の腹ん中に突っ込まれてた。

後で検死の結果分かったんだがな…最終的な嫁の死因は腹の傷での失血じゃなく、ショック死だったんだと。
生きたまま腹裂かれてよ…子供を取り出されて、目の前でくびり殺されたって事だ…。
嫁の目は開いたまんま、涙の跡があった…それが何よりの証拠だ。

男の子か女の子かは、生まれる時の楽しみにしようって言っててな。
検査でわかっても、性別はまだ言わないでくれって医者に頼んでた…近くにあった子供の死体は、女の子だったよ。

どっちの名前も、もう考えててな。
女の子だったら、ユウナにしようってあいつと相談してて……火葬場の蓋を閉める時、初めて名前を呼んだ。

……娘の名前を呼んだのは、それが最初で最後だ。

嫁の目を閉じたし、最後にキスもした。
血の味と死臭と、冷たさ。それしかなかったけどな。

二人とも、そのまま煙になっちまって、小さくなって。今はそこの仏壇にいる。


……ま、そんな話さ。


449: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:18:37.12 ID:pDh4s1USO
「……………。」
「……どうした?顔が怖えぞ?」
「………提督。この戦争、絶対に勝ちましょう。こんな事、早く終わらせなきゃいけない。」
「お前ならそう思うだろうと思ったよ。で、絶対そう言うと思った……だかしかーし!」


急に出された大声に驚くと、ケイは頬を掴まれ、そして思い切り横に引っ張られていた。
それは丁度、笑顔を形作らせるように。


「イイデスカケイサーン!それはそれ、これはこれデース!
…そりゃ連中は100回ブチ殺しても飽き足らねえよ。だがよ、まだ生きてる俺らの人生は続いてく。てめえはまだ若え。
やりてえ事できたんだろ?ブチ切れんのは整備ん時だけにしろ。それ以外は笑っときゃあ良いんだよ。
はい!じゃあ仇討ち以外で今一番やりたい事発表!女か?女なのか?んー?」
「はは…あんたねえ…まあいいでしょう、ぶちまけましょうか。
俺はー!幸せにしたい人が!できました!」
「え?マジなの?」
「そこ真顔ですか!?」
「へへ…いやー、成長したなってな。誰かは何となくわかるから、訊かねえけどよ。」
「……まだ告白してないんで、内密にお願いしまーす…。」
「了解。まーまー、そんじゃもっかい乾杯な。」
「……ん?ショットグラス…?」
「うちはカクテル系もいっぱいあるぞー。テキーラ?それともイエガー?」
「殺す気ですか!?」
「へへへ…爆発しやがれリア充…。」
「大人気なさすぎでしょ!!」
「そんなもんはお母さんのお腹に置いてきました!」
「ふざけんなこの35歳児!!」


そうして騒がしい夜も更け。
ケイも部屋へと戻り、提督は一人、洗面所で鏡に向かっていた。


450: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:22:01.13 ID:pDh4s1USO
“あの話して、俺に怒りを覚えねえか……よく出来た部下を持ったよ。

ケイも、北上も…龍驤や夕張も…いや、ここの奴ら全員か。
俺はてめえの復讐の為に、あいつらの恨みや事情を利用してるだけだ。

まあいい死に方は、出来ねえだろうな…….なあ、そうだろ?お前らんとこには、俺は行けねえ。”


蛇口をひねり、提督は手に取った水を激しく顔にぶつける。
冬の水は、温度以上に冷たく感じられる。
そして何かを決意したかのように、彼は作戦時以外見せない鋭い目を鏡に向けた。


“ケイ。お前は、俺みたいになるなよ。”


心の中の声は、誰に聞こえるでもなく。
電気の消された洗面台は、夜の闇へと包まれるのみだった。



451: ◆FlW2v5zETA 2017/01/22(日) 07:24:04.06 ID:pDh4s1USO

同日。△△市内、軍病院。

見舞いに来ると言う同僚に頼み、北上は自分の携帯を持って来てもらっていた。
彼女はそれを使い、何やらネットサーフィンをしているようだ。

開かれているのは地図のアプリ。
そして時折webブラウザに切り替えては、その度乗り換え検索をしているらしい。

スクリーンショットとブックマークをいくつかし、そうして集めた資料を見ては、彼女はご満悦と言った様子。
まるで旅行の計画を立てるかのように、北上は歌を口ずさみながら、楽しそうにその動作を繰り返していた。


「あなーをーほっているー♪じぶんがはいるあなをーほってーいるー♪」


地図で調べられているのは、スーパーやコンビニ。
彼女がしきりに気にしているのは、駐車場の見取り図だった。

そして集めた資料の中で、最も理想的な条件の物を見返した時。


彼女は、とても嬉しそうに微笑んでいた。



473: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:35:06.28 ID:SjIp+ZP90

「ユウ、おめでとう!」



今日はアタシの誕生日。
友達も、家族も。みんな祝ってくれた。

嬉しいなー。今年はさ、親からハサミを貰ったんだ。
ちゃんとした、髪を切るためのハサミのセット。これを持って、アタシは来年から地元の美容学校に行く。

…嬉しいな。頑張らないと。


「姉ちゃん、おめでとな!」
「コウちゃんもありがとねー。んー、かわいい奴めー。」
「それはやめろっての!!」


あはは、このスキに撫でまくってやろうと思ったのにー。


今年もいい誕生日を迎えられたって思えた。
とても幸せだと、そう思っていた。

後になって、アタシは自分の生まれた日の偶然に、心底嫌気が差したけど。


7月3日。
アタシの誕生日で、軍艦としての『北上』の進水日で。






そして、あの日の前日の事。



474: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:36:23.66 ID:SjIp+ZP90

北上がレ級との決戦を終え、2か月半が過ぎたとある春の日の事。
艦娘を保有する国全てによる連合軍は、遂に深海棲艦の本拠地を叩いた。

ケイたちが開発した機能は、非常救命装置として全ての艤装に標準装備とされ。
その活躍もあり、遂に敵の本拠地を制圧。全ての深海棲艦は、駆逐された。

そのメールを、ケイは拠点の基地で受け取っていた。
提督と、北上やケイら選抜された者たちは、海外の戦地へと派兵されており、鎮守府にはいない。

メールに添付されたそれぞれ全参加者と、xx鎮守府の者たちとで撮られた集合写真。
それだけが、彼らの無事と勝利を実像として伝えている。



「終わったんだな…。」



長きに渡る彼らの戦争は、余りにもあっけなく終わった。


今の所、喜びの言葉は無い。
今は安堵と、まだ空虚な実感と。それだけで彼の胸はいっぱいだった。

基地はそれぞれの国に区画が割り振られ、その中をさらに細かく、各鎮守府のテントが建てられていた。
今xx鎮守府のテントにいるのは、ケイひとり。
他の部署の者は喜びの余り、皆テントの外へと飛び出してしまっていた。

外からは、各国さまざまな言語が入り乱れた、喜びの叫び。
その中で彼は一人、とある予備の砲身へと手を伸ばした。

組み込みも何もされていない、撃てない砲身。
それをこめかみに当て、彼はそこにないはずのトリガーを引いた。

直後、手放された砲身は、カラカラと床を転がり。
ケイは、その場に力なく膝をついていた。


“ユウ姉ちゃん…コウタ……仇は、取ったよ…。
好きな人も仲間も守れた…なあ、何か言ってくれよ………なあ…!”



コンクリートの地面を、ひとつ、また一つと水滴が濡らしていく。
戦いを終え、愛する者や仲間たちの無事を確かめた今。彼の胸へと去来するもの。

それは、例え仇を取れたとしても。決して取り返せない喪失への、深い悲しみだった。

二度と彼らは、消えた命は戻らない。

深い憎悪や狂気とたゆまぬ努力、その中で得てきた願いと、希望と。
その果てに彼は今、その現実をようやく受け入れる事が出来ていた。


この日、彼の戦争は終わり。
そして少年は、ひとつだけ大人になった。


だが、まだ終戦を迎えていない者が、ひとりだけいる。



それは、彼が最も愛する___




475: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:38:15.54 ID:SjIp+ZP90

4月26日。


この街にも桜前線が訪れる中、鎮守府は静かだった。


終戦を迎え、最前線に派兵されていた者たちも戻り、約2週間。
艦娘各々は終戦にまつわる残務処理も終え、大半の艦娘には終戦記念として、一月半の長期休暇が与えられていた。

国際条約により、一部の残党狩りに携わる者以外の艤装は、全て解体となった。
2週間かけ全ての艤装を解体し、工廠にはそれらのパーツが山積みとなっている。
ケイたち工廠組の長期休暇も、明日からようやく始まる。



そしてこの日、ある者の恋が終わった。

476: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:39:43.92 ID:SjIp+ZP90

“振られちゃったなー…まあ、覚悟はしてたけど。”


最後の艤装を解体した後。
夕張は改めて、ケイに自分の想いを伝えた。



「……ごめん。俺の気持ちは、やっぱり変わらないよ。」



彼の心は、冬と変わらないまま。
はっきりと告げられた謝罪の言葉と彼の表情に、食い下がる事など彼女には出来なかった。

覚悟を決める時間が空いていた事も大きいのだろうが、思いの外、彼女の心は晴れやかだった。
10代の頃に伝えきれなかった想いを、ようやく伝える事が出来た。
それだけでも、決して今までは無駄な時間ではなかったと、今はそう思える気がして。


“何か実感わかないなあ……でもあの二人がちゃんと付き合ったら、泣くんだろうな。”


想像の中のふたりの幸せな姿は悲しくもあり、楽しみでもある。
いつかの駐車場で抱いた、自己嫌悪に陥るほどの激情が消えた事に安堵し。
そして、あの日の唇の感触を思い出しては、どこか切ない気持ちになり。

それでも、少しでも未来に向けて顔を上げて行こうと、彼女はそう思っていた。

ただ、気がかりな事がある。
それは北上の心の傷と、彼女がいつ真実を彼に告げるのか。その2点だ。


“大丈夫だよ。ケイ君ならきっと、北上さんを受け入れて、助けてあげられる。”


だが夕張は、気付いていない。
いや、それこそケイ以外、その本質の片鱗を覗いた者などいなかったのだ。



北上の抱えるものが、ここの者たちの想像を、遥かに超えるものであるなどとは。




477: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:40:55.66 ID:SjIp+ZP90


4月28日。早朝。


1台のバイクが、鎮守府を出て行った。

タンデムをしているのは、とても幸せそうな男女。
春の日差しは心地よい風を彼らに与え、桜のシャワーはその幸福を祝福しているかのようだった。

ずっと前からの、二人の約束だった旅路。
やっと戦いを終え迎えられた、未来への道。

バイクはその中を、迷いもなく進んでいく。


ハンドルを握る青年は、とある決意を胸に秘めていた。

今は亡き大切な者たちの家に花を手向けた時、自分の戦争はようやく終わると。
そしてその時が来たら、彼女に想いを伝えようと。

背中には、彼の大切な人。
幸せそうに微笑む彼女がミラーに映るたび、彼もまた、釣られて微笑んでいた。


「ケイちゃーん。」
「どうしました?」
「ふふ、いい天気だねー。わびさびだねー。」


こんな何でもないやり取りが、今は何よりの幸福だった。
守るべき笑顔がある。それだけで、どこまでも強くなれそうな気さえしていた。

途中に寄った丘の景色や、二人で食べた食事の味。
それゆえ一つ一つの世界の煌めきを、噛み締めるようにバイクは進んでいた。

15時を過ぎる頃、少し日が傾いたように感じられた。
この日の目的地はもうすぐ、宿は彼女が押さえてくれている。


そんな中、彼女は彼に声をかける。


478: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:42:34.49 ID:SjIp+ZP90

「ケイちゃんごめーん、トイレ行きたい。
あ、この先にコンビニあるって。ちょっと寄ってもらっていい?」


バイクは看板の指示通り、とあるコンビニへと入っていく。

それは田舎によくある、異様に駐車場が広く、周りには畑しかない店だ。
駐車場はL字になっており、店内からの死角側にバイクを止めるスペースがある。

各々用足しと買い物を済ませ、バイクへと戻る。
バイク用のスペースは、国道沿いからは見えない。
真横に白い車が停められており、日当たりが悪いな、と思いつつヘルメットを持ち、彼はある事に気付く。


「そういえばそこの車、ユウさんのと同じのですね。」
「そだねー。アタシの昨日メンテに出したんだー、何か調子悪くてさ。」
「ちょうど向こう帰ったら戻ってくる感じですか?」
「そ。まだまだお世話になるからねー、ちゃんと直してもらわないと。」


そのまま彼がヘルメットに両手をかけた時。
後ろにいた彼女が、不意に声を掛けた。







「………ケイちゃん、ごめんね。」







その直後、彼の意識は途切れた。




479: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:43:46.33 ID:SjIp+ZP90

目を覚ますと、見知らぬ部屋に彼はいた。


嗅ぎ慣れない匂い、どこか埃っぽくもある。
それがよくあるレイアウトの洋室だと気づいた時、彼は自身の身に起こった異変を理解した。


“縛られてる…!?”


手足の自由は奪われ、ベッドに縛り付けられている。
口には猿轡、唯一自由の利く視界は、必死に状況を整理しようと、薄暗い部屋のあちこちへ視線を動かし。

そしてこちらを見つめる、生臭さすら感じるじっとりとした視線に気付く。


“ユウ、さん……?”


「やっと起きたー?もうお昼近くになっちゃうよー。
ふふ、ケイちゃん…ここ、どこかわかるかなあ?」


そう質問を投げかけながら、彼女は彼に絡みつくように圧し掛かる。
優しく撫でてくる手と、彼女の甘い香り。その感覚の中、おぞましい感覚が彼を襲った。



首筋にべろりと、彼女の舌が這わされたのだ。



480: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:46:39.33 ID:SjIp+ZP90
「ふふふ…おいしいねー……もうさ、誰も邪魔なんかしないんだよ?
ねえケイちゃん…ここはさ、アタシの実家なんだ。それで、これからケイちゃんの家でもあるの。

ねえ……アタシが誰か、わかる?」


唐突に投げかけられた質問は、彼の混乱をより深くしていく。
目の前にいるのは、最愛の人に違いない。
だが、今はまるで別人のようにも見える。

そんな彼の姿を愉しむように、彼女は艶めかしい笑みを一層深くした。


「ま、忘れちゃっててもしょうがないよね…何年前だって話でさー。
……ねえ。アタシの苗字、教えてあげるよ。『岩代』って言うんだー……。」
「……!?」


その直後、彼女は自らの結ばれた髪にナイフを入れた。
左右のもみあげが結び目から切られ、そしてトレードマークだった三つ編みも、乱暴に切り落とされる。

先ほど告げられた名前と、そこに出来上がった彼女の姿。
それは衝撃的な現実を、彼へと突きつける。


「あの頃のアタシ、ミディアムだったもんねー……どう、思い出した?
ひどいよケイちゃーん…結婚するんだーなんて言っといて、ずっと気付いてくれないんだもーん。

あはは、お父さんもお母さんもコウちゃんも、君が見た通りみんな死んじゃったよ?
でもアタシは……ずっと、ずーーーっと……君のそばにいたんだー…。

『久しぶり』だね、ケイちゃん。アタシはユウ姉ちゃんだよー?



君の幼馴染の。」




馬乗りでそう笑う彼女は、彼ですら見た事のない笑顔を浮かべていた。





481: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:47:36.08 ID:SjIp+ZP90

彼女は息を切らし、はだけた服から覗くのは、いつか見た深く長い傷。
初めて間近で見たそれは、柔肌には全く似合わない、余りにも痛々しい赤みを呈していた。

そうして恐怖と驚愕に打ち震える様を見て。
彼女の目は一層ぎょん、と見開かれ。
ギラギラとした瞳孔は、さらに吊り上がる口元と相まって、宿された狂気を何一つ隠す事を拒絶する。



「ふふふ…びっくりしてる?そんな顔もかわいいねー…」



一転し優し笑みを彼に向けると
頬を撫で、馬乗りのまま、肩が軋まんばかりに強く彼を抱きしめた。



「離してほしい?ダメだよー、ケイちゃん……」



そして彼女は。


彼の耳元で、こう甘く囁く。


482: ◆FlW2v5zETA 2017/02/15(水) 06:48:18.05 ID:SjIp+ZP90












「離さない。」










491: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 03:46:08.13 ID:qVzOFIDxO
とある3月の事だ。
夏場はバーベキューや釣り客で賑わうこの川原も、この時期は人も疎らになる。

そこである女が、一斗缶に火を起こしていた。

炎はパチパチと音を立てるが、そこにはまだ薪以外は何も無い。
暖を取ると言った様子でも無く、女は火が強くなるのをただ待っているようだ。

そうして炎を眺めていると、女の脳裏には、いつか見たとある映画の光景が浮かぶ。
それは登場人物の、ペット商にしてサイコパスの老人が、殺して解体した人間の骨を火にくべるシーン。

確か老人は、「元気でなー!」と言って骨を投げ入れていたか。
そのシーンを思い出し、同じ事を呟きそうになるものの、彼女はそれをグッとこらえていた。


本当の別れの言葉は、まだ早いのだから。


これはあくまで下準備なのだ。
誰かを殺して火にくべる訳じゃなし。要らないものを燃やして処分する、ただの断捨離に過ぎない。
だが、愛着のあるものを処分するのは、些か気合がいるものだ。
そうだ、こんな時は自分を奮い立たせねば。

そう思い、彼女は歌を口ずさむ。
これは必要な事なのだと、己に言い聞かせる為に。

袋の中にはゴミ。きっとよく燃えるであろう、フェルトで出来たゴミだ。
それを取り出し炎に投げ込むと、彼女の歌は、丁度サビへと入っていた。


「だけどさいごがきたときにねー♪もうこれでおわりというときはねー♪」


パチパチと焼かれていくのは、人を模った2つのゴミ。
それは何故か髪の燃えるような異臭を放つが、焼かれているのは、ただのぬいぐるみに過ぎない。

だが、楽しげな歌声に反して。
それを見つめる彼女の目には、悲壮な決意が浮かんでいた。

492: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 03:47:55.76 ID:qVzOFIDxO

「メロンちゃん、ラーメン食い行かへん?」


北上達が出発した日の事、龍驤は夕張にこんな誘いをかけていた。

彼女は全てを察していたが、そこに敢えて触れずにいた。
夕張が話せるようになるまでは、少しでも励ましてやりたいと。そう思っての、外出の誘いだった。

元気よく行きます!と答えはしたものの、夕張の目は、やはりどこか空虚だ。
それを切なげに見守りつつ、龍驤は駐車場へと夕張を招く。

真昼の駐車場は、よく日が当たる。
春の陽気に目を細めつつ、二人は龍驤の車が停められている区画へと向かう。

その時の事だ。
ふと遠くを見た龍驤が、何故か違和感を感じていたのは。


「んー?なあメロンちゃん、何か変やない?」
「どうかしました?」
「いや、何か足りひんなぁって…まぁ今実家行っとる子も多いし、車出てるせいやと思うけど…。
……ん?なあなあ、北上の車ってどこ停めてあったっけ?」
「確か…あの奥の区画でしたね。日が当たると車暑くなるからー、って、わざわざあそこ選んだんですよ。」
「……!?」


指差された方角を目にした時、龍驤に電流が走った。
龍驤は奥の方へ駆け出し、慌てて夕張もそこに着いていく。
一体どうしたのか?
ある程度奥へ近付くと、龍驤は急に立ち止まり、そして唖然とした顔を浮かべていた。


「急にどうしたんですか?」
「………なぁ。何で北上の車、無いん?」


そこで彼女が目にしたのは、北上と書かれた看板だけを残す、空の区画のみ。
龍驤を襲っていた嫌な予感は、この時確信へと変わった。

彼女は、駐車場の管理棟へと走る。

493: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 03:49:43.66 ID:qVzOFIDxO
「おっちゃん!」
「おーどうした龍驤さん?」
「何で北上の車無いん!?あいつ何か申告してた!?」
「えーとね、確か…ああ、昨日しばらく修理に出すから、区画空くって言ってたよ。」
「……龍驤さん、どうしたんですか?」
「メロンちゃん…買うたのあの中古車屋やんな?修理工場もやっとる。」
「ええ、そうですけど…。」
「すぐ電話や!あかん…やな予感するわ…!」

494: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 03:51:06.60 ID:qVzOFIDxO
「どうやった?」
「修理には出してないみたいですね…北上さん、あそこ以外お店は知らないはずですけど…。」

龍驤はその返答を聞くと、何かを考え始めた様子。
そして暫くした後、彼女は夕張に声を掛ける。


「執務室、行くで……マスターキー借りにな。」


龍驤の乱暴なノックの後、返事を待たず、だがゆっくりと執務室のドアが開けられる。
提督はそのただならぬ様子を見て、平時は見せない鋭い目を彼女達に向けていた。


「提督、寮のマスターキー貸してや。」
「どうしたよ?誰か倒れたのか?」
「ちゃうけどな…確かめなあかん事がある。北上の部屋や。」
「……持ってけ。」


提督は深く追求せず、あっさりと鍵を龍驤へ手渡した。
その際交わる二人の視線は、互いに何かを察し合っていたようだ。

ただならぬ事が起きているという、その事実を。

495: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 03:52:56.58 ID:qVzOFIDxO

「おおきに。……後で話あるわ、また鍵返す時にな。」


動転した様子の夕張を尻目に、つかつかと廊下を進み、龍驤は北上の部屋の前へと辿り着いた。
きい、と開けられた扉の向こうは、至って普通の部屋。
夕張の制止も聞かず、彼女はそこの一つ一つの棚を開けて行く。


“……随分古い薬やな。処方は…あの件のしばらく後か。
ソラナックスにワイパックス……精神安定剤ばっかや。あいつ、出されたもん飲まへんかったんか…ん?”


出て来た古い薬の袋を見ていた時、彼女はある事に気付いた。
一錠も開けられていない精神安定剤の束の中。
その症状であれば、恐らくは大半の場合一緒に処方される薬が無い事に。


“眠剤が無い……それだけ使うたとは考えにくいな。
それに、何でこんな古いもん棚の手前にあんねや…最近出したっちゅうこっちゃな。”


続いてゴミ箱を見るが、こちらに目ぼしい物はない。
だが不自然だ。ゴミ出しの日は4日前、しかしゴミ箱は全くの空。
旅の準備をしていたのならば、相応にラベルやビニール等のゴミも出ていてもおかしくはない。


「龍驤さん!あれ…」


夕張の大声に振り返ると、彼女は震えながら、壁の方を指差していた。
そこにはデジタルのダーツ盤と、何本も矢の刺さった一枚の写真。


そこに写っていた者は……


「どういうこっちゃ……あいつ、何で………!!」


496: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 03:55:04.86 ID:qVzOFIDxO

場所は再び、執務室。

提督と二人は、真剣な面持ちで向かい合っていた。
現在起こっている可能性と対策、それについて話し合いをする為だ。


「ケイが拐われた可能性がある…ねえ。」
「既読も付かんし、電話も出えへん。メロンちゃんがやっても同じや……北上も、同じくな。」
「なるほどな…証拠は無いが、部屋の様子を聞く限り、何かあったと見て間違いねえだろうな。」


そして提督は、おもむろに金庫へと向かう。
中から取り出されたのは、大型のジュラルミンケース。
指紋認証で鍵を開け、彼はそこからある物を取り出す。


「一応持ってけ、お前らの缶だ。こいつだけでも、身体強化とバリア張るぐらいは出来る。
さすがに生身の女の子じゃ危険だからな。処分が重てえから、内緒にしてくれよ?」
「提督…信じてくれるんですか!」
「トラブルを未然に防ぐのもまた、運営だ。
早とちりならそれで済む、気がすむまで行ってこい。」
「ありがとうございます…!」
「おおきにな……メロンちゃん、少し外してもろうてええ?提督と話しある。
連絡するさかい、あとでうちの部屋来てや。」


夕張に退室を促し、執務室には二人きり。
龍驤は口火を切るように、まず先手を打った。


497: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 04:00:15.95 ID:qVzOFIDxO

「“アッちゃん”…どこまで知っとった?キミなら転居歴から出生地、全部見る権限持っとるはずや。
あの二人が近所だった事ぐらい、知るには造作も無いやろ。」
「北上の異動の話からだな…他にも家族構成や歳、その辺のデータとケイの話照らし合わせりゃ、まず間違いねえと思ったよ。」
「……北上が、ケイ坊に執着しとったんも全部か?なんかやらかす可能性も?」
「ああ。使えると思ってな。
憎悪と守るべき者ってなぁ、戦場に於いては兵士の最高のスパイスだろ?
あいつぁ恨みもあって、ケイを守りたいとも思ってた。そんでケイもああだ。
あいつらはよく働いてくれたよ…お陰でこの戦争は勝てた。」
「じゃあキミは、全部わかってて放っといたんか…。」
「ご名答!北上は暴走を制御さえ出来れば、最強の駒だ!そしてストッパーたるケイも同じく、最高の整備でもってそれをサポートしてくれる…。
そこで駄目押しの夕張だぁ…ケイの事好きだったのは予想外だったがよ。
良い具合にあいつは、あの二人を掻き回してくれたよ……ギリギリでこそ、兵はより強くなるってなぁ!
へへ…そいつをwin-winって言わねえで、何て言うんだよ?」
「……………っ!」


直後、彼の胸元は軋みを上げた。
下から伸びる手はギリギリと襟を締め上げ、彼の頭を否応無く下へと下げる。

その先にいた龍驤は、戦場以上に獰猛な目を浮かべていた。

498: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 04:01:47.99 ID:qVzOFIDxO

「歯ぁ喰い縛らんかいこんのクソボケェ!!歩けんようなるまでどつき回したるわ!!
うちが何も知らん思うとるんか……そんなに奥方と子供殺したあいつらが憎いんか!?あの子らの人生利用してでも!!おお!?」
「………っ!?」
「………これでも陸じゃ、24で軍曹まで行った女や。
キミの奥方については、ツテで調べは付いとる…悪いとは思ったがな。」
「ちっ……バレてたのかよ…。」
「そらキミも、すんなりこの件受け入れるわな…後ろめたい思わんような奴やったら、こんな世迷言に許可なんか出さへんやろ。」
「……知らねえな。俺は至って冷酷無比な司令官様だ。
残念ながら、俺はこう言う奴だ。そして今回の部下の不祥事は、全身全霊を以て誰一人お咎め無しなぐらい揉み消さなきゃならねえ……俺の出世の為にな。」
「………預けとるうちの拳銃、寄越し。キミの分もや。」
「何でだよ?」
「メロンちゃんに貸す為や……それと、司令官の自害防止の為な。」
「……….チッ…。」
「何年キミの秘書艦やっとる思うてんねん…少なくとも、ここじゃ一番キミの事は知っとる。
…今回の戦争、ムカつく事に最終ん時は、キミは選抜指揮官の一人やった……要は、それだけこの国の海軍にとっては英雄や。
そんなんが遺書遺して、拳銃自殺しての嘆願。
マスコミにバレたらヤバいし、流石の上も動くやろな……まぁ、確かに揉み消しとしちゃ手っ取り早い…。
大方根回しするだけして、ことの顛末見届けたら、ズドンと逝く気やったんやろ?

…せやけどな。」


その直後の事だ。
彼の唇に、龍驤の唇が重ねられたのは。

呆気に取られた彼を無視するように、龍驤は言葉を続ける。

499: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 04:04:12.05 ID:qVzOFIDxO

「…ほんまに申し訳ない思うんやったら、生き延びて償い。理由はどうあれ、あの子らの司令官はキミしかおらんねん。
あの子らもうちも、キミに着いて来たから勝てた…死んだら皆泣くわ。キミも生き残ってこそ、ほんまの終戦やないか。

…うちはあの時、北上の命しか助けてやれへんかった。
その後ここで会った子達も、大なり小なり抱えとってな。助けになってやれたんかは、今も分からん。
それでもうちは…あの子らが進む為の踏み台ぐらいには、なるつもりでおるよ。キミも含めてな。

……一人じゃ時計の針進められへんねやったら、うちも一緒に押したる。一緒に生きよ。」
「………“アカネ”。へっ…わあったよ。ちょっと待ってろ。」


再び開けられた金庫から銃を取り出し、提督はそれを龍驤へと手渡した。
そして部屋を出て行こうとした彼女は振り返り、とある物を提督へと投げ付けた。

それは彼女にとって、とても大切な物。
だが、もう手放さなければいけない物だった。

これは彼女なりの、決意表明だ。


「……こいつは、カッコカリの指輪か?」
「せや。うちがいつも中指にしとるやつ。カッコカリなら中指でええやろ思うてな。
……薬指は昔から、ずーっと空けとるでな。じゃ。」


そう去り際に左の薬指を立て、子供のように龍驤は笑った。
そして提督は一人椅子に座り、こうひとりごちたと言う。





「………いやぁ、良い女だわあいつ。」





500: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 04:08:28.84 ID:qVzOFIDxO
龍驤の自室にて、彼女達は出発の準備をしていた。

龍驤が夕張を部屋に呼んだ理由は、装備を貸す為だ。
この先何が起こるか分からない。
そしてとある危険要素についても、龍驤は確信を持っているが故の準備。

龍驤個人で集めた、潜入活動に必要な道具の数々。
それを夕張に渡し、自らも同じ物を身に付けていた。


「缶だけで出来るのは、あくまで身体強化と防御壁だけや……それに、北上も持っとると見てええ。」
「え!?提督が管理してるのに、どうやって…。」
「他所の北上が、缶沈めた件あったやろ?アレ探すんうちらも手伝ったけど、そん時あいつもおったんや。見付けて隠してたんやろ。
180近くあるケイ坊を、そんなデカないあいつが一人で拐える思うか?缶の強化使うて、上手い事やったと見て間違いないやろな。
…あいつの練度やったら、本気出せばコンクリぐらいはブチ抜けるかも知れへん。そこで一応、こいつを持ってきた。」

501: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 04:12:01.41 ID:qVzOFIDxO
「拳銃、ですか…。」
「せや。モノ自体は普通の9mmやけど…弾がちと特殊でな。
メロンちゃん…対艦娘用兵器の噂、聞いた事ない?」
「ええ、眉唾だとばかり思ってましたけど、粛清用の兵器があるって…。」
「それがこいつや。これは司令官クラスと、一部の軍人上がりの艦娘にしか支給されとらん。
こいつは艦娘の装備と違って、深海の弾を参考に作られとる。あいつらのより強力に、確実に艦娘ブチ抜けるようにな。
…ドカンとは行かんけど、ヘッドショットぐらいは決めれるわ。」
「なんでそんな物が……。」
「……国も四の五の言うとる場合やなかったっちゅうこっちゃ。
艦娘については、適正さえあれば原則前歴は不問…中には殺し目当てのサイコパスや、戸籍ごまかしとるスパイやテロリストが混ざっとる可能性もある。
もしそう言う奴がおって暴走した場合、歯止めが必要やってな…まさか今んなって持ってくとは、思わんかったけど。
…メロンちゃん、一丁はキミに貸す。」
「…………!!」


手渡された銃は、実際よりも遥かに重く感じられた。

もしもの際、自分に撃てるのか?
その自問自答は、彼女を駆け抜けて行く。

安全装置を掛け、すぐにポシェットへと銃をしまった。
どうかこれを使う事がないよう、ひたすらに祈りながら。


「メロンちゃん、キミの車借りるわ。
さっき提督からパスもろうてGPS探してみたけど、二人の携帯、あの街へのルートで止まっとる。
途中でどっかに隠したんやろな、100%あっこで間違いない。
あっこは今警察もロクにおらんし、人攫いには持ってこいや…いざって時は、ダート突っ切るで。」


車は唸りを上げ、あの街へ向けて走り出した。
彼女達の、最後の戦場へと向かって。

そこに何が待つのか。
暗闇の奥へと突っ込むかのように、車は高速を駆け抜けて行った。

502: ◆FlW2v5zETA 2017/02/25(土) 04:14:06.28 ID:qVzOFIDxO
LEDのランタンが、嫌にギラつく部屋。
そこでずっと、ベッドに縛り付けた彼を見つめていた。

随分怯えてるね……そりゃそうかー。
でも大丈夫だよ…怖くないからね……ふふ、かわいいねぇ…。
アタシは動けない彼の髪を優しく撫でて、その感触を楽しんでいた。


「ケイちゃーん、喉乾いたっしょ?水飲ませてあげるよ…。」


猿轡を外すのは、一瞬だけ。言葉なんか出させない。
口に含んだ水を、キスで無理矢理彼の口へ流し込む。ついでにアレも。

散々舌を入れて、だけど彼が絡めてくる事は無くて。
次第に薬で意識が遠退いていったのか、彼は眠っていた。

水と薬を飲ませた時。
怖いのか悲しいのか、ケイちゃんはよく分からない目をしていた。

いいよ、その顔だよ…もっと見せてよ。それでいいんだ。
ふふ……そろそろ夕張ちゃんあたり、気付くかなぁ?多少ヒントは残してきたもん。

そう、これでいいんだ……アタシの最後の戦争を終わらせるのに、必要な事。
敵はずっと、いつでも近くにいたんだから。


アタシは負けない。
これは、その為の戦いなんだ。


夕張ちゃん、早くおいでよ……ふふ、楽しみだなー…。
ふふふふふふふふふ……。


513: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 01:55:01.40 ID:R10vLyUC0

ぎりぎりと首を絞めたり、ナイフを突き立てたり。
その度に彼の口や刺し傷から、真っ赤な血がこぼれていく。

最後はいつも、同じなんだ。
同じ事をアタシにして。幸せで、満たされて。
笑いながら事切れる、その瞬間だ。


たまにそんな夢を見た時、必ずそこで目が覚める。


目を開ければ慣れたベッドと、冬の朝の寒さと。それと、嫌に火照った体。
あーあ。そっか、まだ2月か。そりゃ寒いよね。
それでふと違和感を感じたアタシは、そいつの正体に気付くんだ。


“げ…濡れてんじゃん…。”


あの夢を見た後は、大体こうなんだ。我ながらこの瞬間は、いつも死にたくなる。
パンツを履き替えて、歯を磨いて。今日は休みで…ああ、何も予定入れてないや。
ケイちゃんも夕張ちゃんも、ましてや遠くの大井っちも、今日は誰も空いてない。

本当に、何もない休日だ。

食堂も顔出す気しないし、買って置いたパンしか食べたくない。
ゴロゴロして、何となく点けたテレビはつまらない情報番組。
誰かが不倫しただの、どっかで人殺しがどうだの、ボーッとそれを流し見してたら、とある特集に切り替わって。


それは、アタシの目を釘付けにした。

514: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 01:56:52.34 ID:R10vLyUC0

“あれから3年半、深海棲艦襲撃事件の生存者の今を追う…えぐいねー、感動ポルノって奴?”


はっきり言って、そんな特集を組むテレビにヘドが出た。

でも頭では皮肉を吐いても、アタシはそこから目を逸らせなくて。
大方、アタシと同じくあの地獄を潜った人なんて、ロクな生き方しちゃいないだろうと。そうタカをくくってインタビューを観ていた。

出てきたのは、アタシと変わらないぐらいの女の子だ。
年頃の女の子らしい服を着ていて、口元しか映らない顔でも、アタシより可愛い子だって事ぐらいは分かって。

だけど鎖骨や頬には、アタシよりもずっと目立つ傷。
奴らの爪痕だって、同じような傷のあるアタシにはすぐ分かった。


「家族はみんな亡くなって…辛い事や思い出したくない事は沢山ありますけど、今はやっと、前を向いて生きていける気がします。
今は自分の花屋を開くって夢に向かって勉強をしていて…。」


ボイスチェンジャー越しでもわかる、はっきりとした意志。
お花屋さんで働いて、毎日笑顔を見せて。
今は新しい街にも馴染んで、優しい彼氏だっているんだって。

それは同じ境遇のアタシとは、似ても似つかない生活だった。

肩の傷がズキズキと疼いて、涙が出た。
だけどそいつは痛みや感動なんかじゃなくて、もっと下卑た涙だ。

…分かってるよ。どんな目に遭ったって、まともな奴はまともだって。
アタシの頭がおかしいだけなんだ。そばにいてくれる彼やみんなにこんな気持ちを持つアタシは、狂ってるんだって。
テレビのその子と自分を比べては、惨めで不様で、涙が止まらなかった。

艦娘ってさ、バケモノって言われる事もあるんだって。
そりゃそうだね、ヒトを超えた力を手にしたヒト。そんなのなんて、バケモノか。

でもアタシなんて、艦娘じゃなくたってもうバケモノだ。
人でなしって、そういう事じゃんか。

心が人間やめてたら、もうそれはバケモノじゃんか。




だからアタシは、『その時』が来たら____




515: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 01:58:27.90 ID:R10vLyUC0

手首はベッドに。
足はガムテープでぐるぐる巻きにして。

アタシは今、実家のベッドに一番欲しかったものを縛り付けている。

ああ、アタシ、また寝ちゃってたんだ…でもしょうがないよ、あったかいんだもん。
肩の傷だって、こうして寄り添っていれば疼いたりしない。


「ケイちゃん…起きたら、またお話してあげるよ……。」


昔出された睡眠薬が、今役に立つなんて思わなかった。

あの時主治医さんに紹介されて、一度だけ強引に行かされた心療内科。
カウンセリング受けて、薬も沢山出されたけどさ…どれもアタシには、必要無かった。

心配しなくても、手首なんて切らないよ。この肩の傷があるから。
わざわざそんなとこ切らなくたって、嫌でも生きてるって思い知らされるんだ。

あ、起きたんだ?
じゃあ、お話をしてあげるよ。


「お薬、まだちょっと効いてるみたいだねー…じゃあ目が覚めるまで、ゆっくり聞いててよ。

ケイちゃんさー、アタシが着任した時の事覚えてる?
アタシはすぐに君だって分かったんだ…ふふ、どれだけ大っきくなっても、ケイちゃんはケイちゃんだもん。

でも最初、君怖かったよー?嚙み殺しそうな目って言うのかな、ずっとそんなんでさ。
アタシ、すごいショックだったんだー…子供の頃のさ、可愛いイメージのまんまだったから。

…ねえねえ、子供の頃って言えばさ、君はアタシに言ったよね?
“大人になったら、ユウ姉ちゃんと結婚するんだ”って……ゆびきりげんまん、したよね?

アタシ達、もう大人だよ?ふふ……。」


ベッドに縛り付けたのは、手首。指は緩く握られたまま。
アタシはそこにナイフの柄を握らせて、丁度刃がこっちを向くようにして。
自分の手で、彼の手を無理矢理固定させた。

516: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 02:00:08.93 ID:R10vLyUC0

「ねぇ……何すると思う?それこそさー、高い指輪なんかより、もっと価値のある事だよ。
ほら、嫌がっちゃダメ…落としちゃダメだよ?君の手で、アタシに刻んでよ…。」


固定させたナイフに、そっと手の甲側を近付ける。
アタシはその刃先に左の薬指を這わせて、付け根に横一文字に、赤い切り傷が入った。

薄い傷。
だけどズキズキと痛む、確かな傷。
それは丁度表からは、指輪みたいな筋を描いていて。

アタシは、それを思い切り彼に見せ付けた。


「えへへ…結婚指輪だよね。あ、でもアタシだけだから、これじゃまだ婚約指輪かー……ねえ、アタシからもあげるよ。」


握らせたナイフを奪って、今度はケイちゃんの左手を力づくで押さえ付けた。
アタシぐらい慣れちゃえば、缶を使ってても、力加減は朝飯前。
例えば今なら…そうだね、格闘家に無理矢理押さえ付けられてるぐらいの加減かなぁ。

だから君は、アタシからは逃げられないんだ。
ほら、大丈夫だよ…そんなに痛くしないからさ……。

一瞬びくりと手が動いた頃には、もうアタシと同じ傷が引かれていた。
お揃いの、真っ赤な指輪。じわじわと滲んでいた血は、気付いたら随分と、ポタポタと真っ赤に垂れ流されていた。

彼の左手から流れるものと、押さえ付けるアタシの左手から流れるもの。
それが混じり合って、左手同士は血で繋がって…ああ、赤い糸って、きっとこう言う事なんだ。

その瞬間、ぞくりとした熱が脊髄を駆け抜けたのを、アタシは強く感じていた。


……ふふ、気持ち悪い女だねー、アタシは。


517: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 02:01:33.06 ID:R10vLyUC0

「……みんなの最期、教えてあげるね。
下の壁が赤かったのはねー…お父さんとお母さんが、半分吹っ飛んでへばり付いた跡なの。
コウちゃんはアタシを守ろうとして…頭、ほとんど吹っ飛ばされちゃったんだー…それもあの壁に飛び散ったと思う。

霊安室で対面したらさ…ゴミみたいに死体袋に入ってて、すごい冷たかった。
ずっと冷たいし、痛いんだよ……ほら、本当のアタシを見せてあげる。」


はだけた上の服を脱いで、ブラも外して。
『こいつ』を覆い隠すものは、もう何も無い。

下着着けとくだけでも、ぱっと見の印象は違うんだ。
それでも人からしたら不細工なものだろうけど、まだ多少のごまかしは効く。
でも上裸になれば、もうそんなまやかしも効かない。
彼の前に晒されたアタシの傷は、一体どんな風に見えているんだろう。

ケイちゃんの目から、薄く涙が伝って行くのが見えた。
……きっと、怖いんだろうな。

アタシはそれを、ぺろりと舐め取って。それすら自分の肌より暖かく感じて。
縋り付くように、彼の胸元にのしかかる。


「………大好きだよ、ケイちゃん。もう、離さないから。」


のしかかったまま、胸元に彼の頭を抱く。
否応無しに彼の頬に傷も触れて、それは一体どんな感触なんだろう。
このケロイドの感触は、バケモノに抱かれているような心地なんだろうか。

興奮も欲望も、彼が抱いている気配は無い。
ただ、アタシの胸元を濡らす涙の感触が。




あったかくて、とても痛かった。




518: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 02:03:37.91 ID:R10vLyUC0

もう何時間、車は走ったのだろうか。

見た事の無い、遠くに海の見える景色。
そこを突っ切るのは、一台の軽のジープだ。

ICを降り、更に20km程向かった先。
そこに向かう過程で、夕張達の目にはとある看板が飛び込んで来た。


「この先40km間コンビニ無し、20km先公衆トイレあり…龍驤さん、これって…。」
「…そいつが、この街への入り口っちゅうこっちゃ。誰も住んどらん以上、店作ってもしゃあないからな。
ここでマトモに復興が成されたのは、せいぜい線路と国道だけや。あとは自販とトイレしか無い。」
「建物、まだ綺麗なのが沢山あるのに…。」
「ここは入り口やからな。あの件の被害食ったんは、もうちょい先や。
被害地域から近いこの辺の住人も、気味悪がって殆ど引っ越してもうたらしいな。」


道行く車以外無人の街は、異様な不気味さと寂寥感を放っていた。
そして車が進むにつれ、徐々に焼けていたり、穴の空いた建物が見え始める。


その光景に、夕張は息を呑んでいた。

519: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 02:05:22.22 ID:R10vLyUC0

「……メロンちゃん、ここはまだ序の口や。
そろそろ曲がる。そしたらほんまの修羅場や。」


国道から住宅地へと曲がり、そこには多数の廃墟が広がっていた。

先ほど以上に傷んだ家が多く、どこも玄関先には真新しい花や、腐って風化した花。
それらの供え物の多さが、この街でどれだけの命が奪われて行ったのかを、雄弁に物語っていた。


「うちの部隊が救助向かった時な、そこらに死体が転がっとったよ。
肩から上ない女の子、無駄に噛み砕かれたおっさん…でもあいつら、人肉食自体はせえへん。

何でそないな事したか言うたら…鹵獲した奴尋問したら、答えたわ。楽しいからやて。
勝って終戦こそしたけど、今でもハラワタ煮えくり返るわ…まぁ、あくまで『戦争に勝っただけ』やしな。
奪われたモンや遺されたモンの心は、何も癒えとらん。北上がええ例や。」
「…私が北上さんと同じ境遇だったら、同じ事をしてたかもしれません。
まともでいられる自信は…私も、ありませんから。」
「…………ああ、うちもや。
あいつの部屋にあった写真、見たやろ?今も苦しんどるんかもしれんな。」


北上の部屋にあった、大量のダーツが刺さった写真。

それを見た時。夕張の脳裏には、彼女と北上が共通して好きな、とあるバンドの楽曲が過っていた。
そして北上の意思も、何となくではあるが、彼女はそれらから感じ取っていた。


北上の真の狙いは、恐らく今起こっている事態の先にあると。
520: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 02:06:58.11 ID:R10vLyUC0

「メロンちゃん。今更やけど、車で待機しとくって手もあるんやで?制圧やったら、うちは陸ん時散々訓練したさかい。
…ほんまにあかん時は、タマの奪り合いも有り得る。キミの身まで危険に晒す事は無い。」
「龍驤さん…私、前話しましたよね。決めた事があるって。」
「……ああ、キミらしいな思うたわ。」
「今が……今がきっと、その時だと思います。

私、実はケイくんに改めて告白して…振られたんです。
結末は出ちゃったけど…これだけは、変えられません。」


この時龍驤の脳裏に、あの日夕張が語った決意が蘇っていた。
その言葉と共に、彼女が見せた笑顔も。




“でも、ケイくんは私の大切な人で…北上さんは、私の大切な友達で。


だから結果がどうあれ、私は___


___二人が苦しむのなら、どちらも助けたいって思います。仲間ですから。”





「そか…なら、うちも全力でサポートしたる。アホの子のケツ、叩き直しに行こか!」


龍驤はアクセルをより深く踏み、車は遂に、目的地まであと5kmを切った。
エンジンは唸りを上げ、先へ先へと向かって行く。


私達はここにいると、遠くまでその存在を誇示するかのように。



521: ◆FlW2v5zETA 2017/03/03(金) 02:08:14.29 ID:R10vLyUC0


………音がするね。聞いた事ある音だ。
待ってたよー、遅いじゃん…ずっと待ってたんだからさ…。

ケイちゃんはまた眠らせて、今度は簀巻きにした。
準備はよし、装備だって万全だよ。

役者が揃わないと、お話は進まないもん。

ははは…いいねえ、しびれるねえ。
滾っちゃうよ……今までの戦場の中で、一番燃えちゃうかもしんない。

ほら、音がどんどんでかくなってくよ…この音が止まったら、それが合図。



止まった。



車のドアの音、足音は…二つか。誰か味方連れて来たかな?
まーいいや、知ったこっちゃない。


夕張ちゃん…たくさん遊ぼうよ……ふふ…あはははははははははは!!!!



さあ…ギッタギタにしてあげましょうかねぇ!!


528: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:13:17.73 ID:B2GRHGId0

縛られた俺を見て、彼女は笑う。


頭が追い付かない。飲まされた薬が、抜けきらない。
記憶の中のあの子と、目の前のユウが繋がって、余計糸は絡まって行く。

晒された胸。この人には似合わない、痛々しい傷。
薬指の傷から流れる、赤い命。
混濁する意識の中で、一つだけ確かな感情が俺を突き抜けて行く。



悲しい。



俺は一体、この人の何を見ていたんだろう。
どれだけの苦しみを持って、北上としてのユウを演じて来たんだろう。


バカは俺だ。
何も癒してなんて、やれちゃいなかったんだ。


抱き締めてくる彼女の胸は、いつかのように優しくて。
だけど、触れる傷の感触は、何よりも痛々しくて。

それが悔しくて、笑顔が痛くて。


ただ、涙が止まらなかった。


529: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:17:02.71 ID:B2GRHGId0

「ここやな……メロンちゃん、降りる前に装備全確認。
ゴーグルとマスクはええな。作業着の下に着てもらったチョッキ、ちゃんと締まっとる?サバゲ用やけど、無いよりマシや。それと渡した7つ道具の場所も。
うちが先入るから、後を付いてくる事。ワンゾーン動く度合図出す、それまでは先に出んようにな。」
「はい…!」


彼女達は、遂に件の家に辿り着いた。

庭越しに見える、穴の開いたリビング。
そこにはケイの話通りの、赤茶けた壁が二人を出迎えている。
3年半が経過し、鮮血が退色した今尚も、その夥さだけは生々しいままだった。

ここで起きた惨劇を想像し、夕張は息を呑んでいた。


「一応言うとくけど、この家におるとは限らん。あいつの車見付けてへんからな。
まず、一番怪しいとこから探してくって寸法や…まぁ、おったらおったで、音でもう気付かれとるやろ。
メロンちゃん、降りる前にも一個確認や。こう言う片田舎の危険性、キミなら分かるやろ?」
「危険性…家庭の凶器ですか?」
「せや。斧にノコギリ、果てはチェーンソー。
田舎は武器になるもん置いとる家多いでな、缶の防御モードは常に入れとき。」
「…はい。」


缶の防御モードとは、使用者の任意により、全身を膜のように覆うバリアだ。
しかしそれも、完璧ではない。相手によっては切れたり貫かれたりはせずとも、殴られるのと同程度のダメージが来る事もある。
例えば、相手が同じく缶を使用している艦娘などであった場合だ。

龍驤の助言を受け、缶を入れたウェストポーチのベルトを、夕張は入念に締め直していた。
同時に、自身の心も改めて締めるように。


「準備はええか?車降りた瞬間行く。はい、3、2、1……GO!」


車のドアを開けると同時に、二人は真っ先に玄関へと駆け寄る。
まず龍驤が瞬時にトラップの有無を見極め、GOサインを出した瞬間、続いて階段を駆け上がった。

2階には、扉が3つ。
それらは左右に1対2で振られていたが、龍驤は迷わず右奥の部屋へと近付く。


“子供部屋やったら、まずベランダと反対側や…埃はこっちの方が動いとる、ここでクロやな。”


夕張にサインを出し、彼女を後ろへ付かせる。
龍驤の拳銃は、利き手に合わせ右腰のホルスターに。
左手がドアノブへと伸びる。ゆっくりと、音を立てぬようノブが回されて行く。
右手は拳銃に。そしてノブが回りきり、一気に扉が開かれた、次の瞬間。


「げっほっ!?」


二人を出迎えたのは攻撃ではなく、部屋中を覆い隠す色とりどりの煙。
その煙の中、奥の方にわずかに光が見えていた。窓だ。
幸いゴーグルは、二人の目だけは守っていた。その窓にうっすらと、人を担いだ影が見える。
髪をミディアムにまで切った、だが、見間違えようも無い影。


「北上さん…!」
「ふふ、夕張ちゃん…バーカ!!」


二人が窓の方に駆け出した時には、北上はケイを担いで飛び降りた後。
2階から飛び降りた勢いでそのまま隣家の屋根へ飛び乗り、北上はそのまま30mほど離れた家へと着地する。
そしてそこのガレージから、勢いよく白い車が飛び出して行く。
リモコンスターターにより、予めエンジンが掛けられていたのだ。


530: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:20:06.86 ID:B2GRHGId0

「クソがぁ!しくったわ!待ち伏せかいな!」
「龍驤さん、私達も!」
「いや……待ち。メロンちゃん、一旦車戻るで!作戦変更や!」


車に戻ると、龍驤はタブレットを取り出し、地図とネットを調べ始めた。
そしてとあるデータを見付けた際、彼女の中で目星は付いたらしい。
タブレットの画面には、近隣のある場所の地図が映し出されていた。


「しくってもうたな…完全にあいつん中じゃケイ坊監禁してゴールや思うとった。その前提で流れ考えてもうたわ。
でもさっきので一個分かったわ、あいつは追手が来る事を予期しとった……いや、むしろ迎え撃つ気で準備しとる。でなきゃあないな用意して、わざわざ待たへん。
ケイ坊拐ったんは、1番の目的やないかもしれへんな…。」
「……決着を、つける気なのかもしれません。」
「キミとか?」
「いえ……もしかしたら北上さんは、自分の________」
「……………!
……止めないかんな。それが当たりなら、最悪の結末や。
メロンちゃん。この地図の場所と、このブログ見てみ。 」


手渡されたタブレットには、とある工場見学についてのブログ。

そこには製品の味や、会社の住所等が書かれていた。
それは地図上の、今は名前の無い住所と符合している。


「『イワシロ水産』…これって!」
「会社のサイトはもう消えとるけど、あいつの親族の会社やろな。あいつの狙いがそうなら、ここに逃げたと見てええ。
そうと決まれば善は急げや……メロンちゃん、舌噛まんようにな。」
「え?龍驤さ…きゃあ!?」


エンジンが掛かると同時の猛烈なバックと、急ハンドルによる衝撃が夕張を襲う。
現在地と、目的地へ向かう為の方角は、龍驤の脳内で構築されているようだ。
最短ルート、そして現在車を取り巻く周囲の条件、それらを総合し、車が向かった先は。


「り、龍驤さん!あそこって…!」
「ポリ公も道路も無いわ!すまんなメロンちゃん!最短突っ切るで!」


車は更地を跳ね上がり隣の道へ出ては、更に次の更地へ滑り込み、次々ショートカットを決めて行く。
そして5分もしない内、遂にとある廃墟が彼女達の目に飛び込んで来た。

所々が崩れ、恐ろしげな雰囲気を纏う白い建造物。
道路に落ちた『イワシロ水産』と書かれた看板のみが、そこがかつて何の工場であったのかを物語っていた。


「……あった、あいつの車や。」
「龍驤さん、何を…。」
「念の為な。逃走防止や。」


煽るように、わざとらしく停められた北上の車を見付けると、龍驤はタイヤに深々とナイフを突き立てた。
敵の退路は絶った。少なくとも、これで自分達の車以外、ここに動ける車はもう存在しない。

龍驤は再度建物を見て、深々と溜息を吐いていた。


531: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:23:09.59 ID:B2GRHGId0

「この工場、結構でかいな…ちと、覚悟決めた方がええかもしれん。
なあ、例えば銀行みたいなデカいとこで立て篭もりあったとして、制圧作戦を立てるとする。そゆ時、何が必要になると思う?」
「制圧作戦……見取り図ですか?」
「せや。例えばこれが銀行強盗とかやったら、大元や系列店に頼んで見取り図もらって、どこから入るか、内部はどうなっとるか、そう言う算段も立てられる。
それこそ下水からの潜入や、窓からの状況確認と突入だって出来るわ。
でも今この状況は…なかなか危険やな。ここの内部データが何も無いし、知っとる奴もおらん。」
「………まずいですね。」
「厳密には、知っとる奴が一人おるがな……ほれ、あっこの壁んとこ見てみぃ。サッカーボール落ちとるやろ?あいつの弟、あそこ借りてよう練習しとったんやろ。
ここに越して来たん、6歳ごろらしいな。裏を返せば…その頃から、あいつの遊び場やったって事や。」
「じゃあ…北上さんは、内部を知り尽くしてるって事ですか…。」
「せや。今のうちらは、初見でバイオやるようなもんや。
実戦でも本来こう言う作戦は、先に偵察入れるけど……今のうちらは、二人っきりやで。」


先程以上の緊張感が、二人を襲う。

入り口はいくつもある。
搬入口、事務所経由の通路、倉庫への勝手口。
そして、施設内の区画もまた同じく。工場と倉庫、事務所からなるこの施設の、一体どこに潜んでいるのか。

二人はまず、一番隠れる場所の少なそうな事務所から入る事とした。

ガラス扉を開け、更に廊下の扉を開けると、広がるのは荒れ果てた薄暗い事務所だ。
いくつかの窓には穴が開き、壁には砲撃の跡。
机や書類には血痕が残っており、床には人が倒れていたであろう、大きな赤いシミがいくつかある。

事務所奥には社長室があり、ここで北上の祖父が仕事をしていたらしい。
机と椅子には、やはり血痕が残っていた。


「見取り図無いかな…ん?」


引き出しの中には、種類ごとにファイリングされた資料がある。
だが、『設備関係』とラベルの貼られたファイルのみ、中身は抜かれているようだ。

舌打ちをしてファイルを戻した時、龍驤はある事に気付く。


「なぁメロンちゃん、この短時間でここまで隠滅できると思う?普通こんな状況なら、ケイ坊隠す方優先するやろ。そう言えば北上の奴、冬休み何しとった?」
「旅行に行くって言って、3日ぐらい空けてましたね。」
「ここに来とったって事やな……。」


見取り図が手に入らない以上、ここにこれ以上用は無い。
扉を開け、再び事務所へと出た時の事だ。


「落ちとるのも納品書ばっか…ん、あの机、妙に綺麗やな?」


不自然に空いた机には、カサカサに枯れた花束と、紙が一枚置かれていた。
ざっと見た時、そこには見覚えのある字が、殴り書きで走っている。
そしてそれを手に取り、ちゃんと目を通した時。



二人を、衝撃が襲った。




532: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:25:21.31 ID:B2GRHGId0


『家に誰もいないここにおじいちゃんもいないタエのいえもよっちゃんのいえもだれもいないいないいないいないいないいないみんなどこいったのどこいったのどこいったのこわいよさびしいよみんなどこいったのたすけてたすけてこれおとうさんのつくえなんでおとうさんどこにもおかあさんもこうちゃんもいないのなんでなんでなんでだれもいないいないないどこいってもまっかまっかまっかまっかまっかまっかまっかみんなあいつらがみんなころしたんだころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてころしてやるみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな



けいちゃん たすけて』



533: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:27:41.12 ID:B2GRHGId0

「……………っ!」
「………メロンちゃん、フラッシュバックって知っとる?
例えば事故った場所行ったり、こっぴどい振られ方した相手とデートした場所行ったりした時、その時の恐怖心やトラウマが、一気に襲ってくる現象。

あの事件の生存者な、たった11人や……国の扱いじゃ、アレは災害やなくて、テロ事件みたいなもんでな。
軍が粗方片した後、警察の方で現場検証もやった……北上、親戚や友達の検死や現場検証も、立ち会わさせられたんかもな。

家にも花束落ちとったの見たわ。何軒か回る内にここにも花束供え来て、いよいよフラッシュバックが来たんやろ。
殴り書きして、正気保とうとしたんちゃうか。」
「龍驤さん、絶対に助けましょう……二人とも…!」
「分かっとるよ。次、行こか。」


二人は事務所を後にし、続いて工場へと足を踏み入れる。

異臭の漂う工場内は先程以上に薄暗く、すり身を作る機械やベルトコンベアが、時を止めたように佇んでいる。
人が隠れられそうなスペース、或いは人を隠せそうなスペースは多い。

大釜の中や通路の隅、怪しい場所を調べながら、二人は先へと進む。

途中には、段ボール梱包の機械。
コンベアに繋がる出口には、暖簾状にゴムが張られている。
そこを夕張が覗く。しかし何も無い。



そうして二人は先へ先へと進み、工場の奥へと差し掛かる時。


534: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:28:26.30 ID:B2GRHGId0








「…………みーつけたっ♪」







535: ◆FlW2v5zETA 2017/03/10(金) 08:30:40.54 ID:B2GRHGId0


「…!?メロンちゃん!後ろや!」
「え……!?」



ベルトコンベアを駆ける音が響き、振り返る頃にはもう背後までその影は迫っていた。

その正体は、北上。
その手には大型のハンマーが握られている。

これが通常の相手の攻撃なら、防御壁により、屁ほどでもないだろう。
だが相手は同じく缶により強化された人間、そして凶器は刃物ではなく、鈍器。
防御壁は爆撃や銃弾、刃物には強いが、それでも一定以上の衝撃は伝わる。

それが、通常なら頭が砕け散る一撃だとして。
例え防御壁越しでも、艦娘のその一撃は負傷の可能性を孕んでいる。


「メロンちゃん!!」


龍驤は銃を抜くが、ダメだ、間に合わない。
そして振りかぶられた鉄塊は夕張を目掛け。





『ごしゃ…!』





鈍い音が、薄闇の中に響き渡った。






542: ◆xu2VpOlD.6 2017/03/17(金) 06:59:12.95 ID:rK0IdAJTO

整備士になったばかりの頃、よく夢を見ていた。


それは、女の子が泣いている夢。
沢山の怪物に囲まれて、ただただ「[ピーーー]」と言われ続けていじめられている。

俺はそいつらを、作った兵器で片っ端から殺した。
それで全部殺した後、その子を慰めようとする。

だけどいつも最後は同じで。
その女の子は笑いながら、喉を描き切って死んでしまう。
そこで周りを見渡すと…あたりに散らばっている肉片は、怪物じゃなくて、全部その子のものなんだ。

そして自慢の兵器で俺は頭をブチ抜いて…そこで、目が覚める。


この夢を見なくなったのは、彼女に出会ってからだった。


543: ◆xu2VpOlD.6 2017/03/17(金) 07:00:27.14 ID:rK0IdAJTO
ずっと、姉ちゃんみたいなもんだと思ってた。
でもそれも、お互いの名前を呼ぶようになってから、少しずつ変わった。

笑えるようになったのも、人らしくいられるようになったのも。
全部、彼女のお陰だった。

整備士になって心から笑えた瞬間の殆どに、いつも彼女がいてくれた。
緊急救命装置を考えたのも、思い返せば、ふとあの笑顔を思い出した時だったっけ。


それは尊敬の念だと、思い込もうとした。
恩人だと、思い込もうとした。

でもこの感情は、そうじゃなかった。
これが恋だと気付くには、とても時間がかかったけれど。


あの夜の事だ。

彼女の傷を初めて目にした、あの夜の事。
初めて彼女の持つ暗闇を、目の当たりにした夜。

そばにいて欲しいと思う以上に。
幸せにしたいと、少しでも笑って欲しいと。そう思ったんだ。

いつもどこか無理にゆるく振舞って、笑っているような気がしてた。
それはきっと、間違いじゃなかったんだろう。


だけど俺は……それに気付くのが、あまりにも遅かったんだ。
すっかり成長した彼女の正体にすら、気付く事も無いままで。

俺は今、彼女に縛られて、どこかに監禁されている。



これは、愛だ恋だと感情を右往左往させていた分際で。
彼女から目を逸らし続けてきた、俺への罰なのだろう。


544: ◆xu2VpOlD.6 2017/03/17(金) 07:02:58.50 ID:rK0IdAJTO

ぽたり、ぽたりと、赤い液体が床に滴る。


それは北上の一撃が、夕張の頬を掠めた末の傷。
夕張の背後にあった機械は、その金属板を無惨にひしゃげさせていた。

数秒の静寂の後、かつん、と固い音。
折れたハンマーの頭が飛び、床に着地した音だった。

夕張の前には、吐息の掛かりそうな距離で北上の顔が。
その表情は、全てを覆い隠すような不気味な薄笑いを浮かべて。


「あーあ、やっぱこんなんじゃ折れちゃうかー…せっかくメロンジュースにでもしてやろうと思ったのにねー。
……待ってたよー、夕張ちゃん。あ・そ・ぼ?」


夕張は対照的に、傷も気にせず北上をキッと睨み付ける。
怒りと憐れみが入り混じったその視線に、北上はより愉悦の色を深くした。


「…ケイくんを、どこにやったんですか?」
「あはは、教えるわけないじゃん。悔しかったら探してみなよ!」
「待ちなさい!」


北上は踵を返し、再び薄闇の中へと駆け出して行く。
ここの死角は彼女の方が熟知している。素早く闇に紛れ見えなくなりかけた時、今度は反対側から銃声が響いた。

龍驤が、無言で闇の中へ引鉄を弾いていたのだ。


「龍驤、さん…。」
「……威嚇射撃や。銃声に反応した時、逃げる足音がデカなるのは本能的なモンやからな。炙り出しや。
逃げた方は…あっちか。あっこは多分、倉庫の方やな。」


指示に従いそちらの方へ歩くと、そこにあった機械に弾痕が一つ。
今まで実感が無かったが、その痕でようやく、自分や龍驤が持つ銃が本物である事を彼女は理解する。


“これは今までの兵器と違い、人が人を[ピーーー]為のものなのだ”


その実感を得た時、不意に掌が汗ばむ感覚を彼女は感じ取っていた。


545: ◆FlW2v5zETA 2017/03/17(金) 07:04:46.28 ID:rK0IdAJTO

“何とか撒いたね……拳銃かー、艦娘用の粛清兵器、実在してたんだね…。”


逃げ込んだ闇の中、北上は切れる息を必死に殺していた。

だが彼女の中では銃への恐怖心よりも、その期待の方が勝っている。
まさに用意したこの舞台に於いて、より良い演出の為の道具が現れた。そこに対して、彼女は釣り上がる頬を抑える事が出来ずにいた。


“ふふ、いいねー…いよいよそれっぽくなってきたよ…。
かかってきなよ…龍驤さんの事だもん、どーせあんたも持ってるっしょ?

夕張ちゃん………あんたには、主役になってもらうよ。”


機械の梯子を使いダクトに入り込むと、彼女はその中を匍匐前進で進んで行く。
その最中、彼女は次の場所で何をするべきか考えていた。


“でも、厄介者もいるねー…あの年増ロリ、アレでなかなか切れ者だもんね。”


北上の描くシナリオは、ある側面では予想を上回っている。
だが同時に、そこに厄介な邪魔者も増えた。

それを排除する為の予測と作戦。
この場所を知り尽くしている北上は、どうその障害を排除するかを、ゲームを楽しむかのようにニヤニヤと笑いながら想像していく。


“殺すのはダメ、一人でも観客が増えるなら越した事は無いもん……でも、観客はステージに乱入しちゃダメなんだよ?
龍驤さん……あんたには恩があるけど、観客に戻ってもらうよ。

アレは作戦に使うにはちょっとマヌケだけどさー…まー、紙吹雪ってやつ。”


ダクトの先は、かつて第一倉庫と呼ばれた場所へと続いている。
そこに大量のとある物が眠っている事を、北上は熟知していた。


546: ◆FlW2v5zETA 2017/03/17(金) 07:08:36.67 ID:rK0IdAJTO

夕張達が辿り着いたのは、広大な倉庫だった。
一段毎に荷役パレットに積まれた段ボールが、未だに堆く壁を成しているその場所は、何処からでも攻撃が来る危険性を感じさせる。

龍驤の銃は先程と違い、ホルスターではなく常時右手に。
一方夕張は、未だに銃を抜けずにいた。


「乾物も色々作っとったらしいな…メロンちゃん、警戒せえよ。どっから段ボールブチ抜いて来るかわからん。」


彼女達の足音は、抑えても固い床では否応無しに響く。

北上はその位置を探りながら、とある袋をナイフで開けては、ひたすら大型の段ボールに中身を入れていた。
北上は黒のセットアップを纏い、自身の姿を隠す為の対策は施していた。


彼女のいる場所は、夕張達からは見えない位置。
ましてや二人が予測するような、段ボールの陰ですらない。

龍驤は、艦娘としても提督代理を務められるスキルを持つ手練れだ。
戦況分析や咄嗟の判断力、そして陸軍時代にこなした数々の訓練。その存在は、夕張にとっては頼もしいものだろう。
それは北上にとっても例外ではなく、演習で敵に回った時は、出し抜かれる場面も多々あった。

だが北上は、こう考えていた。

“戦場に慣れている分、無意識のセオリーがあるはずだと。”

例えば直接攻撃、不意打ち。それらについては見抜かれる。
では、兵器でない物での攻撃はどうか?

缶の強化を得ている今の自分なら、この高さでも平気なはずだ。
飛び降りて一瞬、その隙を狙う。

北上がひたすらその何かを入れている段ボールには、こう書かれている。


『業務用薄切りかつお節1kg×20袋入』と。


北上は今、段ボールの山に隠れた、細く張り巡らされた中二階にいる。


547: ◆FlW2v5zETA 2017/03/17(金) 07:10:26.19 ID:rK0IdAJTO

「こっこだよー!バカどもー!」


二人がそこに振り向いた頃には、倉庫中に舞うかつお節が視界を塞いでいた。

その一瞬だ。迷わず龍驤に突進し、北上は彼女を突き飛ばす。
そして構えたサバイバルナイフは彼女の腹ではなく、そこに巻かれた物へと向かう。


「しもた!」


北上が切り裂いたのは、缶の入ったウェストポーチのベルトだった。
ウェストポーチは北上の手に渡り、そして缶の有効範囲から離れた龍驤は、その勢いのまま荷役パレットへと後頭部をぶつけた。

軽度の脳震盪が意識を揺らがせたその隙、北上は段ボールの山の裏側へと回り、勢いよくその山を蹴り倒す。

走馬灯のようにゆっくりと動く龍驤の視界。
降り注ぐ段ボールには、かつお節10kg入りの文字。それらの段ボール、そして木製の荷役パレットが大量に、彼女の小さな体へと降り注いだ。


「龍驤さあああん!!」


夕張の悲鳴が響くと同時に、どさどさと大量の段ボールが崩れる音が響き渡る。
その混乱の僅かな隙に、北上は奥の扉へと逃げた後だった。

二人が気付かなかった、外からは死角になる区画。第二倉庫と呼ばれる場所へと。


548: ◆FlW2v5zETA 2017/03/17(金) 07:15:08.34 ID:rK0IdAJTO
「龍驤さん!龍驤さん!」


崩落した段ボールに埋もれ、龍驤の体は見えない。
夕張が何度も必死に呼び掛けた末、聞こえたのは弱々しい声だった。


「いつつ………メロンちゃん、ここや……。」
「龍驤さん!…良かった!怪我はありませんか!?今助けますから!」
「してやられたわ…缶、盗られてもうた……。
とりあえずうちは自力で出れるわ、こんなん昔よう訓練したからな……ただ、ちょっち時間掛かるなぁ…メロンちゃん、これ渡しとくわ。」


僅かな隙間から投げ出されてきたのは、龍驤の拳銃だった。
そしてその銃身には、僅かに血が付いている。

夕張はそれを手にした時、思わず息を飲んだ。


「すまんけど、今はうちの事はほっといて、あいつ追っかけるのを優先しい……それとな、ケイ坊見付けたらまずは___。」
「………はい。」
「はは、なっさけないわー…ま、こいつは結局あいつをほっといてもうたうちへの罰かもな…。
メロンちゃん、必ず北上もケイ坊も、みんな連れて鎮守府帰るんや…君なら出来る。」
「………はい!任せてください!」
「頼むで…うちも、後から行くから……あのアホ、一発イワしたってや……キミは独りやないって、教えたって…。」


龍驤の銃を受け取り、夕張は一人先へと急ぐ。


“ちょっち喰らってもうたなー…こらこのまま気絶コースやな。
これで起きて、あの子の言う通りやったら笑えんわ……メロンちゃん、頼むで。”


その足音が、遠くに消えて行くのを聞き届け。
龍驤は痛みの中、一人静かに意識を手放した。

最後の扉の向こう、そこが最後の海域だ。
彼女達の、心の海に於ける戦争の。


“北上さん…さっきの攻撃はやっぱり…。
あなたの思い通りになんて、絶対させません。”


そこに挑む夕張の目には、強い決意が浮かんでいた。


553: ◆FlW2v5zETA 2017/03/17(金) 07:23:31.67 ID:rK0IdAJTO

第二倉庫の奥で息を殺し、北上は静かに座り込んでいた。

彼女の描くシナリオの最終章は、扉の音と共に始まる。
その時が来るのを、ただじっと待っていた。

彼女の物語に於ける、勇敢なヒロインが現れるその瞬間を。


“さーて、そろそろ終盤かな…。

悪い魔法使いに攫われた王子様は、勇敢なお姫様に助け出されました…。
それで悪い魔法使いは……。”


そこまでモノローグを巡らせ。そして。



550: ◆FlW2v5zETA 2017/03/17(金) 07:18:54.99 ID:rK0IdAJTO






「_____ヤケを起こして、ひとりぼっちで死にましたとさ。
めでたしめでたし…ってね。」







551: ◆FlW2v5zETA 2017/03/17(金) 07:20:00.42 ID:rK0IdAJTO




その物語の結末を口にした時。

彼女は、哀しげに微笑んでいた。





558: ◆FlW2v5zETA 2017/03/18(土) 06:09:22.02 ID:RR9qieOQO


とある休日の事だ。

北上は愛車を走らせ、1人買い物へと出ていた。
カーステレオからは、彼女が普段よく聴いている曲達がランダムで再生され、北上はそれに合わせて鼻歌を口ずさんでいる。

買ったものはガムテープやロープに、黒の作業着と安全靴。
いつでも旅に出られるように、それらを早速スペアタイヤのスペースへとしまっていた。

今日は土曜日。
ホームセンターには、様々な人々がいた。

幸せそうな家族に、何か探しに来た様子の学生達。
それと、笑い合い、休日を謳歌する恋人たち。

彼女は一人買い物に出る時は、そんな人々を眺めているのが好きだった。
かつてあった日常や、いつか夢見ていた事。
そんなものを思い出せる気がして、胸が暖かくなるからだ。

帰り道のカーステレオからは、いつも通りの音楽。
それに合わせて口ずさむ、信号待ちのひと時。

閉ざされた空間の、孤独な時間。


「こんなーよるはーきーえーてー…♪しまいたいとよくおもうけれどー…♪おまえなんかーきえてーしまえー…♪」


そんな中で、次のフレーズを口ずさむ時。


「なんできょうまでいきてたんだ…♪」


バックミラーに映る自身の姿を見ながら。
彼女は、笑っていた。



559: ◆FlW2v5zETA 2017/03/18(土) 06:10:46.36 ID:RR9qieOQO

重く、鉄の扉が開く。

スライド式の扉の向こうには、やはり薄暗い倉庫が広がるのみだ。
夕張はすぐにそこに踏み込む事はせず、まずは積まれた段ボールの陰を一つ一つ目視で確認していく。

ここは、これ以上先は無いはず。
北上の真意が夕張の予測通りなら、間違いなくここで待ち構えているはずだ。

視線を奥の方へと移して行くと、先の方に、黒い靴が見えた。
足首を縛られている。間違いなくケイだ。
だが夕張は駆け寄らず、あくまで慎重に歩を進めて行く。

彼女のウエストポーチと、龍驤から貸された時には使われなかったホルスターには、今はそれぞれ拳銃がある。
周囲に警戒しながら、少しずつ、少しずつ彼の元へ。


「ケイくん…。」


そのゆっくりとした動きの末、遂に彼の元へと辿り着いた。
声を掛けてみるも、やはり返事は無い。龍驤の見立て通り、睡眠薬で眠らさせられているようだ。
拘束は猿轡に、足首と手首。そして腕ごと押さえつけるように、体に縄が巻かれている。
取り出されたのは緊張感を表すように、震える刃先。
そして一箇所の縄にナイフが入り、拘束の一つに切れ目が入った直後。



『ばんっ!』



「!!」


鉄扉が荒く閉ざされ、倉庫は更に暗さを増した。
だが幾分闇に慣れた今なら、例え相手が闇に紛れるような格好をしていても見える。
いや、むしろ逆なのだろう。恐らく今夕張に相対する者は、見える事すらシナリオの内に組み込んでいる。

奇襲を掛ける気など、最初から存在しないのだ。
今夕張の目の前にいる、北上と言う女には。

560: ◆FlW2v5zETA 2017/03/18(土) 06:15:51.99 ID:RR9qieOQO
「……………っ!」
「待ってたよー、夕張ちゃん……ここ、いいっしょー?映画のラストシーンみたいだよねー。
まー…かつお節なんてトラップに引っかかるマヌケどもで、拍子抜けしちゃったけどさー…あれ?そう言えば龍驤さんいないねぇ?どこ行ったのさー?」


北上は、そうわざとらしく下卑た笑みを浮かべてみせた。
ギリギリと鳴る、奥歯の軋み。夕張は自身の頭蓋骨の中で、その音が激しく鳴らされたのを感じている。


「……あなたが、段ボールの下敷きにさせたんじゃないですか。」
「おー、おっかないねぇ。可愛い顔が台無しだよ?」
「北上さん……いや、岩代ユウ!!
…あなたがケイくんの幼馴染だって事は、根拠は揃ってるんです…何でこんな事を…!」
「……っ!
…まー、ここにいるって事は、あたしの正体に気付いてたって事だと思ってたけどさ…龍驤さんかな?目敏いもんねー。
ふふ……これ見てよー…良い指輪っしょー?」


そう突き付けられた北上の左薬指には、赤い切り傷。
それを恍惚とした顔で舐め上げる北上の顔を見た時、夕張の背筋には例え難い戦慄が駆け抜けて行った。


「ケイちゃんにもさー、同じのあげたんだー…あ、もちろんアタシのは、ケイちゃんにもらったんだよ?ナイフ握ってもらってさ。
赤い糸ってさ、あるんだねー…こう、薬指同士の血が繋がってさー……。
ふふ、綺麗だったよー、アタシとケイちゃん以外、誰も繋がってない……そう、アタシとケイちゃん以外、要らないんだ…。」
「質問に答えなさい……言え!何でケイくんが好きなのにこんな事をした!!」
「えー?教える義理なんて無いよー…。
そうだねぇ、強いて言うなら………ずーっと、邪魔だったんだよねー…あんたの事がさぁ!!」


衝撃が夕張の頬を駆け抜けて行ったのは、直後の事だった。
あっという間に近付かれた彼女は、北上の拳をその体に受けていたのだ。

朦朧とする意識の中、彼女の口の中を鉄の味が支配していく。
そして北上は彼女の足を掴み、その体を違う方へと投げ飛ばした。
561: ◆FlW2v5zETA 2017/03/18(土) 06:17:23.46 ID:RR9qieOQO

「かはっ……!」


打ち付けられた背中には、激しい痛み。
肺の空気を全て吐き出し、それは彼女の呼吸を一瞬途切れさせる。

痛みにへたり込んだままの彼女に向け、カツカツと靴音が近付く。
前髪の影に隠され視線は伺えないが、口元にはうっすらと笑みが。

傷めつけられた夕張を見て、北上は一層口元を吊り上げていた。


「今だってそうだったもんねー……わざわざ来ちゃうし、ケイちゃんの近くにもいるしさー…ほんと邪魔。
ずっと邪魔だったんだよ?ぽっと出のあんたが、アタシ達の間に割り込んで来たのが。
もうねー……ぶっ殺したいぐらい邪魔。メロンは大人しく切られて食われちゃえばいいんだよー、アタシ、メロン大っ嫌いだけど。」
「はは…言いますね……告白する勇気もなかったクセに、2年近くも囲って…ケイくんがかわいそうだと思いませんでした?
どうせ他の子がケイくんにアプローチしても…追い返してたんじゃないですか…?

ケイくんの人生は、ケイくんのものです…。
おもちゃを取られたくない子供なんですよ、あなたは……本当に、クソガキです。」
「あははははは!!言うねー!!

…………うるさいよ。」


鳩尾に、深い一撃。

夕張は堪らず胃の中のものを床にぶちまけ、吐瀉物には血が混じっていた。
だが、彼女の目は死んでいない。

562: ◆FlW2v5zETA 2017/03/18(土) 06:19:05.24 ID:RR9qieOQO

“余裕ぶってるわね……今だ!”


北上が愉しげに苦しむ自分を見下ろしている一瞬の隙を突き、足首へと一気に手を伸ばした。


「………っ!?」


踏み止まろうとする足を、先程吐いた吐瀉物の所へと引き込む。
それに滑り倒れた所に、すかさず夕張の拳が振り下ろされた。

頬への一撃に北上の顔へ激痛が走るが、二撃目は咄嗟に体を転がす事で何とかかわした。
起き上がった北上の鼻からは、ぼたぼたと血が流れ始める。
しかし北上もまた、心が折れる気配は見せてはいなかった。


「やってくれたねー……汚いメロン汁撒き散らしやがって…!」


ふらつく夕張の頬を、再び拳が貫く。
だがそれは、北上も例外では無い。


「さっきからメロンメロンうるさいんですよ…こんの偏執狂!!」


今度は夕張の拳が、北上の頬を貫いた。
互いのダメージは重なり、最早殴る事は出来ても、避ける事は難しくなりつつある。

倉庫の中には、ひたすら彼女達の声と、殴り合う音だけが響いていた。

563: ◆FlW2v5zETA 2017/03/18(土) 06:20:31.95 ID:RR9qieOQO

「あんたにさー……何がわかんのさ!!」
「…っ!わかりませんよ…それでも…止めなきゃいけないんですよっ!!」
「……っ!いってー…はは、やっぱムカつくよあんた…良い子ちゃんすぎてさ!!」
「うっ…!奇遇ですねー…私も、あなたみたいに積極的な人は嫌いですよ…私には出来ませんからぁ!!」


これは海戦の時のような、遠距離や兵器での戦いではない。
ましてや格闘技のような技同士のぶつかり合いもない、ただの泥臭く、無様なキャットファイトだ。

さながら心の海の浅瀬で殴り合うような、互いの意地のぶつけ合いだ。
だが、艦娘としてではない、人と人同士の魂のぶつかり合いがそこにはあった。

次第に、彼女達の顔には薄笑いが浮かんで行く。
それこそ夕張が、銃を抜いてしまえば形勢は逆転出来るかもしれない。
だが、互いへの文句を言い切ってから殴る、そんな不自然な律儀さの殴り合いを、彼女達は止める事が出来なかった。


そんな中、夕張が不意にあるメロディを口ずさむ。


564: ◆FlW2v5zETA 2017/03/18(土) 06:23:08.93 ID:RR9qieOQO

「…壁にあの人の写真貼って…何度も刺して……♪」
「…………!?」
「……死にやしないけど…それだけで許せたらよかったのに…♪
ねえ、良い曲ですよね…。」



それを聴いた北上の顔に焦りが浮かんだのを、夕張は見逃さなかった。



「あはは…あんたもあのバンド好きだもんねー…アタシの事?許せないのってさ。」
「ええ、ある意味あなたの事ですよ……私の気持ちでは無いですけど。
北上さん、あなたの部屋のダーツ板に写真がありました……いっぱい、ダーツが刺さってましたね。

どうして、自分の写真にあんな事をしたんですか?」
「!?………何の事?知らないなー…。」
「……あなたが殺したいのは、私でも、ましてやケイくんでも無い……。
…ケイくんを好きになりすぎて、殺してしまいそうなあなた自身だったんじゃないですか?

彼の気持ち、本当は気付いていたんでしょう?
だけどあなたは…自分の手からケイくんを守る為にこそ、こんな騒ぎを起こして、わざと嫌われようとして……。


___ひとりぼっちで、死のうとしているんじゃないですか?」


強い意志を宿した目が、北上を射抜く。
北上はその視線に俯き、一瞬薄笑いを浮かべるが、それもすぐに消え。



「うるさいなぁ、黙ってよ………黙れえええええええええええええっ!!!!!!!」



彼女の激しい咆哮が、倉庫の中に響き渡った。




572: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 19:46:07.47 ID:/3r4W0zuO
二人が倉庫で戦いを繰り広げる中、その屋外では、激しい風が吹いていた。

荒涼としたこの土地で吹く風は、冷たい。
荒れ果てた社屋の外には、かつて北上の弟が使っていたサッカーボールが転がっていた。

ここで何度となく練習を重ねたのだろう、それは既にボロボロで。
それを年月による風化が、更に表面を荒く痛め付けていた。

そこに、また一陣の風が吹く。
その風は激しい音を立て、ボールをころころと、元あった場所から遠ざけて行った。


ボールの主の姉がいる、第二倉庫の方角へと向かって。


573: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 19:47:20.97 ID:/3r4W0zuO
「うっ…………!」


咆哮の直後には、既に夕張の襟に両手が掛かっていた。
ギリギリと引きちぎらんばかりに詰め寄る北上の視線は、未だに前髪と影に隠され伺えない。
だが、それまで一切見せて来なかった激情が、北上の指越しに夕張へと伝わっていた。


「あんたに何がわかんのさ……!!
何度もケイちゃんを殺す夢見て、その度幸せな気になってさー……アタシ、起きると濡れてたんだよ…?」」
「…!?」
「どーせ龍驤さんから、アタシに何があったかなんて聞いてるっしょー…あの時助けてくれたの、あの人だもん。」


“…あいつは錯乱しとったから覚えてへんけど、あん時あいつを救助したんは、うちや。 ”



その時、夕張の脳裏にいつかの龍驤の言葉が過った。
そして、その後彼女が発した言葉も。


“北上な、吹っ飛んだ家族の脳ミソや腹わた、一生懸命遺体に戻そうとしとったよ。ヘラヘラ笑いながらな。”


「北上さん、まさかその時の記憶が……。」
「あはは、やっぱ聞いてたー…?
いいよ、もうそこまでバレちゃってるなら、お話をしてあげる……。」


574: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 19:50:02.88 ID:/3r4W0zuO
アタシが例のレ級とやりあった時さ、「思い出せ」って頭ん中で声がしたんだ……アタシの声でね。
それで思い出したんだよ、アタシの家族を殺したのがあいつだった事も……ついでに、アタシがあの時何をしたのかも。全部ね。

弟が頭撃ち抜かれて、あいつの尻尾が向かってった所で途切れてたんだ。
だけど……ふふ、思い出したんだー…弟がぐちゃぐちゃ脚を噛み砕かれる音も………アタシがみんなの内臓や脳ミソ、体に戻そうとした時の感触も……。


ねえ、死んだ世界って、どんなのか知ってる?


あの時は夏だったなー…お父さんやお母さんの腸や心臓も、弟の脳ミソも、最初はあったかくてさー……だけどそれが、どんどん冷たくなってくんだ…。
冷たいんだよ…それが染み付いたら、そこはずっと冬なんだ。
春も夏も秋もどっか行って、ずっと冬。

後で身元確認させられてさ。思い出す前は死体に触れたの、そこの記憶からだったんだけど…全部、繋がっちゃったよね。

龍驤さん、アタシを見つけた時、抱き締めてくれたんだ。
でもやっぱり寒くて、痛くてねー……その後も、何に触れても何も変わらなかったよ。
実際はあったかいはずなのに、心だけ、人に触れると冷たいって思うようになってさ…。

その後高校も編入しないで中退扱いにして、しばらくフリーターみたいな事やってて。
復讐するだけして死んでやるって思って、艦娘になったんだ。

そんなんでも艦娘になる前から、あの件の前から、ケイちゃんにはまた会いたいって思ってた……そしたら、あそこにいたんだ。
でも…ケイちゃんは、アタシ達の件のせいで変わってた……だから、心開いてもらおうと必死だった。
少しでも、元のケイちゃんに戻って欲しくてさ。


前話した事、あるっしょ?アレには続きがあってさ…。



575: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 19:52:08.03 ID:/3r4W0zuO

「整備くん、今日冷えるねー。」
「まだ梅雨前ですからね。」
「………えいっ。」
「何すんですか。」
「ふふー、温度の補充ー。」


帰り道で、じゃれるつもりでケイちゃんの手え掴んだらさ……あったかいんだ。
人のあったかさを感じられなくなったアタシが唯一感じられたのが、ケイちゃんのぬくもりだった。

だけどさー、麻薬みたいなもんだよ。
ケイちゃんの事、異性として好きだって自覚してさ…それでダメ押しのそれで。だんだんね、アタシは狂って行ったんだ。
この人がいないと、生きていけないって……いっそ、ずっとアタシに縛り付けちゃいたいってね。

後はヤク中と変わんないね。
イカレてたアタシは、それこそケイちゃんにちょっかい掛けようとした子は追っ払ったし…あんたの事だって、最初は再起不能にしてやろうと思ってた。

でもさ、告白なんて出来なかったなぁ。
本当の事、言わなきゃいけないからね。アタシは君の知ってる方のユウだよって。
ケイちゃんの人生も、あの件で狂ったんだもん…ふざけんなって思われるよねって。嫌われるだろうなって。
そう思ったら、怖くてね。

冬休み終わる時さ、夕張ちゃん、駐車場でケイちゃんに無理矢理キスしたっしょ?
アタシね、実はあの時隠れてて…見ちゃったんだ。

そこで目が覚めたんだよ。
アタシは狂ってるんだって、やっと理解出来たんだ。
あんたの言う通り、ケイちゃんの人生はケイちゃんのもの…アタシは、単に薬の切れたジャンキーみたいなもんなんだって。

ただ、もう手遅れだったよ…それでもアタシは、自分を止める事が出来なかったんだ。


576: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 19:54:08.84 ID:/3r4W0zuO
レ級とやり合う前の夜ね、アタシ、ケイちゃんの事襲っちゃったんだ。
意識もボーッとしててさ、ケイちゃんに止められて…やっと正気になった。


その時思ったんだ。
「このままじゃ、本当にケイちゃんを殺しちゃう。」って…。


だから次の出撃で死のうって、そのつもりでいた。
そこであのレ級を見付けて、全部思い出して……でも、アタシはそこでも死ねなかった。
あの機能さ、ケイちゃんが発案したんだってね…優しすぎるなって思ったよ。

ケイちゃんがアタシのお見舞いに来てくれたの、知ってるよね?
そこでさ…本当に初めてだよ、ちゃんとキスしてくれたのは。アタシが無理矢理しちゃった時はあったけどね。

ああ、こんなアタシの事、好きでいてくれてたんだって。
きっと目標を果たしたら、気持ちを伝える気なんだろうってさ。全部、全部わかった…。

それでもアタシは、変わらなかったんだ。
そうやってケイちゃんに触れたら、何度も何度も、首を絞めたくなって、心臓を刺したくなって。


もうダメなんだ…いつかアタシは、絶対ケイちゃんを殺しちゃう。

だってさ、そこでアタシも死ねば…幸せなまま終わり。
……これ以上何かをなくす事なんて、ないじゃんか。


そんなの、アタシのワガママなんだ。




577: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 19:56:04.17 ID:/3r4W0zuO
人間ってさ、お皿と一緒なんだよ。

一度割れたら、二度と元には戻れない。
それはアタシがどれだけ狂ってるって自覚したって、もう覆らないんだ。

だからアタシなんか、もう人間じゃないんだよ…ただのバケモノ。
ケイちゃんが他の子と接してたり、あの時の事を思い出すと、肩の傷が疼くの。
きっとね…こいつはずっと、もうアタシがバケモノだって事を教えてくれてたんだ。

あいつらもアタシも、大して変わらないんだって。

最初は心中する気で、攫う計画立ててたんだよ?
でも何でまた実行したかって言うとねー……嫌われたかったんだ。それも徹底的に、顔も思い出したくないくらいに。

例えば普通に振られたってさ、人って未練が残るっしょ?
だからさ…あいつは狂ってた、クソみたいな女だったって思われるような事してさ、それで…。



____アタシ一人が死ねば、ハッピーエンドだって。



だからこれが、アタシの最後の戦争。
アタシが、アタシっていうあいつらと大差無いバケモノに勝つ為の戦争なんだ。

ケイちゃんはね、幸せになるべき人だよ。
こんなバケモノなんかじゃなくてさー…例えばあんたみたいな、本当にいい子とくっついた方が良い。

あんたには、その為のヒロインになってもらう気でいたんだ。
攫われた王子様は、勇敢なお姫様に助け出されて……二人は幸せに暮らして…。

悪い魔法使いは、ヤケになって死にました。めでたしめでたしってね…。

578: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 19:58:09.88 ID:/3r4W0zuO

「どう?これでわかったっしょ?」


北上は話を終えると、乾いた笑みを夕張に向けた。
夕張は俯き、押し黙ったまま。そんな彼女を無視するかのように、北上は懐からあるものを取り出した。

ギラギラと鈍く光る、一振りのサバイバルナイフを。


「計画はちょっと狂っちゃったけどさー、ま、こんだけやれば大丈夫っしょー。

それじゃ夕張ちゃん……じゃあね。」


ナイフは北上自らの、白い首筋へと向かって行く。
ここで彼女が自刃を果たせば、事件は終わるだろう。それで全てが収まるのかもしれない。


だが。



579: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 20:00:23.21 ID:/3r4W0zuO


『パンッ!』



カラカラと転がる音が響き、ナイフはその刀身を床に横たえていた。
夕張の手には、硝煙を上げる拳銃が。彼女の放った弾丸が、ナイフを弾き飛ばしたのだ。

それを構える夕張の目には、激しい怒りが浮かんでいた。


「さっきから黙って聞いてれば、勝手な事ばかり言うわね………。」
「………っ!?」
「私ね、ケイくんに告白したの。勿論振られちゃったわ…その前も、ケイくんからあんたの話を色々聞いた……。
あんたはムカつく所もいっぱいあるけど、あんたと仲良くなってからは楽しかった…馬鹿な話もしたし、色々買い物行ったり飲み行ったりもしたよね…。

……何がバケモノよ!ケイくんが…どれだけあんたに救われてたか分かんないっての!?

確かにケイくんは、私の大事な人でもあるけど…あんたも、私の大事な友達よ。
そんな二人だから、私は身を引いた……だから私も、ワガママを言うわ。


___あんた達は、幸せになる義務がある。


……“ユウ”。私はぶん殴ってでも、あんたを死なせないわ。
目の前で苦しんでる友達を、放っておく訳には行かない!」


それは初めて夕張が銃を抜き。
そして彼女が、初めて友人として北上の本当の名を呼び捨てた瞬間だった。

580: ◆FlW2v5zETA 2017/03/21(火) 20:02:32.94 ID:/3r4W0zuO
直後、拳銃が遠くへと投げ捨てられた。
北上のサバイバルナイフも砕け、自決する為の道具はもう無いように見える。

だが北上は、隠されたもう一つの武器の存在を察している。


「これで、自殺の道具はもうないわね…気絶するまで殴るわよ。あんたの根性叩き直してあげる!」
「夕張ちゃん…ポーチのそれちょうだいよ……龍驤さんの事だもん、どうせあんたに自分の渡してるっしょ…。」
「………!?……渡さないわ。これは使う気もないけど、あんたに渡す気もない!」
「強情だねー……じゃ、いいよ。
…気絶させてでも奪ってあげるからさぁ!!」


再び殴り合う音が響く中、倉庫の外では変わらず強い風が吹いていた。

裏口の小さな扉は、開け放たれたまま。彼女達もその存在には気付いていない。
その風に流され、そこを一つのゴミが通り過ぎた。
それは隅に横たえられている、ケイの方へと向かって行く。



ボロボロに傷んだ、今はもう使われていないサッカーボールが。


588: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:30:07.12 ID:GaYLTJCKO

“どこだ…ここ……。”


見知らぬ床の感触の中、ケイは目を覚ました。

何度となく飲まさせられた睡眠薬は、重い副作用をもたらし。
混濁する意識の中、彼は現実と夢の狭間にいる。

そのぼやけた世界の中、言い争い、殴り合う音が彼の鼓膜に触れる。
だが、体が動かない。ぼやけた視界と意識の中、周囲の音だけが生々しく彼の中で響いている。

彼の愛する者と。
故に、彼が想いに応える事は出来なかった仲間と。
その二人が、戦いを繰り広げる音。
そして、次々語られていく事実。

尚も混濁する意識の中を、それらの言葉が駆け抜けて行く。

悪い夢を見ているかのような感覚が、彼を襲う。
語られて行く真実は、彼の中にあった彼女の笑顔を、次々と曇らせて行く。
境界を失った意識の中で、それはまるで、彼自身がその言葉の中にいるかのような、彼女そのものとしてその世界を見ているような。
そうした感覚と、激しい胸の痛みを彼に与えていた。


“普通じゃない……あの傷、何があったんだろう。
いつもゆるい雰囲気だけど、絶対何かあるよな……。

無理に話してくれなくてもいい。何かあるなら、俺が……。”


北上に襲われたあの夜。
彼が誓ったのは、例え真実を彼女が話せなくとも、心の傷があるならば癒すと言う事だ。

深く繋がりを持つ一方で。
彼は、北上の過去についてはあまり知らなかった。
彼女自身が、触れられるのを避けたがっているのを感じ取っていたからだ。

いや、知る事を避けていたのだ。
話したがらない事を無理に訊き出す事は、彼女にとっては無神経な事だと考えたが故に。


だが、今は後悔が彼を襲っていた。

589: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:31:30.95 ID:GaYLTJCKO

“そうして気を遣っているつもりでこそいたが、それこそが、彼女自身から目を背ける行為ではなかったのか?”

彼女の正体、争いの中で語られる過去。
彼自身が今囚われているこの街で、かつて見てきた景色。
北上の正体に気付かずにいた自身と、そこに対する彼女の気持ちへの想像と。

異なる地獄と地獄が繋がり、それらが次々と、彼の脳裏で新たな地獄を形作って行く。
それらが積み重なり、繋がり、彼の心は北上のいる世界に近付いて行く。

そして、彼女との美しい思い出が、その地獄と交互に再生される。

そこは、どれだけ崩れた世界だったのだろう。
そんな最中にあっても、彼と過ごす時間の中では、彼女は嬉しそうに笑っていた。

590: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:33:42.86 ID:GaYLTJCKO

ケイもまた、かつては狂気と憎悪に囚われた人間だった。

復讐の為にこそ、整備としての腕とセンスを磨く事に心血を注ぎ。
そして自身の手掛けた兵器が生み出した屍の山を見ては、言い知れぬ快感と手応えを感じるまでに至っていた。

明石がかつて恐怖を感じた、その際の彼の笑顔。
徐々に復讐や平和を願う事を通り越し、ただただ、自身の生み出した兵器が敵を殺すと言う事に生きる目的を見出しかけていた、危険なその表情と心。

それらが次第に薄れていったのは、いつからだったのか。


誰に、出会ってからだったのか。


彼の意識の境界は、徐々に現実へとその天秤を傾けて行く。
その中で彼女の言葉が、より深く彼の耳へと触れる。


「人ってさ、お皿と一緒なんだよ。
一度割れたら、二度と元には戻れない。」

「だからアタシなんか、もう人間じゃないんだよ…ただのバケモノ。」



「____アタシ一人が死ねば、ハッピーエンドだって。 」




その時の事だ。
彼の背に、転がり込んで来たサッカーボールが触れたのは。


その瞬間、とある声が響いた。


591: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:34:45.77 ID:GaYLTJCKO








“ケイ兄……姉ちゃんを、助けてくれ…!”








592: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:37:27.19 ID:GaYLTJCKO
それは冬に故郷で聞いた幻聴と、同じ言葉。
だが、以前のくぐもったものではなく、今度ははっきりと聞き取れた。

一瞬だが、ケイの目の前にはいつかの肉塊ではなく。
『彼』の成長した姿であろう、とある少年の、寂しげな微笑みが映った。

それを見聞きした時。
ケイの意識の天秤は、遂に現実へとその秤を振り切る。

そして、激しい感情が彼を襲った。


“…………ふざけんなよ。
ユウ…お前がバケモノなら、俺は何なんだよ……俺が、誰に救われたと思ってんだよ…!

コウタ、分かったよ……今度は、俺があいつを……!”


肉体そのものは、まだ薬の副作用に侵されていた。
だが意識を取り戻した今、彼は自分の手の中に、ある物が握られている事を理解出来た。


龍驤は夕張に銃を託した際、とある助言を彼女に与えていた。


“ケイ坊見付けたら、まずは全身の拘束解こうと思わん事や……途中で北上に襲われる可能性あるからな…。
ええか…最初に手首の拘束から解いて…次に、渡した道具の内の……

___隠しナイフを握らせるんや。”



仮に途中で失敗した際でも、人質が自力脱出出来る可能性を上げる為の手段。

拘束が解かれているのは、手首のみ。
そして今、彼の手には夕張により隠しナイフが握らさせられていた。

視界の先には、再び殴り合う彼女達の姿。
その手前、彼から近い位置には____


隠しナイフを開き。彼はまず、胴への拘束にナイフを入れ始めた。


593: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:38:33.66 ID:GaYLTJCKO

「………あぐっ!?」


夕張の体が、壁へと叩き付けられる。

この戦いの中で、もう何度目だろうか。
彼女の体力とダメージは、遂に限界へと達していた。

立ち上がる事すら気力だけでやっとの状態に陥り、無情にも、北上の腕はそんな彼女の腕を押さえつける。
抵抗を試みようとするが、上手く動く事が出来ない。
北上の手は、遂に彼女のウェストポーチのジッパーを空けた。


「あはは……もーらいー…。」
「だ…め……絶対に…させない……。」
「……ダメだよ。ケイちゃんが起きる前に、全部済ませなきゃいけないんだもん……。」


拳銃と缶を奪われ、夕張は必死に手を伸ばす。

だが、もう間に合わない。
引き金に指がかかり、北上のこめかみを銃弾が通り抜けるまで、あと数秒も無い。


その瞬間だ。


594: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:40:23.90 ID:GaYLTJCKO


『ぱんっ…!』



サッカーボールが壁に当たり、一瞬北上の意識がそちらへ逸れた。



「ユウ!こっちを見ろおお!!」



大声に反応した時、そこにあったもの。

それは立ち上がるケイの姿と。
その手に握られた、夕張が投げ捨てた拳銃。

その銃口は、北上へと向かい。
それを目にした瞬間、彼女の世界はスローになった。

そのゆっくりとした世界の中で、彼女は体を、その軌道へと向けて。



“ケイちゃん……。
ああ……アタシ、最期までワガママだったなー……。

やっとわかったよ……アタシはきっと、せめて………




595: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:41:26.51 ID:GaYLTJCKO











_____君に、殺されたかったんだ。”











596: ◆FlW2v5zETA 2017/03/27(月) 01:42:39.50 ID:GaYLTJCKO




その瞬間、彼女は天使のように微笑み。


放たれた銃弾が、その体を突き抜けていった。




603: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:26:29.61 ID:T7wuw/an0


んぁ…朝かー…。



うえー…頭いた…昨日飲み過ぎちゃったかー。
体も痛いねー…ま、まあ、昨日はあの後激しかったし……いや、運動不足なだけか。言い訳はやめよ。
でも懐かしいね、艦娘の頃の夢かぁ…荒れてたなぁ、あの頃。
ふふ、でも今はさー…。

隣を見れば、すうすうと寝息を立てる彼の姿。
もう何年前だっけ?今で同棲始めて3年ぐらいだから……ああ、5年は経ったのか。

気持ちよさそうに寝ちゃってー…つっついてやろ。
ほれー、起きなよー。君の彼女が寂しがってるよー?


「んー……?ああ、おはよ。」
「おはよー。ケイちゃん見なよ、いい天気だよー。」
「……っと、確かになー。ユウ、花見でも行くか?」
「いいねー。よし!じゃあ着替えよっか。」


少し離れた公園まで、ぷらぷらと歩く日曜日。
桜の季節の木漏れ日はあったかくて、何とも穏やかな風が吹いている。


「そう言えばさ、今朝あの時の夢見たよ。」
「…戦争の時のか?」
「うん。あの頃は色々あったけど、若かったなーって思ったよ。荒れてたよねー、アタシ達。」
「まあね。でも今は二人でこうして過ごせてる。それで良いんじゃないか?」
「そうだねー…うん!」


そうだよ。こんななんて事ない日が、今は幸せなんだ。
帰ってごはん食べて、いつものバラエティ観て。また次の休みは何しよっかなんて考えてさ。

アタシの左手には、宝石の入った指輪がある。
これがもうすぐシルバーのに変わって……ケイちゃんの左手にも、それと同じ指輪が嵌まる。
色々あったけどさ、今は生きてて良かったなって、そう思えるんだ。

ふふー、満開だねー。戦争終わってあの峠に行った時も、パーって咲いててさ。
6月の式の時も、晴れたら良いな。


「ケイちゃーん。」
「何?」
「ふふ、一生離さないから。」
「…心配しなくても、離れないっての。」


夢みたいだよね、こんな毎日。本当に夢みたいだ。

……そう、夢だから幸せだった。



だってこれは。
ある夜に、アタシが見た夢だったんだから。


604: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:28:10.77 ID:T7wuw/an0
硝煙が立ち上り、そこから数秒。
どさりと、静かに、そして重く物音が響いた。

1秒、2秒。続いて、3秒目。
その静寂を経て、ようやく目の前の出来事に、青年が声を上げる。




「………ユウ!!!」




彼女の本当の名を叫んで駆け寄り、彼の目に入ったのは。脇腹から血を流し倒れる北上の姿。
息は荒く、黒い服越しでもはっきりと分かる出血が、容赦なく現実を突き付けていた。

本来であれば素人の、ましてや薬の副作用で朦朧としていた彼の狙撃など、せいぜい威嚇射撃で終わるはずだった。
だが、北上は言ってしまえばその道のプロだ。
彼女は発射の瞬間、まるで愛しい者を抱くかのように弾道が自らを貫く軌道へ立ち、両手を広げていた。


彼が愛して止まぬ、愛らしい笑顔を向けて。


「北上さん!」
「ユウ!しっかりしろ!!」
「あはは…ケイちゃん……起きちゃったの…?」
「お前…何で自分から……。」
「……嬉しいなぁ、やっとタメ口きいてくれたね……。
いいんだよ、これで…アタシ達のやり取りさ…聞こえてたったしょ……?
ケイちゃんを…アタシから守るには……これ、しか……無いんだ……アタシは…きっと君を殺しちゃう、から…。」
「……馬鹿野郎!生きてたから出会えたんだって、お前が言ったんじゃねえか!」
「……あったねー、そんな事…。
アタシ、ケイちゃんにまた会えて、本当に嬉しかったよ……生きてて良かったって、思えた…。

……アタシは…馬鹿なんだ……。
誰にも、君を渡したくなかった……でも、嫌われたくなくて…本当のことも、言えなかった……。
みんな死んじゃってから…ずっと、寂しかったんだ…ひとりぼっちで、寒くて……ケイちゃんだけだよ、あっためてくれたのは…。そんなのさ…君に、寄っ掛かってるだけなのに……。
ケイちゃんは幸せに、自分の人生を生きて……それが一番いいんだ……アタシ達の為に、仇なんて討たなくてもさ…。」


抱き上げるケイの腕を伝う血は、次第に冷たさを増していた。
二人にとって、この冷たさは覚えがある。



死の温度。
かつて嫌という程曝された、終末の冷たさ。



それが今、溢れた北上の血液によって、ケイへと伝っていく。



605: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:29:19.04 ID:T7wuw/an0

「ねえ、ワガママ言ってもいいかなー…?

ほんとはね……こんなんじゃなきゃ、君と生きたかったよ……ずっと、君ん中にいたかった…。
あそこの足湯でお花見もしたかったし…花火大会とかも行ってみたかったな……浴衣着てさ……。

でも、それももうおしまい……アタシは狂ってるから、君とは生きられないからさ ……。」
「ユウ!!」
「ケイちゃん……ギュッとして…?
……うん、あったかいねー……もう、心残りはないよ……君の手で、死ねるんだもん……。




___大好きだよ。ありがとう、ケイちゃん……。」




そして瞼が落ちかけ、彼女の命の灯が消える。












その瞬間。

606: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:30:03.57 ID:T7wuw/an0






「ねえ……さっきから…なーに見せ付けてくれてんのよ!!」
「ぶっ!?」





北上の頭上から 、とある液体がぶちまけられた。





607: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:31:19.96 ID:T7wuw/an0

「へ……?痛くない…あれ、アタシ…死んじゃったんじゃないの……?」
「残念、生きてるわよ。はー…やっと本音を言う気になったわね…ハラハラしちゃったわ。
言ったでしょ?“あんたは死なせない”って。
艤装展開時の怪我しか治せない…つまり裏を返せば、缶と連携してる間の怪我には有効って事。

さて、何でしょうか?」


北上が突然消えた痛みと怪我の感覚に狼狽える中、夕張はしたり顔で謎かけをしてみせる。
この独特の匂いは、彼女も嗅いだ事がある。


その正体は。


「ん……?あ!これって!!」
「そう。バケツの中身よ。」


夕張はウェストポーチ以外に、腰にドリンクホルダーを付けていた。
中身は本当に危険な時の為に、出発前に彼女がくすねておいたもの。


ペットボトルに詰められた、高速修復材。


それは未だに缶と連携している北上の銃創にも、効果を発揮するものだった。


608: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:32:22.36 ID:T7wuw/an0
「ついでに言うと血痕を見る限り、あなたの怪我は、脇腹の端を抜けたくらいね。
これなら簡単に死にはしないけど…まあ、失血で気絶とかはあるかも。

でも焦ったわよ…ナイフで掻っ切るとかならまだ間に合ったかもしれないけど、即死なんてどうにも出来ないもの……全くもう、手間かけさせて。
…観念しなさい。あなたはどうあっても死なないわ、私達がいるんだもん。」



呆気にとられたまま、北上は手を動かしてみる。

動く。

次に、足に触れてみる。

ちゃんとある。

頬をつねっても、顔に触っても同じだ。
彼女は、今もこうして生きていた。


「ユウ……。」
「………はは、また生き残っちゃったなー…。」


諦めなのか、呆気に取られているのか。
北上は、乾いた笑みを浮かべていた。


だが、それでも彼女には、変えられない事がある。


609: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:33:23.02 ID:T7wuw/an0
「死ぬのはもう、無理そうだねー……アタシ、とことん死神に嫌われてるみたい。

でも、みんなとはお別れだね。
さっきの通りだよ…アタシ、自分でも何するかわかんないもん。みんなのそばにいちゃいけないんだ…。
…退役して、遠くの街にでも行くよ。ごめんね…。」


口をついたのは、別れの言葉。
それは自らを危険と思い、恋人や仲間を想う故に吐き出された言葉だった。

彼女の顔には、諦めの色が浮かんでいる。
ケイはそんな彼女の手を、優しく掴み。










「……そんなに言うなら、やってみろよ。」









彼は隠しナイフを握らせ、それを自らの首に突き付けさせた。


610: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:34:33.76 ID:T7wuw/an0
「ケイ、ちゃん……?」


彼の目は、真剣そのものだ。
それは戦時中、整備の際に見せていた顔と全く同じ、射抜くような鋭い目。


「はぁ…はぁ……。」


息が荒くなるのを、北上の肺は感じていた。

刃先が薄く肌を切り、ケイの首筋にわずかに血が滲む。
それを目にした彼女の中を、様々な激情が駆け抜ける。
興奮と黒い衝動が、獣の如く声を上げる。



“ここで彼を殺せば、永遠に彼は自分のものだ”と。



「どうした?これで俺はお前のもんだぞ?
やれるもんならやってみろ、お前に出来るならよ。」


挑発するように、ケイはニヒルな笑みを浮かべた。
そうだ、このまま刃先を深く刺せば、その欲望は叶う。


このまま切り裂いて、命を奪えば__


震える刃先。
35.8℃の液体が、今まさにこぼれようとしている。

その液体が、床に溢れる時。



『からん……。』



ナイフも、同時に床へと落ちた。



611: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:35:40.00 ID:T7wuw/an0


「出来ない…………出来ないよ!!
ケイちゃんを殺すなんて……アタシには出来ない!!」



床にぽたぽたと染みを作る、35.8℃の液体。
それは、血液と同じ成分の。

彼女の、暖かな涙だった。


子供のように泣きじゃくる彼女を、ケイの腕が優しく抱きしめる。
そのぬくもりは、今の彼女が最も欲していたもの。

優しく囁くように、彼は口を開いた。


612: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:36:45.89 ID:T7wuw/an0
「……だから言ったろ?お前はそんな奴じゃない。何がバケモノだ…じゃあ、俺は何なんだよ?

俺さ、あそこに来た頃は、心の底からは笑えなかったんだ。
お前に出会って、初めてちゃんと笑えた気がした。それ以外じゃ、それこそ俺の兵器が殺した奴の死体を見た時ぐらいでさ。
あのままだったら、今頃どうなってたろうな……俺の方が、よっぽどバケモノだったんだよ。
それを人間に戻してくれたのは…いつもそばにいてくれたのは、お前なんだ。

ユウ…ずっと、気付いてやれなくてごめんな。苦しかっただろ?ひとりぼっちで……。」
「ううん…もう何年も前だもん……アタシも、写真持ってたからケイちゃんの事すぐわかったぐらいで…。
でも…怒ってないの?アタシ達のせいでケイちゃんは、そんな風に…でも、アタシは生きてたのに、ずっと黙ってて…。」
「……どの道、俺はあの件がある限り、この道を生きてたよ。
そうでなくても、大勢の命が奪われたんだ…例えばユウ達が引っ越してなくても、俺は軍にいたと思う。
だから、お前が気に病むことなんて何もないんだよ。」
「ケイちゃん…。」
「ユウ、改めて言うよ。聞いてくれ。」


彼は北上から腕を離し、その両手を彼女の肩に掛けた。

真っ直ぐに向き合わせるように。
そして、自分もそこから目を逸らさないように。

自覚できるほどの、緊張の色が浮かぶ。
今までの人生、今日が一番緊張する日なのかもしれない。


だが、これこそが彼の人生の。
そして彼女達の人生にとっての、祝砲となるのだ。



深く息を吸い、遂に心のトリガーは引かれる。



613: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:37:49.54 ID:T7wuw/an0




「北上さん……いや、ユウ!好きだ!俺の彼女になってくれ!!」
「うん……いいよ!よろしくね!」




614: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:38:34.23 ID:T7wuw/an0


この瞬間、ようやく真の終戦が訪れたのだった。


615: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:40:05.33 ID:T7wuw/an0

“良かったなぁ……ほんと、身を引いた甲斐があったわ……。”


そう思いつつ二人を見守る夕張の肩に、ちょんちょんと何かが触れる。
振り返るとそこには……。


「……………終わったんやな。」
「龍驤さん!?怪我は大丈夫なんですか…?」
「なーに、落ちてもうたけど、海戦のに比べたらすぐ戻ってこれたわ。
しかしまぁあんのアホども…ほんま、まるーく収まって良かったわ……あ、うちの缶どないなった?」
「あ、そう言えば北上さんに取られて…。」
「……なぁメロンちゃん、あないな事ある?」
「………!?」


倉庫の空中に、浮かぶ影が二つ。
それは夕張と龍驤の缶であり、続いて北上のウェストポーチにも異変が起こった。


「おっ!?缶が!!」


ポーチを突き破り、北上の缶も空中へ。
それらは同じ場所に列をなすと、眩い光を放ち、砕け散ってしまう。

破片による銀色のシャワーが、スクリーンのように倉庫に降り注ぐ。
その銀幕の中に、次第に幾人もの影が映し出されて行く。


その人々は。


616: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:41:19.05 ID:T7wuw/an0

「タエ…よっちゃん……それに、おじいちゃんも……。」


今は亡き、北上の友人や親族。
それらの人々が次々に現れては、笑顔で北上に手を振り、そして彼方へと消えて行く。
そんな中、聞き覚えのある声が彼らの耳に触れた。


“ケイ君、娘を頼むよー。泣かせたら化けて出てやるからなー!はっはっはっ!”
“……ユウ、幸せにね。ケイ君、よろしくお願いします。”


「お父さん…!お母さん…!」


“姉ちゃん、ケイ兄……またな!!”


「コウちゃん………うん!またね!」



北上は、彼らを笑顔で見送っていた。
そこにかつての悲しみはなく、心を込めて、送り届けるように手を振った。


“全く世話ばっかりかけんだからさー……じゃあね、アタシ。”

「あんたは…?ふふ、まーいーや。じゃあね!」


最後に聞こえた声。
それはかつての彼女自身だったのか、それとも、艦としての北上の魂だったのか。

それは結局分からないまま。
だが、彼女はその光にも、心からの手を振っていた。

やがてそれらの光も消え、倉庫には元通りの薄闇が広がるばかり。
だが、元通りでないものもあった。


「缶、砕けてもうたなぁ……ま、これでうちらも、もう艦娘やないって事やな?なぁ、ユウ?ミユ?」
「あれ龍驤さん、アタシ達の本名知ってたの?」
「あのなぁ…これでもうちの鎮守府やったら、正確には艦娘兼少尉なんやで?キミらの本名ぐらい知っとるわ。
まぁええわ…せやからキミらも、アカネって呼びや。」
「アカネさん!」
「アカネおばさん!」
「こらぁユウ!!お前は営倉送りやー!」


こうして彼女達の戦争は終わり。
艦娘としての彼女達もまた、終わりを迎えた。


ここからが、新たな日々の始まりとなるのだ。


617: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:42:34.21 ID:T7wuw/an0

「疲れてもうたわー、うちら先帰るで?また鎮守府でな。」
「じゃあみんな、帰ってきたら焼肉行くわよ!祝賀会ってね!」
「うん!楽しみにしてるよー。」
「あ、ユウ。キミは帰って来たら、しばらくうちのマッサージ機やからな…?ぶつけた頭痛いわー。」
「あははは……ア、アカネさん、ごめんなさい……。」



車は荒れた街を離れ、途中にある休憩ゾーンへと停まった。

自販機でコーヒーを買い、龍驤はそれを片手にタバコに火をつける。
問題児達の後始末も付き、彼女にとってもようやくの一息だ。

一方、助手席の夕張は。


「どないしたー?えらいたそがれてまぁ。」
「いえ…負けたなーって……もう、あんな見せ付けちゃって…。」
「メロンちゃん…?」


そう微笑みながら、窓の外を見つめる夕張。
だがその頬を、涙が伝っていた。

龍驤は肩へと伸ばし掛けた手を止め、じっと彼女の言葉を聴いている。


「ほんと、清々しいぐらいの振られっぷりですよ…。
終わっちゃったなーって…ほんとあいつら……幸せにならなきゃ、許さないんだから……!」
「ミユ…おいで?」
「………アカネさん…ひっ……ぐすっ……。」
「大丈夫やて…キミならまた、ええ恋出来る。失恋は女を磨くチャンスや。
キミはええ子や…だから今は、思いっきり泣き。」
「ぐすっ……ありがとう、ございます……。」


そう子供のように泣きじゃくる彼女を、龍驤は優しく撫でていた。

夕張もまた、ようやく恋の終わりを受け入れる事が出来た。
そして彼女は恋と引き換えに、かけがえの無いものを得た。

この日。
彼女は恋のライバルを失い、そしてユウと言う名の親友を得たのであった。


“ほんま、あいつら幸せにならんとこの子にイワされてまうで……。




ん?そう言えば、何か忘れとるような……?”




618: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:44:21.48 ID:T7wuw/an0

「さて、アタシ達も行こっか?」
「そうだな……バイクも拾い行かないとだしなー。あ、もしかしたらあのコンビニ、駐車違反になってたりして……。」
「あ、あはは……ごめん…。」
「いや、まあそれは別に……あれ?車何か変じゃない?」
「傾いてるね…。」
「げ…パンクしてんじゃん。これナイフだな…あ、もう片っぽも…はぁ、アカネさんか?ユウ、携帯持って………ユウ?」
「あはは…。」
「なぁ、そう言えば携帯って……。」
「△△駅のコインロッカーに、隠した、よね…。」
「ここ、公衆電話とか…。」
「うん、死んでる……アタシ達、今お財布しかないね……。」
「マジか…。」
「マジだね………。」





「「……誰か助けてえええええええ!!!!」」




この後二人は必死に歩き。

最終的に、派手なネオンのホテルに入ったそうな。



619: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:45:06.81 ID:T7wuw/an0









6年後。夏。









620: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:46:29.28 ID:T7wuw/an0


「暑いわね…。」


駅前でそうひとりごちるのは、緑がかった銀のストレートを揺らす女。
夏の日差しはじりじりと照り付け、先程まで電車の冷房に当たっていた彼女は、すっかり参ってしまった様子。

彼女の左手の薬指には、婚約指輪が光る。

しかし同棲中のお相手はと言えば、本日は留守番の模様。
彼女は今日、親友に会うためにこの街を訪れていたからだ。



川本ミユ、26歳。元『夕張』。

終戦後、一年程軍の整備として勤務した後、現在は建機会社で設計・開発に携わる。
かつて深海棲艦の襲撃により壊滅した、××町の復興プロジェクトに勤める会社が携わっており、彼女は建機部門の副主任を務めている。

秋には、現在の交際相手と結婚を予定。


621: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:47:36.48 ID:T7wuw/an0

「もしもし?」
『メロンちゃーん、今どこおる?』
「さっき着いて駅前ですけど、今どこにいます?」
『ロータリーんとこにカングー停まっとるやろ?そこや。中涼しいでー。』


彼女がロータリーへ向かうと、電話の相手が言う通り、一台の黒い車が停まっていた。
窓から手を振るのは、側から見れば車を運転出来る年齢に達していなさそうな女。

しかし、彼女の先輩にあたる女だ。



北川アカネ(旧姓・田村)、34歳。元『龍驤』。

終戦後、当時の××鎮守府司令官・北川アツヤと結婚。
現在は退役し、2児の母。

子育ての合間に、時折近所のヤンキー達を『教育』している姿を見るとか見ないとか。


622: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:49:34.83 ID:T7wuw/an0
二人が乗る車は駅を離れ、とある住宅地へと向かって行く。
こうして会うのも半年ぶりか。
積もる話に花を咲かせつつ、夏の日差しに照らされる街を眺めていた。


「今日お子さん達は?」
「旦那も休みやから、任せてきたわ。
いやー、相変わらずデレデレでなー。出張行ってても毎日電話来るし、家おったらおったでもうずーっと離れんし。
ありゃうちの子らに彼氏出来たら、旦那殴らないかんやろなあ…写真見る?」
「かわいー!結構アカネさんに似てきましたねぇ。」
「ほんまそれや…もうちっと旦那の遺伝子継いでくれたら良かったんやけどな…。
旦那が逮捕されかけた話あったやろ?今から心配でたまらんわ…。」
「ああ、あの援交と間違えられた件……。」
「身分証見した時のポリ公のツラ、傑作やったで。うち、そん時三十路やったのに。メロンちゃんは最近どない?」
「式の準備がそろそろですねー…ふふ、でも最近、お腹がちょっと、太ったのとは別でゆるんできて……。」
「だいじょぶだいじょぶ!まだ26やろー?幾つになっても心はお姉さんや!
………ええか、肌がシャワー弾かんようなってからが地獄なんや……。」
「やめてください、確かに最近弾きが…。」


相変わらずな会話を繰り広げつつ、車は目的地へと辿り着いた。

ここはかつて、ある少女が住み。
そして、二人の片割れが、今尚仕事で関わっている街だ。

今日彼女達がここを訪れたのは、旧友の引越し祝いの為。
車を降りた二人の前には、真新しい建物だらけの街が広がっていた。


何故ならここは、かつて一度は滅んだ街なのだから。



623: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:50:50.77 ID:T7wuw/an0
「はーい。」


呼び鈴を鳴らすと、男の声が聞こえてきた。
そして開けられた玄関からひょっこりと顔を出すのは、ヒゲを生やした男。


「おー、久しぶり。待ってたよ。」
「ケイくん、引越しおめでとう!」
「ケイ、また似合わんなあそのヒゲ…。」
「え?やっぱダメっすか?いや、一応偉くなったし、威厳でも出そうかと…。」
「新喜劇みたいになっとるわ。」



笠木ケイタロウ、26歳。元××鎮守府整備長。

終戦後退役し、バイクメーカーへ再就職。
そこの新製品開発部門にて、プロジェクトリーダーを務めている。
彼の開発した製品は評価が高く、売り上げも好調との事。

××町復興プロジェクトの一環で開発部門が移転し、この度同町へ引っ越してきた。

624: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:51:58.71 ID:T7wuw/an0
そしてケイに続き、今度はとある三つ編みの女がやってきた。
何年経っても変わらないゆるいオーラ。
だが、幾分年月を経て、落ち着きも放っている。


ノースリーブのゆるいワンピースを纏う彼女の肩からは、傷が見えている。
今はもう、それを隠す理由も無いのだ。


「お、来たー?待ってたよー!」
「ユウちゃん!会いたかったー!」
「あはは、ミユっち痛いー。」
「オウオウ、早々に百合百合しいなぁ…。」
「はは…ま、まあ、大井さんともいつもあんな感じですよ…。」



笠木ユウ(旧姓・岩代)、26歳。元『北上』。

終戦後退役し、高卒認定試験を受験し、合格。
その後しばらくは美容師アシスタントとして働き、国家試験に合格するも、結婚を機に退職。

現在は、子育てに集中している。

625: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:53:10.29 ID:T7wuw/an0

「あ!ミユおねえちゃん!」
「おー、大っきくなったねー。久しぶりー。」
「ほんま成長早いなー。なあなあ、うちのこと覚えとるー?」
「アカネおばさん!」
「お…おばっ……おばっ…!?」
「ふっ……アカネさん…子供は、本質を見抜くんですよ…。」
「メロンちゃん…裏切りよったな…!」



笠木コウタロウ、2歳と8ヶ月。

笠木家の長男坊。やんちゃ盛り。
好きなものは、お父さんとお母さん。

最近、兄弟が欲しい。




「ま、まあええわ…てなわけで、キミらの引越し祝いや!改めておめでとな!」
「ありがとうみんなー。」


こうして久々の再会に、一同は湧いた。

今はかつての血生臭い世界は、存在しない。
だが、戦友達の絆は、今もまだ続いているのだ。



これからも、これからも。



626: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:54:03.46 ID:T7wuw/an0
そうして仲間と盛り上がった翌日の、日曜日。


かつて北上だった女は、息子と共に近所を散歩していた。

荒れ果てていた街も今やすっかり整備され、かつての地獄の後は無い。
だが海辺のとある場所には、大きな石碑が建てられていた。

そこに刻まれている、約1万8千名の犠牲者の名。
その中には、彼女の家族も含まれている。

石碑を一度撫でると、彼女は息子の手を引いて、小さな堤防へと上がる。
そこから見えるのは、どこまでも青く雄大な、静かな海だった。

過去に同じように青かった記憶も、血の赤に染まった記憶も。
そして、また取り返す事の出来た海も。



全ては、彼女の中にある。


627: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:55:04.94 ID:T7wuw/an0
「おかーさん、きれーだねー。」
「そうだねー…ここはさ、昔は色んなことがあったんだ。」
「ねーねー。」
「なーにー?」
「なんでぼくのなまえはコウタロウなの?」
「ふふ…コウくんが大っきくなったら、教えてあげるね。
アタシの大事な人達の名前から、コウくんの名前は出来てるんだ。」
「だいじなひと?」
「うん。コウくんも、いつか出来るよ。」
「ぼくね、おとーさんとおかーさんがだいじなひと!」
「……ふふ、ありがと。」
「おー、ここにいたのかー。」
「あ、やっと来た。しゃーないっしょー、ケイちゃん起きないんだもーん。」
「わりいわりい、寝落ちしちまった。」
「もぅ…じゃ、帰ろっか。」
「そうだな…まあ、実はもう準備してるし。」
「え!?いつの間に!びっくりするじゃんかー!」
「ふふふ、元整備長は料理も得意なんだよ……。!
コウ、今日はなー、おかーさんの___」


そして手を取り合い、3人は家へと歩き出す。

やっと手にした、平和な日々を歩む為に。



“明日でもう、何年になるんだろ?

ほんと、色んなことがあったなー……辛かった事、死にたい事、いっぱいあったけどさ。今、アタシは幸せだよ。

みんな…きっとこの先何があっても、アタシは強くなれる。
だからさ…アタシはこの手だけは。




___離さないから。”



628: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:55:55.85 ID:T7wuw/an0


7月3日。
今日は彼女の誕生日。


夏の太陽の下。

彼女が家族に向けた笑顔は、何よりも輝いていた。



629: ◆FlW2v5zETA 2017/03/28(火) 03:56:28.98 ID:T7wuw/an0



北上「離さない」・終



632: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/28(火) 04:22:19.22 ID:OvvHsKFm0
完結乙でした
最後は大団円になって本当に良かった
636: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/28(火) 11:11:17.47 ID:nxkhvfrN0
乙!
文句無しのハッピーエンドですっ!
2度目のタイトル回収、多少は予想できてたけどいざ実際に見てみるともう感動と興奮でヤッフゥゥゥウウウウァ!!

……失礼、取り乱してしまいました
ともかく乙
新作にも期待してます
642: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/30(木) 20:10:49.36 ID:a2lPlDhc0
みんな幸せになって良かった…
超乙でした!!
643: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/31(金) 00:39:37.33 ID:RZoKCmBL0
乙。このスレ見て北上さんに指輪もありかと思い始めたよ
644: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/03/31(金) 07:31:44.90 ID:mC4XEeouO
おつ
いい作品をありがとう
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